3. 山スキーヤーとモビラーの共存関係は?
山スキーヤーとスノーモービルの愛好家(以下 モビラー)との接点は、私の範囲内では以外に少なく、僅かに鳥海山で2度出会っただけだ。もちろんゲレンデを整備するスタッフとか、蔵王の馬の背の稜線で標識などの整備をしているケースを除いてである。また、朝日連峰で5月の連休のころ、熊打ちをする為の狩猟目的の方々、山仕事の為の方々も同様です。
確かに現状では私達の行動中に遭遇することは少なく、たまに出会っても私達の行動を妨げたり、またトラブルに発展すると言うケースは無かった。そういう意味では、彼らも山スキーヤーとあえてバッティングするコース、時期を避けたりしているとい可能性も有り、必ずしも相互に敵対的な関係と言う雰囲気は無い。しかし悲劇的なことは、モビラーの誉る白い無限の斜面と、山スキーヤーが垂涎の的とする美しい斜面が同じ対象だと言うことだ。
山スキーヤーとモビラーの境界線、あるいは能力の限界点は何処にあるかと考えると、最近の東北の山々では残念ながら殆ど差が無い。もちろん急峻な尾根・谷筋の連続する飯豊・朝日のようなエリアは別にしての話だが、広大な裾野の広がる鳥海山や、素晴らしいブナ林の広がる月山・赤見堂周辺、たおやかな山並みの広がる蔵王・吾妻連峰などは同じ事が言える。むしろ、鳥海山の山頂まで一気にスノーモービルが駆け上がる様に、強力なパワーを持つ機械力には人間の力などは敵う筈も無く、同じ土俵なら遥かに我々を凌駕している事を認めざるを得ない。何しろ我々が6時間半かけて辿りついた七ッ釜小屋に、モビラー達は僅か30分で到着したと言う事だから。
この現実を考えると、山スキーヤーが持つ古典的な価値観・スタイルと、彼らが行動しているそれとはあまりにも大きな隔たりが有り、お互い共通の価値観など見出せない様にも思える。共通の価値観の無い所にお互いのルール作りなどという発想も無く、ただ反目して感情的に走ると言う可能性もある。そういう意味だけでの解決は困難と思われる。その結果、解決の糸口としては例えば公的な機関、または環境保護団体や登山ガイドの組織団体など、多くの関係者を交えた意見の交換を行い、中立的な立場に立ったコンセンサス造りが必要になると思います。ただ、これ以前に多くの関係者が関心を持つと言う事が重要であり、我々山スキーヤーの務めとしては、少しでも現場での事例を報告してもらい、重要なデータ作りをする必要があると思います。要するに、山スキーヤーはこんなに迷惑していると言う事を数多く発信する事です。
4. スノーモービル利用者の複雑な関係。
スノーモービルの問題を取り上げる場合、山に乗り入れる方の全て対して同じ論調で言えない事情も有ります。例えば、山仕事やダム・水門の管理、狩猟目的で利用する方、冬季は車の通行が困難になり、生活の手段として利用する方など。叉は遭難事故が起こった際には救助の目的で迅速に現場に駆けつける救助隊、災害・豪雪などでレスキュー活動をされる方など、様々な利用の形態が有る。生活に根ざした方々にとっては時には生命線であり、叉は先祖伝来の伝統的文化でも有り、場合によっては既得権だって考えられます。その為、一律な規制で問題が解決するとは限らず、それぞれの諸事情を考慮した上での協議が必要な訳で、これは決して容易な事でもないと思います。
実際問題として、我々山屋、山スキーヤーでさえ遭難するとすると逆にお世話になったり、叉は望まなくてもアプローチで結果的にトレースに助けられたりします。また以外だったのは、モビラーの中には山スキーヤーも含まれているケースも有り、スノーモービルにピックアップしてもらって滑りを楽しむ人もいるらしい。こうなると話はやや複雑で、山屋・山スキーヤーでさえ全てが反対の立場とは限らない。実を言うとこの自分も大朝日岳を目指した時、アプローチの林道歩きを敬遠し、チャーターしたスノーモービルをちゃっかり利用した事もある。こういう現実問題を整理した上、お互いの立場を尊重しながら話を進める必要が有りそうです。 続く
/kaeru_snow/}
山スキーヤーとスノーモービルの愛好家(以下 モビラー)との接点は、私の範囲内では以外に少なく、僅かに鳥海山で2度出会っただけだ。もちろんゲレンデを整備するスタッフとか、蔵王の馬の背の稜線で標識などの整備をしているケースを除いてである。また、朝日連峰で5月の連休のころ、熊打ちをする為の狩猟目的の方々、山仕事の為の方々も同様です。
確かに現状では私達の行動中に遭遇することは少なく、たまに出会っても私達の行動を妨げたり、またトラブルに発展すると言うケースは無かった。そういう意味では、彼らも山スキーヤーとあえてバッティングするコース、時期を避けたりしているとい可能性も有り、必ずしも相互に敵対的な関係と言う雰囲気は無い。しかし悲劇的なことは、モビラーの誉る白い無限の斜面と、山スキーヤーが垂涎の的とする美しい斜面が同じ対象だと言うことだ。
山スキーヤーとモビラーの境界線、あるいは能力の限界点は何処にあるかと考えると、最近の東北の山々では残念ながら殆ど差が無い。もちろん急峻な尾根・谷筋の連続する飯豊・朝日のようなエリアは別にしての話だが、広大な裾野の広がる鳥海山や、素晴らしいブナ林の広がる月山・赤見堂周辺、たおやかな山並みの広がる蔵王・吾妻連峰などは同じ事が言える。むしろ、鳥海山の山頂まで一気にスノーモービルが駆け上がる様に、強力なパワーを持つ機械力には人間の力などは敵う筈も無く、同じ土俵なら遥かに我々を凌駕している事を認めざるを得ない。何しろ我々が6時間半かけて辿りついた七ッ釜小屋に、モビラー達は僅か30分で到着したと言う事だから。
この現実を考えると、山スキーヤーが持つ古典的な価値観・スタイルと、彼らが行動しているそれとはあまりにも大きな隔たりが有り、お互い共通の価値観など見出せない様にも思える。共通の価値観の無い所にお互いのルール作りなどという発想も無く、ただ反目して感情的に走ると言う可能性もある。そういう意味だけでの解決は困難と思われる。その結果、解決の糸口としては例えば公的な機関、または環境保護団体や登山ガイドの組織団体など、多くの関係者を交えた意見の交換を行い、中立的な立場に立ったコンセンサス造りが必要になると思います。ただ、これ以前に多くの関係者が関心を持つと言う事が重要であり、我々山スキーヤーの務めとしては、少しでも現場での事例を報告してもらい、重要なデータ作りをする必要があると思います。要するに、山スキーヤーはこんなに迷惑していると言う事を数多く発信する事です。
4. スノーモービル利用者の複雑な関係。
スノーモービルの問題を取り上げる場合、山に乗り入れる方の全て対して同じ論調で言えない事情も有ります。例えば、山仕事やダム・水門の管理、狩猟目的で利用する方、冬季は車の通行が困難になり、生活の手段として利用する方など。叉は遭難事故が起こった際には救助の目的で迅速に現場に駆けつける救助隊、災害・豪雪などでレスキュー活動をされる方など、様々な利用の形態が有る。生活に根ざした方々にとっては時には生命線であり、叉は先祖伝来の伝統的文化でも有り、場合によっては既得権だって考えられます。その為、一律な規制で問題が解決するとは限らず、それぞれの諸事情を考慮した上での協議が必要な訳で、これは決して容易な事でもないと思います。
実際問題として、我々山屋、山スキーヤーでさえ遭難するとすると逆にお世話になったり、叉は望まなくてもアプローチで結果的にトレースに助けられたりします。また以外だったのは、モビラーの中には山スキーヤーも含まれているケースも有り、スノーモービルにピックアップしてもらって滑りを楽しむ人もいるらしい。こうなると話はやや複雑で、山屋・山スキーヤーでさえ全てが反対の立場とは限らない。実を言うとこの自分も大朝日岳を目指した時、アプローチの林道歩きを敬遠し、チャーターしたスノーモービルをちゃっかり利用した事もある。こういう現実問題を整理した上、お互いの立場を尊重しながら話を進める必要が有りそうです。 続く
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