こんな静寂な世界には不似合いの面々。
先日、36年ぶりに訪れた二口の小松原沢だが、翆雲荘を通過しなかったのは残念だった。この木造平屋の古い建物は、かつてブナ林が伐採されていた頃の営林署の小屋で、今でも登山者には解放されている。当時は小屋近くまで車の乗り入れが可能で、山屋連中の宴会場としても利用価値が高かった。
当時所属していた山岳会は仙台では珍しい個人山行主体の会だが、2か月に1回の定例山行と11月の富士山雪訓が数少ない会の行事で、目的の大半が宴会にある事は常識だった。当然酒が入れはボルテージは上がる一方で、一升ビンが何本か空になる朝方まで騒いでいるメンツが必ずいた。
ここで悲惨なめにあったのはたまたま一緒になってしまった登山者で、その雰囲気には文句の一つも言えず眠ったふりをするしかないのだ。言わばまったく座敷牢状態で、その牢名主は大体我々が務めていた。何時から小屋の消灯時間が決まったか知らないが、その当時は声のでかいやつがこの世を制していた。
そこで登場するのがS氏&T氏で、当初は陽気に騒いでいるだけだったが、自分が酔いつぶれて寝込んだ後の深夜、突然の物音に目が覚めてしまった。「コノヤロー!」「テメー!」という大声と、顔面にヒットするパンチの音。途中で何発かの蹴りが入った模様で、「表に出ろ!」とどこかの三流ヤクザ映画のセリフが実にチープだった。
片方のT氏は80kg位はある巨漢で、一人で乗用車を持ち上げて移動したのを見た者がいる。手の平はまるでグローブの様な大きさで、まともにパンチを食らったらただでは済まないだろう。
一方のS氏はというと、細身の体でチョップや回し蹴りが素早く、結構見栄えのするいい勝負だった。決して人柄は悪くはないのだが、何かと人にけしかけて挑発する癖があり、過去にも定例山行で同じ様な対局があったらしい。
ここで災難を被ったのは地元大学のワンゲル部の皆さんで、その勢いに圧倒されてかシュラフから出られない状態で、只々無言の状態で実にお気の毒だった。結局、場外乱闘の結果はドローとなり、ぶち抜かれた板戸がそのすさまじさを物語っていた。
翌朝は二人とも顔に青タンを作って腫れ上がっていたが、何事もなかった様な雰囲気で朝飯を済ませ、特におめでたいS氏は殆ど記憶が無い様だった。結局、沢の中でもどしながらも小松原沢を登り切って南沢を下降し、何時もの様に仙台に帰って行った。
※なお、お断りしておきますが、私たちは決して極左・極右の暴力集団ではなく、この点を除けば善良な市民です。 しかしこの二人、33年も経った後のOB忘年会で、まったく同じ事を繰り返すのでした。
ここで被害に会われた皆様方には深くお詫び申し上げます。今頃遅いですが・・・。
※二口 小松原沢左俣(小松倉沢)2010.08.22