東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

朝日連峰山開き 古寺鉱泉~大朝日岳~鳥原山~古寺鉱泉 2024.06.15~16

2024年06月18日 | 山歩き
毎年、鳥原山の「霊山朝日嶽神社」で開催されている朝日連峰の山開きに初めて参加。地元の各山岳会はもちろん西川町長を始めとした関係者多数が参加し、山の安全を祈願しての厳かつ賑やかに開催された。
西川山岳会では宴会担当4名が大朝日小屋泊し、他に鳥原小屋迫と日帰り組が参加して結構なメンツが勢ぞろいという雰囲気だった。
期待したヒメサユリ街道はまだ寂しい雰囲気だが、あと3~5日すると熊越から銀玉水までの間は見事な開花となるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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イエティの噂話 1975年10月 アンナプルナサウス登山隊のお土産話。

2024年06月13日 | 東日本大震災
最近すっかり影を潜めたヒマラヤのイエティの話題だが、30~40年前には様々な雪男探検隊がネパールを訪れ、一時はブームになって皆さんご記憶に有る方も多いと思います。
しかし、数多くの探索隊がネパールに入って調査を試みたもの、決定的な画像・足跡・物的な証拠品は発見されず、やがてその熱も冷めて行く事になった。
実は、自分が1975年10月にネパールのアンナプルナサウス登山隊に参加した際、実に奇妙な足跡の様なものに遭遇したことが有る。5200mのC2キャンプに滞在していた高橋隊員が早朝に発見したもので、足跡らしきものはルート上の狭くて両側とも切れ落ちた尾根を北側から南側に越えて下の氷河に駆け下ったように見えた。
夜間の降雪のために足跡は不鮮明な状態で、これがイエティと断定できる程のものではなかったが、今でも記憶に新しくまた思いで深い物となっている。
この論争は2003年の根深誠氏の「イエティのチベットヒグマ説」によりある程度の終息を見た感が有り、その後はあまり話題に上る事もなくなった。
またヒグマ説以外には、エサのない6000m位の標高迄登るのが不思議だが雪ヒョウ説も有る。但し、生息域は中央アジアやインドの高山地帯で、ネパールではマナン地方で僅かに見られるが、アンナプルナ山域での目撃情報はきわめて少ない様だ。
しかし、48年たった今となっても自分ではイエティ肯定派の立ち位置は変わらず、大きなロマンを抱えながら登山人生を終える事
を誇らしげにも感じています。
野生動物の生態に詳しい方のコメントを歓迎します。
 
 
C2で早朝に足跡を発見。
 
登ってきた北斜面の下は絶壁。
 
昨夜の風雪で不鮮明な足跡。
 
足跡
 
アンナプルナ氷河より急峻な北斜面を超えて尾根上に達したように見える。
 
トサカ尾根の北斜面から南斜面のガネッシュ氷河に下降したように見える。
 
ガネッシュ氷河の雪崩。
 
C2から先は鋭く切れ落ちたトサカ尾根。
 
足跡
 
不鮮明だが足跡の形に思える。
 
ユキヒョウの足跡 インドヒマラヤ?
 
ヒグマの足跡 足跡は左右に振れ、足の形も足跡の画像とは異なる。
 
熊の足跡。
 
 
「イエティの噂話」
 
 
 
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48年前の古いヒマラヤの記憶 1975年10月

2024年06月09日 | ヒマラヤ
19歳で社会人山岳会の門をたたきクライミングを初めて3年目、ネパールのアンナプルナサウス(7219m)の北峰の未踏ルートを目指した登山隊に参加したが、厳しいナイフリッジに歯が立たずあえなく敗退。
今思えば無謀な計画でとても我々が手に負えるルートではなかったが、この頃からヒマラヤ至上主義の世界に足を踏み入れてしまった。
当時はヒマラヤと仕事のどちらが大事かと言われると仕事を捨てて参加するのが常識だった。こんなヤクザ的な山屋の世界にいたが結局自分では物にならず、ヒマラヤ登山は中途半端な結果で終わってしまった。その後2隊が同じルートを目指したが成功していない。
(一部のスライドは同行したTさんより)
 
 
 
アンナプルナサウス (7219m) 北峰
背景はアンナプルナ1峰(8091 m) 南壁
この尾根の突破に2週間位を要した。
「トサカ尾根」と称するリッジを辿る。
固定ロープは有るが落ちると果たして止まるのか?
中央の1段目のバンド迄達して退却。
C2を眼下にルートは続く。バックはマチャプチャレ( 6,993 m)
アンナプルナ内院のファング(7616m)
北峰に至る急峻なアイスリッジを目指したが敗退。
C2付近にて足跡の様なものを発見。
平均年齢25年位のシェルパレスのビンボー登山隊。つまり、シェルパを雇う金がなかった。
 
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不忘山~水引入道 (ジャンボリーコース) 2024.06.01

2024年06月02日 | 山歩き
宮城蔵王はかつて山スキーのホームゲレンデで、1月~3月の冬期は熊野岳~不忘山の面白そうな東側斜面はほぼトレースしている。
しかし、無雪期となると余り歩いた記憶が無く、3年前からぼちぼち花見見物しているが、結果として新鮮味のあるコースを残しておいてよかった。紅葉見物も良し今から歩くコースに困ることもなさそうだ。
最近はすっかりサボリ癖が付いてしまい、何時もスタートが8時過ぎになる事が多いが、今日は天候不順を嫌ったお客さんが多かったのか静かな山でした。
所用時間 8時間半 天候 曇りのち小雨
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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