週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#376 -’17. もういくつねるとお正月

2017年12月31日 11時05分02秒 | ねこ&いぬ
今日は大晦日。
もういくつ寝るとお正月?ですが、あと一つねるとお正月です。

今年一年嫌味の多い私のブログにご訪問頂いた方達に感謝いたします。
一年お世話になりありがとうございます。
ご訪問頂いた方達、読者登録されている方々、コメントをして頂いた方達、全ての方達に感謝申し上げます。
皆様にとって今年一年が素晴らしい年で終わり、来年が今年にもまして素晴らしい一年である事を祈念申し上げます。


また、地球上の生ける人類のみに止まらず全ての物に幸多き事を願っています。

我が家の可愛い娘・ナナちゃんからも「皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」との伝言です。
大晦日の雰囲気の写真ではありません事をお許しのほど。






コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

§ 私の願い(中日邦交正常化)

2017年12月30日 11時30分50秒 | たわごと(少し硬派に振って)
私の願いと同じ記事が日経の一面に載っていたので。
今は冷え込んでいる日中関係を改善する好機だと思うからです。

安倍総理を一強と揶揄して悪い事の如くの報道を見かけます。
悪い一面もあるかもしれませんが、外交においは国民から高い支持を受けている事は絶対条件なのです。
ですから、歴史的な外交交渉を締結まで結びつける事には不可欠な絶対条件なのです。
どんな政策をとっても必ず反対勢力が存在します。
健全な反対勢力が存在する事は健全な民主主義政治では欠く事の出ない物なので。
ですが、その反対勢力を凌駕して政策を推し進めねばなりません。
その根底には国民の支持が必要なのです。
過去のスレッド(§ ブレグジットの読み違え)でも述べましたが、国益を守り且つ友好関係の構築には高支持率が必要なのです。

支持率が下がったとは言え、安倍総理にはまだ国益を守りながら、現在の日中間の友好関係を再構築する力を備えているのです。
また、その安倍総理にはその意欲(日中友好)も十分持ち合わせているのです。

自由主義国が左依りの国家ないし共産国などと国際関係を修復する条約を結ぶのは、右寄りの政党が適しているのです。
その心はと言ったところは、左寄りの政党が左よりの国と条約を結んでも右寄りの国民は是認できないのです。
しかし、右翼とは言いませんが右寄りの政党が締結することにより、右よりの勢力が積極的な反対行動を起こさないのです。
ですから、自民党でそこそこ支持率がある安倍総理が日中友好関係を再構築するには最適なのです。
それと、中国の習近平国家主席が再任されて長期の政権を確保した事も良い政治状況下にあるのです。
中国国内でも政治的反対勢力を気にすことも無く、中国国民の日本への嫌悪感をそれ程気に掛けずに政治的信念に従い交渉する事出来る環境下なのです。

世界第二位中国と第三位の日本の国家の結びつきが強固になり運命共同体になる事は、日中間の安全保障に貢献する事は間違いないのです。
国家間の政治体制が異なても、経済的に運命共同体であれ価値観も共有出来、信頼関係も構築でるのです。
誤解や錯誤や疑心などにより生じる軋轢などの紛争が減るのです。



中日邦交正常化
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#375 -’17. 皇居正門

2017年12月30日 10時52分57秒 | 街角
今上天皇の退位に日程も決まった事だし、皇居へ。
(今まで二重橋と思っていたのは誤りでその奥のここからは見えない橋が二重橋との事。訂正させて頂きます。)




撮影はニコンデジタル一眼です。
三脚は使用しておりません、全て手持ちです。
午後5時11分到着です。
本来で刈ればこの先の皇居正門の皇宮警察が警備している直前までが、既に夜の為かその手前に警察官に止められて前までいけませんでした。
1


こちらはフラッシュを焚かずに撮影したので近場はライトが届きますが遠くの被写体まで届かない為に暗く調光して写ります。
2


お濠側に戻って一枚です。
門の所に在るポリスボックスは皇宮警察官ようです。
3



いつ来ても不満に思う事があります、それは二重橋濠の所に沢山の水草が漂い浮いています。
夏など特に汚く見えます。
ボートを出して刈ってしまえばと思うのですが、何か刈り取らない理由でもあるのでしょうか。
4


伏見櫓がライトアップされて漆喰壁と調和して美しく気高く輝いています。
5


アーチ橋が濠の水面に反射して美しく写っています。
6



左水面に藻が浮いています。
興覚めだと管理者は思わないのでしょうか。
7


東京駅方面に戻る途中での坂下門をズームアップしての撮影です。
8



原村のお山でも遠くが見える視界が開けた所が好きだと書いてきましたが、都会でも視界が開けたこのような近代的な建築物のあるとこでも好きです。
9



好きですと言うより、大、大好きです。
10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#374 -’17. 東京駅丸の内から行幸通りを通り皇居前広場へ

2017年12月29日 09時55分23秒 | 街角
上野ウエルカム・パスポートの後に私のみ伺った『東京駅丸の内側から行幸通りを経由して皇居前広場から二重橋前へ』向かった時の写真です。
東京でも空が広く大好きな皇居前広場です。
内堀通りの外側は高層ビルが立ち並ぶ姿も大好きです。

撮影は一年で一番昼間が短い暮れも押し詰まった12月下旬の26日の午後4時53分~午後5時10分までの画像です。(暮も押し詰まる。と、暮も押し迫る。)

地下鉄で大手町まで来ましたので、地上にあがり東京駅丸の内を正面に見える行幸通りにて撮影したのは午後4時53分でした。
正面に見えるのは東京駅丸の内側の中央口です。
オランダのアムステルダムをもとにしたとの事ですが、威風堂堂とした姿は大好きです。
夜のイルミネーションの準備です。
01



先日、天皇誕生日の一般参賀でこちらに写っていうパレスホテルで迂回させられました。
02



03



04


行幸通りから皇居を望み。
05


この寒い中、ウエディングドレスで花嫁花婿が震えながら写真撮影をしていました。
宣伝用の写真撮影をしていました。
日経の記事に載っていました。
06


手前の噴水の所が皇居外苑の和田倉噴水公園です。
今上天皇が皇太子の時に美智子様とのご結婚を記念して造られた和田倉噴水公園です。
その先に見えるのはパレスホテルです。
以前にパレスホテルの6階のラウンジでウヰスキーを頂きました。
気取ったホテルのラウンジでお酒を頂く積りでもいませんでしたから、フライトジャケット(パイロットジャンパー)を着て格調高き所へお邪魔しました。
今でもよく覚えています。
席でカートで会計を済ませて、席を立つと預けたヨレヨレのジャンパーをもって来てくれて腕を通すだけで良いように着せてくれました。
お礼言いつつ、今度来るとはバシット決めてきますと係の方にお礼を言うと恐縮していました。
出したクレジットカードとこちらの物おじしない物腰で感じ撮ったのかもしれません。
カードはゴールドではありません。
07


ピントも露出もオートで撮影していますから補正されて実際より少し明るく写っています。
08



マニュアルで設定して撮影するのも煩わしいので、スピード・ライトをたいて撮ってみました。
これよりは少し明るいですが、オートとマニュアル撮影の中間程度です。
スードライトを焚いても7メートル程しか届きませんからその先は暗くなります。

巽櫓です。
09


同じ巽櫓と桔梗門の所を撮影しましたが、こちらはオートなので賢いカメラが絞りと露光時間を調整してこんなに明るくなりました。
桔梗濠にはハッキリ写りこんでいます。
10




それを入れたこの写真が一番実際の感じに近い明るさです。
11


桜田商事の在る桜田門方面を一枚です。
12


日比谷方面です。
13



巽櫓です。
櫓の先は大手門方面です。
14


日比谷交差点方面です。
15


若かりし頃、女子の勤務先の一番人気の丸の内です。
16


大手町方面です。
17


意図的にスピードライトをたいて撮りました。
皇居前広場の松が有るのがわかるでしょうか。
18



19



20


此処までがスピードライトをたいて撮りました。
21



午後5時10分撮影です。
22
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#373 -’17. 旧岩崎邸(その二)

2017年12月29日 08時02分17秒 | 街角
旧岩崎邸(その二)の写真です。

b1




b2




b3




b4




b5




b6




b7




b8




b9




b10




b11




b12




b13




b14




b15




b16




b17




b18




b19




b20
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#372 -’17. 旧岩崎邸(その一)

2017年12月28日 18時28分37秒 | 街角
写真のみですが。

a1




a2




a3




a4




a5




a6




a7




a8




a9




a10




a11




a12




a13




a14




a15




a16




a17




a18




a19




a20
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#371 -’17. 海燕亭でランチ

2017年12月28日 16時49分19秒 | 訪問した食事処、お茶処
今回は何処で食事するか決めて来たわけではない。
上野ですから何処でも食事できます、不忍池から東天紅が見えましたので次の旧岩崎邸の近くですからのぞいてみました。





お昼少し廻って海燕亭でランチです。
新しくビルを建て直しましたので少し敷居が高くなり何処か入りにくい感じです。
取り立ててレストランのあるビルと言うよりオフィスビルと言った感じですし、二階のエントランスは広く疎外感を感じてしまう雰囲気が漂っていますが、気にすることはありません。

で、今回は9階の中華と日本料理があり、その日本料理の海燕亭にお邪魔しました。
9階のフロアーに付いても、デパートなどの飲食フロアーの佇まいではありません。
黒いスーツを着た男性がいてどちらのお店か尋ねられました。
入るかどうかすら決めていませんから、少しプレッシャーになった事は確かです。
その男性の方がメニューがありますよとの事で、海燕亭に入る事に決めました。
空いているし、大満足の選択でした。


LUCIS東天紅となっています。20171227204341
01


お正月ですね、門松が既に飾られていました。
我が家も今日飾りつけしました。
29日は避けて一夜飾りも避けねばなりません。
02


海燕亭の料理のメニューと飲み物のメニューを拝見して。
03



家内も私もお昼の定食の二.深海真鯛 鮪の胡麻醤 
美味しい事、近くに行った時は是非ご賞味のほど。
04



05




荷物でも多くなければ車で都心へ行く事はありません。
なので、美味しい生ビールが頂けます。
車を手放そうかと思う程です。
峠の我が家が無ければ全く必要性はありません。
それだけでも、街に住むと言う事は地球に優しいですし、懐にも優しいです。
06



家内のも私のも配膳されてきました。
想像していた以上です。
07



着物を着た中居さんが説明してくれました。
左のお皿は鯛ですが刺身で食べたあと残して、鯛茶漬けにも出来ます。
烏賊も一手間加えてありますし、鮪も美味しかったです。
右上は海老の上にとろろが載っていた。
酢の物としてのお皿です。
その下の茶碗には湯葉です。
こちらは餡かけの碗です。
一番右の土瓶にお茶漬けの出汁が入っています。
08


山葵は刺身でも使用しましたが、お茶漬けでも山葵と白ごまを使用しました。
09


私だけご飯を別茶碗でお茶漬け用に頂きました。
ですから、軽くではありますが、二膳も頂いて仕舞いました。
二度美味しく、何かのCMでありましたが。
10


別腹のデザートです。
この後、旧岩崎邸でも甘味を頂きました。
11




美味しい満足のランチでした。
少し敷居が高く感じましたが、入ってしまえばとてもフレンドリーで美味しい料理でした。
満足満足のお店・海燕亭でした。
窓の先に後楽園遊園地が見えます。
遊園地としては地盤沈下してしまいましたが、幼い頃の後楽園遊園地と言えば・・・・です。
12


〒110-8707 東京都台東区池之端1-4-1 東天紅上野本店9階

TEL 03-5814-1515


営業時間

【平日】  11:30~22:00(L/O 20:30)
【土日祝】 11:00~22:00(L/O 20:30)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#370 -’17. 台東区立下町風俗資料館

2017年12月27日 19時59分46秒 | 街角
上野ウエルカム・パスポートでも無ければ入る機会がなかったと思える台東区立下町風俗資料館です。
そこで頂いたパンフレットから引用させて頂き説明します。

   古き良き下町の文化を
        永く後世に伝えるために・・・
 明治・大正頃までの下町には江戸の名残がありました。しかし大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年の戦災によって、ほとんどその面影をなくし、さらに目覚ましい復興を遂げた戦後、特に昭和30年代後半には東京オリンピックを契機とする再開発が積極的に進められ、街はすっかり様変わりしました。人びとの暮らしも又時代とともに変化し、便利さを手に入れた代わりに、古い時代の大切なものが忘れられようとしていました。
 古き良き下町の文化が失われつつあることに、憂いの声が上がったのは昭和40年代のことでした。それは次第に下町を愛する人びとの間に広がり、やがて庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝える資料館設立の構想が生まれたのです。これを実現するために台東区内外からたくさんの貴重な資料が寄贈されました。
多くの人びとの長い歳月を掛けた願いが実り、台東区立下町風俗資料館は、昭和55年(1980)10月1日、ここ不忍池畔に開館したのです。
以上が資料館から頂いたパンフレットに記載されていた案内の引用です。

天邪鬼の自分から一言。
 古き良き時代と過去を単に美化してみる事は好きではない。
過去よりも少しでも進歩した良い時代になっていると思っている。
老人の単なる愛着で安易に「古き良き時代」と言う事は好きではない。



台東区立風俗資料館入り口です。  20171227195946

左に丸い赤い旧型の丸いポストが、右にはご覧の通り大八車が置かれていました。
人に依っては、大八車に思い出が無いかもしが、私の記憶の中にはシッカリと残っています。
長尺物の運搬はマツダやダイハツのオート三輪車が大活躍でした。
それでも、土木関係の親方の所にこちらの大八車があり大活躍していました。
時代劇映画の中だけではありません、実際にこの年末には長い竹を乗せて一軒一軒正月の飾り付けしていきますし、お祭りの時の飾りつけにも活躍でした。
(ここで思い出を:お正月にはお大尽は門松を飾りますが、そんなお宅は10軒に一軒程度で一般庶民は長い竹を左右二本玄関や門に立てて下には松で上に稲わらを編んだものに白い紙を付けて飾りました。お正月が終わると長い竹は物干しの竹竿になりますし、竹竿が余っているときは竹馬にしたものでした。)

オート三輪でこんな事を感じました。
材木屋さんが配達する時、少ない柱などの運送にはオートバイの脇に荷物運搬用のサイドカーを付けてい居たことから由来しているのかも。
オート三輪は小回りが利くが、転倒しやすいとも。
01



今は凧揚げをした事の無い子供さんも増えていると思いますが、自分達が子供の頃はお正月と言えば男の子は凧揚げが定番のお正月の遊びでした。
武者の書かれたこの長方形の凧と、少し高い奴凧やトンビ凧等がありましたが、私があげていたのは勿論安い長方形の和凧です。
凧に付いている何本もの糸を指で挟み絞っていって凧の中心で且つ上下を調整しました。
天井凧にならなく良く上がるように調整しました。
糸を調整しても回転したりしてなかなか上手く上がらないのが現実でした。
その為に、凧のバランスを取るために新聞紙を細く切った長いバランス用の重りを凧の一番下に付けてあげた物でした。
上手く上がると何処に有るのか分からない具合遠くにまで行った時は気分最高です。
風が無いからと走って揚げると天井凧になる言って嫌いました。
今にして思うと科学的ではない気もしないでもありませんが。
人力車が置かれて居ますが生まれてこのかた、観光地以外で見たことがありません。
タクシーと言えばルノーやヒルマンやオースチンでした。



生まれた時から勿論、東京都水道局の水道ですから井戸はご近所にもありませんでした。
でも、洗濯盥や洗濯板は良く見ましたし、我が家でも実際使用していました。
今回、写真でアップしていませんが、
03



幼い頃に通い詰めた駄菓子屋です。
04


原村のお山にも飾ってありますが、こんな大きく高価な物ではありません。
05



06


ミシンやTV等幼い頃を思い出します。
07



炊飯器が飾ってありますが、ガス釜です。
蓋をして左右に回すと中蓋に圧力をかける事の出来る形式の物が展示されえいました。
我が家でも東京ガスが来ていましたから、薪など一切家事には使用しません。
08



大きな思い出の東京オリンピックです。
09



10円紙幣は記憶にあるような気もしますが、定かではありません。
10


大川に架かる橋は橋の形式のデパートのようです。
11



蓮の池の先に見えるのが不忍池辨天堂です。
12


東京都も野生動物への餌やりを止めるべく啓蒙活動を始めているようです。
野生動物に給餌する事はやめましょう。
13





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#369 -’17. 師走も押し迫った12月26日の街歩き日記(丸の内仲通り)

2017年12月26日 17時50分59秒 | 街角
2017年(平成29年)師走最後の上野の美術館&博物館などの街歩きです。
今回は上野のお山ではなく、お山を下りた不忍池周辺をめぐる事にしました。

上野ウエルカム・パスポートで無料で入れる二つの施設をお邪魔しました。
一ヵ所目は台東区立下町風俗資料館です。
次にお邪魔する旧岩崎邸に行く為に、不忍池(しのばずのいけ)の湖畔を通り東天紅に向かいました。
東天紅のビルの中の海燕亭で食事する事に決定です。


【海燕亭】

上野パスポートで不忍池脇に来ています。
次にお邪魔するのは旧岩崎邸です。
その前に海燕亭でお昼を頂きにきました。



スマホにて撮影です。


【白玉ぜんざい@旧岩崎邸】

海燕亭で食事を済ませて歩くこと数分で旧岩崎邸につきました。
食事した後ですが、別腹の別腹です。




旧岩崎邸を出て家内はナナちゃんの待つ家に帰りました。
私はこの後の、中央通りを歩き秋葉原迄いきました。
この後のイルミネーションは自分一人です。

スマホにて撮影。


【皇居二重橋前ナウ】

皇居&行幸通りがライトアップされているとのことで。


スマホで撮影。


【丸の内仲通り】

東京駅丸の内側の仲通りのイルミネーションです。




スマホにて撮影。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

§ 日馬富士の暴力問題を受けて

2017年12月25日 14時16分14秒 | たわごと(少し硬派に振って)
私が自分のブログで貴乃花を賛美応援するブログをアップしたからと言って何の役にも立ちません、が。
それでも、少しでも沢山の日本人に理解して頂きたくてアップする次第です。

日馬富士の貴ノ岩への暴力問題が発覚した11月14日以降連日テレビのワイドショーで報道されている。
この報道を聞いた時、貴乃花に対して良い感 じは持っていなかった。
組織の責任ある一員なのに、組織人としての行動ではないと思ったからに他ならない。
組織内での調和を貴ぶ(たっとぶ)日本人社会においては違和感のある貴乃花の行動に見えた。

でも、でも、その自己の信念に忠実で相撲道を実現しようとする貴乃花親方の姿はまるで孤高の人に見えてきました。
他の人が何と言おうとも、ぶれることの無いゆるぎない信念。
組織の一員として歩んできた自分としては、初めの内は理事会や危機管理員会に対する貴乃花の態度・行動は理解できなかったし非難に値すると思っていた。
でも日本とかモンゴルとかではなく、知れば知る程今の相撲協会を本来の相撲道に戻そうとするその信念に賛同するのようになった。

相撲道に関する知識も少なかったし、白鵬を日本人以上に日本人の心を持った大横綱だと思っていた。
近年の白鵬の横綱としてのあるまじき行為など何も知らなかった。
本来、大関が大相撲の最高位であり、その上の品格を備えた力士のみに与えられる称号が横綱である事を知った。
横綱としての品格を貴ぶ貴乃花の信念を知る事が出来た。
相撲に対する心構えも、取り口も、日常の行動も横綱としての人格を求める相撲道。
個人的には大鵬と白鵬をオーバーラップしてみていて白鵬を神格化し過ぎている自分がいた。
知れば知る程、今回の事件は白鵬の横綱としての品格と貴乃花が相撲道に求める横綱との激突だと感じるようになった。

他人の非難にもめげずに自己の信じる相撲道を探求する孤高の貴乃花親方に対し最大限応援したい。


相撲道を知って、日本人の心の何処かにある価値観の武士道を思い出した。


日本人が宗教心に依らずに道徳心を持ち得ている事を諸外国に知らしめた新渡戸稲造著の「武士道の序」から引用させて頂きます。

                    序
 約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過ごしたが、或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩みを停め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだのはものは武士道である事をようやく見いだしたのである。
 この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行きわたっているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことによるのである。
 私はド・ラヴレー氏ならびに私の妻に満足なる答えを与えようと試みた。しかして封建制度および武士道を解することなくんば、現代日本の道徳観念は結局封印せられるし巻物であることを知った。

序の後段は省略
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#368 -’17. メリークリスマス

2017年12月24日 19時48分34秒 | その他
クリスチャンではありませんが、巷の風習に従い我が家もクリスマス・イブのお祝いです。

クリスマスを祝う事が出来る殆どの日本人のお宅は幸せなことこの上もありません。

水を差すようで気が引けますが、天邪鬼なのでご理解のほど。

世界では、命をつなぐだけでも困難な方達が沢山おります。

毎月の支援のほかに一昨日、微々たる金額ではありますが国境なき医師団日本日本赤十字社の歳末義援金(海外)に寄付しました。

寄付での心が真に必要な方に届くように、寄付する先は厳選せねばなりません。

繁華街での托鉢の僧侶に心を込めても必要な方には届きません。

善意をむしり取る組織が偽の僧侶を仕立てているのです。

善意が必ず届く組織体に援助する事を強くお薦めします。

尚且つ、善意を受ける組織体も運営する経費が掛かります。

なので、寄付した金額が少しでも多く届く組織を探してみて下さい。

素敵なクリスマス・イブになる事間違いありません。

クリスチャンにも、ムスリムにも、ヒンズー教徒にも、仏教徒にも、ユダヤ教徒にもその他な宗教を信じる人にも、宗教を信じない人にも素敵な一年でありますように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#367 -’17. 今日は天皇誕生日でした

2017年12月23日 20時39分01秒 | 日常の出来事(日記)
行はヨイヨイ帰りは怖いでした。

今日は天皇誕生日で皇居一般参賀がありました。
来る時は何の交通規制にも係らずにたどり着きました。
なので、一般参賀の交通規制を失念して帰りも内堀通りに向かったのが大きな選択ミスでした。

行は四ツ谷、銀座を通り一時間で到着でした。
原村なら20分もあれば到着する距離ですが、信号の多い都会では三倍の一時間かかってしまいます。

内堀通りから銀座へ向かいます。
カイエンの先のお濠は日比谷壕です。
a1



この先から人が大変多くなりますし、車線変更する車が多くなりますので気を引き締めて走らねばなりません。
a2





晴海通りの銀座四丁目の交差点直前で、今外国の観光客に人気のカート車に出会った。
左手のMAKE it HAPPY!の垂れ幕は銀座三越です。
右手は銀座五丁目のサッポロビルです。
自分達が停車している所は和光直前です。
a3



停車中の車内から家内が和光の手前のお店にiPodを向けたので、和光は隣だと言うと和光のスイーツ店だよと。
銀座に強い私もスイーツ店が有るのは知りませんでした。
食べ物や人気店に強い家内です。
和光アネックス ケーキ&チョコレートショップ との事です。
a4



ホテルでお茶してきました。
大きなクリスマスツリー前で合唱が行われていました。
a5


横で孫を一枚撮りました。
a6



家内と私が美味しそうなので頼んだのがパフェ類です。
真冬では少し寒すぎました。
a7




a8




a9




a10



お気に入りのサンタさんとツリーの前で一枚です。
a11




a12




a13



地下の駐車場・地下鉄の駅へ下りるエスカレーターの所にポインセチアが飾られていました。
赤いポインセチアとジャコバサボテンを見るとクリスマスを連想します。
a14



日本橋三越に寄る積りでしたが、駐車場に入る為には長蛇の列です。
担当者によると25分ほどかかるとの事で中止して帰る事にしました。
何も気にせずに向かった経路が問題でした。
右手が皇居です。
通っているのは内堀通りですから、皇居前広場をぶった切ります。
これが問題でした。
a15

以上、此処までがiPod にて撮影です。


こちらからスマホにて撮影です。
四車線有った道の先は直進禁止で全てパレスホテルの前で左折させられ国道一号方面へ迂回です。
b1





国1で右折して日比谷の交差点に向かいます。
宮中参賀を済ませた方が沢山あるいていました。
b2



記憶違いでなければマッカーサー元帥のGHQの旧第一生命館ビルです。
以前の面影を残すために前面の後ろに高層ビルに建て替えました。
車では一瞬に通り過ぎますが、街歩きで知らない東京の再発見をしてみたいと思っています。
b3



御幸通りですから、左手は東京駅で右手は皇居です。
b4




b5



日比谷交差点で右折まちです。
ここでフェンダーミラーに写った後ろを一枚。
b6



真正面は最高裁でその右隣は先日お邪魔した国立劇場です。
左前方に行くと赤坂見附を通り渋谷に向かう青山通りこと、246号で沼津まで。
我が家は内堀通りをもう少し通り半蔵門へ。
赤坂見附方面から白バイ、パトカーに先導された首相か他の方かは分かりませんが、半蔵門方面へ抜けて行きました。
皇居での参内するためでしょうか。
警官が信号を操作していました。
b7
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#366 -’17. 今夜のナナちゃん2(12月22日)

2017年12月23日 15時38分42秒 | ねこ&いぬ
二階のクロークの探検を済ませて逃げ帰る途中で階段の所で立ち止まったので一枚二枚と。
普通だと止まる事なく駆け下ったり駆け上ったりですが、この時は止まってくれました。
まだ、クロークの中で遊びたいのに、怒られるかと思い逃げたものの怒られる気配はないし。
再度、探検したかったのかも。










コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#365 -’17. 今夜のナナちゃん(12月22日)

2017年12月22日 23時23分39秒 | ねこ&いぬ
何を思ったか二階のクロークの中を探検したくて扉をガリガリし始めました。
ガリガリと言っても、壁紙のところではなく少し隙間の空いている下の所ですからほっていました。
でも、止めないし怒ると逃げてしまうのでiPodをもって撮影すべく待つこと10数分。


やっとベットの下から出てきました。


ナナちゃんの言葉を翻訳すると「何だ、怒られると思って隠れていたのに!」いつもガリガリすると怒られるのでじっと身を潜めていました。
出てきて見上げた所を一枚です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#364 -’17. 今日は冬至

2017年12月22日 23時06分29秒 | 日常の出来事(日記)
勿論、冬至ですからカボチャとゆず湯に浸かりました。

冬至でなくても最近のカボチャは美味しくて二日にいっぺん位の割合で頂いています。

贈って頂いた大量の柚子もご近所におすそ分けしても未だ食べきれていません。

毎日柚子の白湯頂き、柚子のマーマレードでヨーグルトを頂いています。

今日は冬至ですから、ゆず湯は欠かせません。

柚子のお風呂に入りました。


小さいのは普通にご近所で買ったもの。
大きなのが頂いた柚子ですが、この大きさの違いです。
大きさだけではなく、タネ以外すべて利用させていただいています。
色々料理する家内は大変ですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンター