牛歩の歩みより遅いですが、やっと11日目の旅に入りました。
河原町通りを八坂神社方面に向かうと、左手に先斗町との表示がありました。
歌で先斗町は知ってはいましたが実際には先斗町なる町名はないそうです。有名な先斗町がどこに在るのかも皆目見当がつかない程音痴ですから、それでは歩いてみようと左にそれて鴨川手前を北上しました。
1 東京の都鳥ではありません。先斗町の紋章の鴨川ちどりです。
2 高札には「先斗町通り 先斗町通は三条通南から四条通間に約500m続く京都において有数の文化・遊興の中心地として、品格と賑わいを合わせ持つ通りです。」以下省略します。
3 前日歩いた宮川町の街並みより道が少し狭く感じましたが、コロナ禍でなければ結構賑やかな感じのするところでした。
4 右側のお店の隣は直ぐ鴨川です。川床料理の準備が始まりだす所です。
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7 北上する右手には鴨川が流れていますが小さな公園があり、視界が開けていてかも画を観る事ができました。桜が咲いていました。
8 小さなお山が造られていて上る事ができます。後ろが鴨川です。
9 公園の前の先斗町通りを左から右に歩きました。四条から三条へ。
10 先斗町の歌舞練場がありました。宮川町は京をどりで、こちら先斗町は鴨川をどりです。
11 先斗町通りは三条通から四条通までの凡そ500メートルだそうですから、ノンビリ好き勝手歩いても小一時間はかかりません。幕末の新選組の闊歩した池田屋騒動の池田屋さんです。高札も建っています。
12 三条大橋を南側から眺めて。
私は京都に行っても、こういうところは歩きませんから参考になりました。
意味がないのかも、、
人が少なくて ほんと 良い機会でしたね、、
もう2どと こういう情景はないかもです〜
京都は親友が住んでいました。
なので京都の街は殆ど歩きました。
当時は(昭和)京都の街並は高層ビルもなく古都の佇まいが好きでした。
バブル後に
見て歩く程の観光地でもないのかもしれません。
時間は充分にあるので、歌で知った先斗町の花街をあるいてみました。
歌舞練場が在ったのが嬉しい誤算でした。
今は、川の上には川床料理のお店が出ているとおもいます。
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いつもコメントありがとうございます。
歩くのは無料なのが大きな動機付けになりました。
その上、限られた短時間の旅なら運賃や宿代の旅費関係の元を取ろうと詰め込み過ぎますが。
時間だけはたっぷりとありましたので、今までの人生でも九州旅行以外で初めての形態かと思っています。
足の向くまま気の向くままでした。
ですから、知らないだらけの街で新たな発見がありました。
いつもコメントありがとうございます。
桜の咲くこの時期に、ごった返す自分と同じ観光客にもまれる事もなく歩くことが出来たのが幸いでした。
途中、家内が来る予定で京都のプレミアムホテルを予約しましたが、増加傾向にあり注視しました。
昭和の京都かは定かではありませんが、外国人を含んだ大人気の京都ではありませんでした。
鴨川の畔でも嵐山の渡月橋のたもとでも、寺社仏閣でノンビリしました。
瞑想にふけった積りですが、只々時が流れる姿を漫然と眺めていました。
いつもコメントありがとうございます。