文学部に入り損ねたと言っても、受験に失敗した訳ではありませんよ。
あくまでも第一希望は社会学部でしたから・・・。
高校時代、草野心平の詩「富士山」によって詩心を触発されたK少年(筆者)は
普通の高校生よりは、小説や詩を読んだと自負しております。
まず日本の詩人を特集した本なら、殆どの本に最初に載るであろう、島崎藤村ですが、「小諸なる古城のほとり」や「千曲川旅情のうた」なんかは文語体ながら、
格調の高さが伝わって来ますね。「椰子の実」「初恋」「高桜」なんかは歌にもなっていて人気の高さが伺えます。
古文の教養が浅い私に、口語体の詩で、応えてくれたのが、高村光太郎と川路柳虹
でした。光太郎は広く知られていますが、川路柳虹も不思議な詩を書きますね。
私は小さい時から、美術(図画工作)が大の苦手でしたが、詩人の中には、川路柳
虹の他にも、村山槐多、中川一政、金子光晴、尾形亀之助など美術家・画家としても名を馳せた人物が多いですね。高村光太郎もお父さんが高村光雲ですから、きっと絵でも彫刻でもかなりの腕前だったのでしょうね。(羨ましい!!)
村山槐多の詩を初めて読んだ時は、何て退廃的な詩なんだと思ってましたが、わずか22歳でこの世を去り、しかも私が読んだ詩の多くが16~17歳の頃の作品と
知り、言葉が出ませんでした。早熟の極みと言いますか、もっと長生きしていたら
天才と呼ばれたかも知れません。現代で言えば山田かまち君みたいなものかな?(ちょっと違うかも・・・)
時代が時代ですから、村山槐多に限らず、石川啄木、立原道造、八木重吉も20代
で早世しています。あの宮沢賢治も30代で若死にしてますもんね。
尾崎豊がもっと長生きしたら、どんな作品を発表してたかなんて事より、彼らの老年期の詩を鑑賞したかったなぁと切に思いますね。
吉田一穂の「母」と「帆船」には少なからず影響を受けました。
山村慕鳥の「囈語」(たわごと)には、自分が詩を変えてやるんだと言う強い意志を
感じましたね。(思い付いたままに詩人や詩を並べていますので、時代が前後するのは勘弁して下さいませ。)
私の大好きなフォーク歌手の三上寛は、絶対この詩を読んでると思いますよ。
詩人と言えば多くの人に人気が高い萩原朔太郎ですが、どうも彼を語るには私は
学が足りなくて、多くは語れません。決して嫌いではないのですが、朔太郎や
室生犀星、中原中也などを語れないと、文学・詩好きの友人にはいつも馬鹿にされます。朔太郎の「愛憐」なんかはエロティックだし、「恋を恋する人」などはいかにも怪しくて個人的には好きですが、彼の代表作ではないですよね・・・・。
岡本潤と小野十三郎は、共に中退ながら、「詩人大学」とまで呼ばれた我が東洋大学の大先輩です。戦争や貧困 暗い影が忍び寄る中で、日本の詩の歴史上に名を留める2人の詩人が、私と同じ大学に学んで居たと言う事に、限りない喜びを感じますね。
お二方とも、アナーキズム系の詩を書いてますが、岡本潤の「罰当たりは生きている」や「おれら」が社会に対する開き直りや無頼感に溢れているのに対し、小野十三郎は、アナーキーと言うより冷静に社会を観察しています。小野の実家はかなり裕福だったらしいのですが、それも影響してるのかなぁ・・・。「葦の地方」は傑作だと思います。
社会派ルポライターの鎌田慧さんが、小野十三郎の弟子だったと聞いた記憶がありますが、間違ってたら御免なさいです。
まだまだ書きたい詩人は居るのですが、又の機会に・・・。
尚東洋大学に縁のある詩人・歌人・作家については、「井上円了センター」に詳細が
載っております。