東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

冬季ローツェ南壁の完登

2006年12月28日 | ヒマラヤ
 
        ローツェ南壁 「もっと、遥かな山旅を」さんサイトより

ヒマラヤに関心ある人にとっては大変嬉しいニュースが届きました。
ネパールヒマラヤのローツェ南壁に3回目の挑戦を挑んでいた、日本山岳会東海支部隊の第2次アタックが12月27日15:35に成功し、冬季の南壁を攻略して頂上稜線に到達した。

この世界第4位の高峰ローツェ(8516m)の南壁は、ヒマラヤでも有数の困難な岩壁で、標高差3300mで鋭く切れ落ちている。過去20回の試みで成功したのは1990年のとも・チェセンの単独登頂と旧ソ連隊のみであったが、この過酷な冬季に完登したパーティーは他にない。ただトモ・チェセンの登頂は成功を裏付ける証拠は無く、疑惑の初登攀とも言われている。

この成功を勝ち取ったメンバーには、1993年のエベレスト南壁冬季初登攀に成功した群馬岳連のメンバーが参加し、世界的にも実力者揃いの日本最強のメンバーだった。おそらく難易度ではエベレスト南壁を凌駕する危険極まりない困難なルートだったと思われます。

現在のヒマラヤの状況と言えば、殆どの困難なバリエーションルートが登りつくされ、極限的な冬季または単独登攀へ向かう一方、登頂第一主義の商業的ガイド登山が主流を占める時代となっている。ただ前者の登山隊は今や最近極めて少数派で、日本ではヒマラヤンクライマーのレレベルダウンが噂されていた。この成功はこれを打ち消す、日本隊のレベルの高さを世界に知らしめた快挙と言えます。

ここで登場する群馬岳連と日本山岳会東海支部は日本はもちろん、ヒマラヤで世界のトップレベルを行くエキスパート集団という点が素晴らしい。20年位前までは世界をリードし続けた日本隊だったが、旧ソ連隊、ユーゴスラビア隊、ポーランド隊、韓国隊などの新興勢力が台頭し、アルパインクライマーが減少傾向の中で次第に力を失っていった。そういう意味で今回頂上は逃したものの、日本隊の健在振りを証明した点で価値あるものと思います。

なお、同時期に同じルートを目指した韓国隊と競合したようですが、今回完登した第2次隊のメンバーは田辺、山口、ペンバ・ チョルテの3名事です。残念ながら山頂までは41mを残し時間切れで断念した様です。

以下は8/26 asahi. com 群馬版からの引用です

国内での最終トレ-ニングを重ねる名塚秀二さん
前橋市元総社町の登山家、名塚秀二さん(46)=前橋山岳会=が9月、ヒマラヤ最難壁の一つ、ローツェ(8516メートル)南壁での冬季の初登はんに向けて出発する。ローツェ南壁の前に登るダウラギリ1峰(8167メートル)も成功すれば、世界に1座ある8千メートル峰のうち10座(11回)の登頂となり、沼田市出身の故山田昇さん(9座12回、89年死去)を抜き、日本人の最多を記録する。

登山隊を派遣するのは名古屋市の日本山岳会東海支部。名塚さんは93年にサガルマタ英名エベレスト)南西壁の冬季初登はんを成功させた。日本人では数少ない冬季の8千メートル峰登頂の経験者で、同支部から要請を受けて参加する。

9月中旬にネパール入りし、ベースキャンプを設置。12月初旬から登はんを開し、同月下旬の登頂を目指す。同支部の偵察では、最終キャンプ(8100メートル)から頂上までに、50メートル以上の困難な岩壁があることが分かっている。

8千メートルでの酸素は、平地の約3分の1。名塚さんはサガルマタの8500メートル付近で、数メートルの壁の登はんを終えた後、3~4分間、動けなくなった経験がある「乾期の冬は岩に雪がついていない分、難しさが増す。今回はサガルマタの壁の数倍の高さがあり、厳しさは上ではないか」という。

名塚さんは高度への順応を兼ね、10月に群馬ミヤマ山岳会とともにダウラギリ1峰(8167メートル)の登頂にも参加する。名塚さん自身、同峰は未踏。ローツェとともに成功すれば、日本人初の10座目の8千メートル峰登頂者となる。「漠然としていた14座登頂が見えてきた。最難関の南壁を越えることで、さらに先につなげたい」と名塚さん。

ローツェ南壁は、14座すべてを最初に登頂したラインホルト・メスナー(イタリア)が89年春に挑戦したが失敗。「21世紀の課題」と評されるなど、ヒマラヤ屈指の壁とされている。これまでにスロベニアのトモ・チェセンが90年5月に無酸素、単独で、同年秋には旧ソ連隊の17人が別ルートで登頂している。冬季は2度試みられたが、だれもルート核心部に達していない。

壁の標高差は3300メートル。風速100メートルのジェット気流が吹き荒れる冬には、体感気温がマイナス100度になることもあるといい、落石、落氷を避けながらの最悪の環境での登はんになる。予定しているルートはチェセンとほぼ同じ。単独で登ったチェセンの初登はんは、真偽をめぐって10年以上も論争が続いている。残したハーケンなどが見つかれば、論争に結論が出せると期待されている。

日本山岳会東海支部のWebサイト

http://www.jac-tokai.jp/page104.html


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