1ヶ月位前の話だが、田舎の物置を物色していたら山と渓谷社がかつて発行していた「岩と雪」No.9~128号(古い号は5部ほど欠けている)がそっくり出てきた。
今の現役クライマーの方はもうご存知無いかもしれないが、かつて日本のアルパインクライミング、ヒマラヤ登山を根底から支え、その当時の日本人クライマーのレベルを世界トップレベルまで押し上げる媒体となった雑誌だ。この雑誌なくして今の日本登山界は育なかったといっても言い過ぎではない。
今やフリークライミング・ボルダリングメインでければ雑誌にあらず、アルパインクライミング、ヒマラヤ登山などの雑誌ではまったく相手にされず商売にならない。当時夢中になっていた中高年山屋としては実に寂しい限りだが、いま拾い読みしてみても当時の山屋の熱い情熱が伝わってきて面白い。その当時、中央の情報はこの雑誌のみからという様な田舎仙台の人間は、発売されるとむさぼる様にして読んでいた。
そんなレベルの高い記録ではなく遠い昔の話で恐縮だが、41号に「朝日連邦・障子岳東面開拓」(1974年7月の記録)という記録が有る。「仙台海外登山研究会」というえらく大げさな名前で気恥ずかしいが、自分もそのメンバーの一人として記録を書いていた。
東面スラブは高度差250~300m、幅700mあまりの花崗岩のスラブ岩壁だが、その当時はフラットソールの靴など有るはずも無く、ビブラムソールのいわゆる「ドタ靴」で開拓した岩場だった。ルートは8本程開かれ300~350m位の長さ。今となっては登山スタイル・価値観も大きく変化し、このようなルートはグレードも下がって誰も登る人などいない。しかし東北では稀な明るく乾いた花崗岩のスラブ壁は快適で豪快。スラブ壁につき物のいやらしい草付きや面倒な藪こぎが一切なく、東北地方では珍しいスラブ群だと思う。今のような高難度を追求するようなフリークライミングとはまったく次元が違い、沢登りとも言えないクラッシックなスタイルだが、それなりに価値が有る登山行為と今でも思っている。
最近は沢登りなどぼちぼち再開しているが、その延長で機会があれば新緑の時期、叉は紅葉の時期に一度訪れてみたいと密かに思っている。グレードの高さとか、ムーブの難しさなどはどうでも良く、ただひたすら駆け上がるようにして登り切る事に興味が有る。今はその様な力は残っていないだろうが、マイペースでも自分のレベルに応じた登りも結構楽しいように思える。