東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

行政と愛好者ら初の話し合い 月山周辺のスノーモービル問題

2007年07月29日 | スノーモービル問題
               2007.04.15 鳥海山 御田ヶ原コースにて

27日(金)の新聞報道で山形県の行政側が、スノーモービル愛好者の団体との話し合いを持ったとあった。この話し合いはスノーモービル愛好者の団体からの申し入れで行われ、行政側がこれに応じた事に興味深いものが有ります。

このスノーモービル問題に最近関心が集まり、当事者から前向きな姿勢が動きが出てきた事は前進とも思えます。また行政側が森林生態系保護などの観点から引き続き乗り入れ自粛を求めた事に、当然の回答を出したという印象も持ちました。

今後も行政側で愛好者との話し合いを重ねていく方針の様ですが、ここで一つ注文を出しておきたいのです。この問題に関心を持ち、あるいは利害関係を持っているのはスノーモービル愛好者の皆さんだけでは有りません。山スキーヤー・冬山登山者はもちろん、狩猟をする人あるいは林業関係・地域で生活の足として利用している方、市町村の山岳遭難救助を担っている方々など、様々な方が関係していると思われます。

もしある特定の団体だけとの話し合いで今後の基本方針が決まってしまうと、誰でもが納得できる結論を出すのは難しいでしょう。出来れば話し合いは行政主導で行い、参加者の間口をもっと広げて欲しいのです。例えば狩猟団体あるいは地域のリーダーの方々・山スキー&冬山を積極的に展開する山岳団体・バックカントリーツアーを行うガイドあるいはスクール、旅館・ペンションのオーナー、山岳救助に携わる方々など。それぞれの目的が異なり、立場が違ったりするのでより多くの議論が期待出来るともいえます。少なくとも行政側には現場で携わる当事者の意見に耳を傾けて欲しいと思います。

ただもっと個人的に興味あるのは、鳥海山東面エリアについて、「秋田県の行政側ではどう考えているんですか?」と言う事なんですけどね・・・。

7月27日(金)山形新聞の報道記事
http://www.yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200707/27/news20070727_0385.php


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

割り箸受難の時

2007年07月25日 | 林業

最近、割り箸の問題がチラホラ取りあげられている様ですが、何となく釈然としない思いを感じています。

日本人で割り箸のお世話になっていない人は殆どいないと思いますが、何時の時代に登場したのか知りませんが、このアイテムは日本人独自の創意工夫、世界にも類を見ない素晴らしい発明だと思っています。いや、大げさに言えば日本を象徴する文化的な遺産とも思えます。なぜなら箸を使う中国、韓国、ベトナムなどでも、箸といえばあの少しごつい塗り箸が普通で、使ったらポイ捨てをいう事はまず有りえない。

お風呂好きの日本人で想像がつく様に、この使い捨ての箸は清潔で利便性抜群。日本では時代の変遷を経て今なお重要な役割を果たしている。外食産業では必須のアイテムで有る事はもちろん、家庭内でさえ消費される量も多く、日本人にとってはなくてはならない必需品。

しかし、最近この割り箸が非難の対象となり、環境保護・地球温暖化の意識向上と共に非難される立場になって来た。しかし、居酒屋で「マイ箸」を持つのがスマートと見えるが、本当はただの「新しい物好き」または「環境に優しい症候群」では有りませんか?つまり地球資源保護・環境保全という永久不滅のテーマの基、いかにもマスコミ受けする様なキャンペーンが目立って来た気がする。

現在割り箸は日本では中国からの輸入品が90%を占め、最近は中国政府からも輸出の制限を受け、@100ショップなどでは本数を半分にして対応している。いかにも森林の少ない中国からの輸入はまるで環境破壊そのものと思えるが、しかし中国製品の箸の源材料は殆どロシア・モンゴルに頼っている。つまり中国は格安な加工所を提供しているに過ぎない。しかし残念ながら日本では間伐材の伐採・運搬・製材・加工となるとコスト高となり、人件費が10分の1以下の中国産とまともに勝負できない。

もともと日本の割り箸は杉丸太を製材した時の端材を使った物で、「もったいない精神」を受け継いだ、日本人特有の文化的副産物だった。その為、建築現場で使用されている様な型枠材・集製材・合板の材料などの膨大な資源の消費とは異なり、素材生産の総量からするとほんの微量でしかない。

しかしなぜ国産の割り箸が衰退したかと言うと、中国でシベリヤ産の丸太をかつら剥きする低コストの生産方式と異なり、手間のかかる端材の非効率な生産方式のコスト高によるところが多い。零細しかも高齢者が支えてきた生産者は激減し、国内の割り箸業界は殆ど壊滅状態と言われる。

最近有名な某居酒屋チェーンの社長さんがTVに登場し、一切の割り箸を使わず塗り箸に転換すると言っていた。しかしいかにも安易なマスコミ受けを狙った感が有り、この塗り箸を使うならばより多くの水道水とガス・石油を使い、必ずしも大会社が大好きな「環境に優しい」という心地よいフレーズとはかけ離れるのでは?こういう意地悪も言ってみたい気分にもなる。

今は違法伐採が横行しているロシア産丸太が問題視され、出所を明示した森林認証制度が関心を集めている。また、シベリヤで切り出されカラマツなどは日本と異なり、凍土の上に載っているだけのため、伐採されると3000年位は再生しないと言われている。それに比べて湿潤かつ温暖な日本の植生では、仮に樹木を伐採しても20年くらいで天然更新が進み、50年も経てば立派な森林に再生する。まあ、土砂が流出する様な状態を防いでのはなしだが・・・。

つまり言いたい事は、杉・檜などを使った割り箸をもっと活用してもらいたいと言う事です。20年ほどの若い間伐材ではきれいに割れない為不適だが、25~50年くらいの間伐材を活用し、しかも低コストな割り箸があっても良い。最近日本では無駄なく心材までかつら剥き出来る機械も開発され、殆ど無駄なく活用できる工夫がなされているらしい。名前は「間伐材活用」ではなく、れっきとした「国産材使用」と明記してもらいたい。

あの有名な居酒屋チェーンの社長さん、どうせやるなら会社で零細割り箸生産者に機械をプレゼントし、間伐材で生産した割り箸を使ったらどうですか?居酒屋チェーン店はもちろん、老人介護施設などでも需要が有り、割り箸の袋には環境問題に真剣に取り組んでいる旨を書けば良いのです。

それとあの逆境の中国製品と言えば、あの白過ぎる割り箸は一抹の不安が付きまといます。

※ 雑用に追われ、未だに山は遠ざかる一方です・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草木塔

2007年07月16日 | 林業


「草木塔」?。この名前をご存知の方はどの位いるでしょうか?実は自分も名前は聞いた事はあったが、その歴史的な背景とそこにこめられた意味を知ったのは最近の事だった。

草木塔は、江戸中期の安永年間、上杉鷹山公の時代に建立されはじめた草木の魂を供養するための石碑です。 草木にも人間と同じように霊魂が宿り、その草木を伐り倒し恩恵を得ることに対する感謝と供養の心が込められています。全国的で100基に満たないとされる草木塔のうち、60基余りが山形県の米沢市を中心とした置賜地方で確認されています。素朴さと優しさを感じさせるその石碑は、草木への感謝の思いをこめ、静かに風景な中にあります。この五十八基のうち最古のものは、米沢市塩地平にある草木供養塔で一七八〇年(安永九年)に建立されました。

このきわめてユニークな石碑の由来は、草木の生命を人々の生活に取り入れるために採取したり、伐採したりした草木の霊を慰めようという思想から生まれたものと考えられています。今、世界中でフロンガスによるオゾン層の破壊や、二酸化炭素増大の一因とされる木の伐採による緑の減少など、これらの環境問題が大きくクロ-ズアップされていますが、先人の残した教訓はいまに改めて認識すべきものでしょう。

【ある草木塔に寄せた梅原猛氏の讃】

「草木塔」というものが山形県にたくさんあることを聞いて、私は一種の感動を禁じえなかった。それは、少なくとも私の住んでいる近畿地方には存在しないが、まさにそれは日本仏教の《山川草木悉皆成仏》という思想を具現化したものである。私は、日本に仏教が入って《山川草木悉皆成仏》というような思想ができたのは、もともと日本には草や木に生きた神を見る思想があったからだと思う。
 山形にこのような草木塔が多いのは、そこには多分に一木一草の中に神性を見る土着思想が強く残っていたからであろう。
 今ここに新しい現代の草木塔が建立されるという、それは目立たないけれど、甚だ時世にそった快挙であると思う。今、世界の人はもう一度人間の生命がいかに草木の生命とつながっていて、草木とのつながりなくして人間の生命がありえないことを深く認識しなければならない。この時にあたって、新しい草木塔の建立は、時代に一つの警鐘を与えるものであとうと思う。」 梅原猛 国際日本文化研究センター所長 哲学者

○ 梅原猛/1925年、仙台市出身。哲学者、文化勲章受章。ものつくり大学初代総長等を歴任。著書:「梅原猛の授業 仏教」2002年、「水底の歌 柿本人麿論」1973年、など多数。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミイラは生きている」 NHKスペシャル

2007年07月02日 | その他山関連
                      アコンカグアの南壁

世界遺産ブームが続く日本。中でも南米アンデスの空中都市・マチュピチュの人気は高い。マチュピチュを生んだインカ文明を取り上げた、「ミイラは生きている」NHKスペシャルを興味深く見た。インカ文明についてはあまり知識が無かったが、ミイラを「生きた存在」と考えたインカでは、神に捧げる為に10~15歳程の子供を生贄にしたらしい。しかし、その場所が標高6700mの高所と言うから驚いてしまった。

番組では山の名前には触れていなかったが、アンデスでこの高度を保った山はアコンガグア(6959m)しかないだろう。アコンカグアは、アルゼンチンとチリの国境に聳える山で、アンデスはもとより南北アメリカの最高峰である。また、山の高さだけでなく、その堂々といた山容から他を圧倒する大きさが有り、昔からインカの人々にあがめられていた山の様だ。

1883年、アコンカグアの登頂が初めて試みられたが、初めてその山頂が踏まれたのは1897年1月14日で、イギリスのエドワード・フイッッツジェラルド率いる遠征隊のスイス人ガイド マティアス・ツールブリッケンによって成された。その後インドヒマラヤのトリスル1峰(7120m)が1907年に登頂され、人類が始めて7000mラインを始めて越えた。

そんな高所登山の基礎知識しかない自分にとって、およそ4~500年前のインカの人々がアンデスの高峰目指し、6700mに達したばかりか地下に深い穴を掘り、幼い子供を生贄にした事は驚く。5000m位ならばまだ納得も出来るが、この高度となるといかに高所慣れしたインカの人々とはいえ信じがたい。しかし、確かに生贄にされた現場での眼下の光景はその通りであった。

ヒマラヤでの高所順応の一般的な知識として、4000mと6000mラインの2段階が重要なステップと言われている。たとえ8000mを目指す高所クライマーでさえ例外ではなく、基本的なセオリーを踏んで山頂に達するのが常識。これを無視するならば必ず高度障害を引き起こし、登山の失敗はもちろん場合によっては順応中でさえ命を失うケースもある。しかし、このインカの生贄にされたのはまだ幼い子供で、徒歩で登ったのか担がれたのかは不明だが、確かな高所順応をしていたと見られる。その証は胃袋には食物が残っており、高所に良く適応して食欲が有った事で解る。

幼い子供ならば呼吸器系なども未発達で、肺活量も少なくて高所順応には大人と違って不向きの筈だ。しかもまともな防寒具もなければテントも無く、コンロも無いので高所では必須の多量の水分補給さえなかったと思われる。何がしかの高所順応のノウハウが有ったかもし知れないが、大人でも生死をかけた信仰行事だったと思われ、それ以上に子供の犠牲者もいただろう。そうなるとこれは純粋な登山行為とは言えないが、当時アコンカグアの初登頂が成された可能性も有る。
          
ヒマラヤなどの高峰では山岳信仰された話はあまり無く、チベットを除いて殆ど宗教的なな色彩は感じられない。イスラム教・キリスト教等のような一神教の文化圏とは異なり、多神教の日本の様に山も神と崇めた山岳信仰の民族は稀な様だが、ここインカでは神への熱い信仰心が有ったと言う点で興味深い。


※長文の昔の記録で恐縮ですが、お暇な方は覗いて下さい。

トリスル1峰 西壁ユーゴスラビアルート第2登 1981年10月

http://f58.aaa.livedoor.jp/~yamadori/torisul1981.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする