東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

2007年の山スキー棚卸

2007年05月30日 | 山スキー
               2007.01 鳥海山 七高山

今シーズンは何時になく早めの板納めとなり、最近はぽっかりと穴が開いた様な空虚感の有る日々。最後の飯豊山行も悪天候で中途半端となり、何か後を引きずる様な気分でぱっとしなかった。しかしもう一度北股岳の山頂に立とうという気も起こらず、デブリと洗濯板の様な斜面を連想し、モチベーションは下がる一方だった。

今年は暖冬で全国的に山スキーも低調だったのか、目を見張るような新しいコースの開拓や派手なルンゼ滑降、または長大なコースの走破記録などが少なかった。それにあれ程盛り上がっていたバックカントリー系のテマーカー・スノーボーダーの皆さんの姿も少なく、関連ブログを覗いても更新もされず低調な雰囲気。なるほどパウダースノーを追い求める向きには退屈な年だろう。でもアイスバーン・モナカ雪・湿雪・ザラメ雪など、何でも有りの山スキーヤーは落胆する事も無い。むしろ暖冬傾向の時こそ困難な壁が突き破られ、新しい世界が広がる可能性が出てくる。

また、今年はこれ程GPSにお世話になるとは思わなかった。GPSについては人によってそれぞれ価値観は異なると思うが、今までは消極的な位置づけだったのが積極的な使い方に変わり、山スキーのプランニング・スタイルに大きな役割を果たす事となりそうだ。悪天候でもコースミスする事は少なく、しかもロス時間無く帰ってこれる事は計算がし易い。鳥海山・月山の厳冬期の山行などには大きな武器となり、また新たな可能性が出てくるだろう。

今年はあれ程通いなれた蔵王にはまったく食指が動かず、下部が薮がらみのコガ沢・北屏風東壁は結局訪れる事もなかった。しかしその反面、普段は登頂はおろか近づく事さえ困難な鳥海山の、ほぼまぐれと言って良い元旦登頂など出来てしまう。旨く好天を摑めば1~4月でも七高山のワンデー登頂が可能となり、今までに無い選択肢が増えて面白くなった。残念ながら首都圏の山スキーヤーさんには機会薄だろうが、地元山スキーヤーにとっては嬉しいチャンス。天気図を読み込み、少し早立ちを心掛ければそう難しくはないと思います。

また鳥海山の御田ヶ原コースも意外と素晴らしく、これで鳥海山東面の上ノ台コース・ビア沢コースを入れた3部作が整った。雪が豊富で雪質も良い東面のエリアこそ、もっと多くの山スキーヤーが訪れて良いと思う。春スキーの既成コースに物足りない向きにはお勧めで、きっと期待を裏切らない素晴らしいフィールドが待っているでしょう。ただ、鬱陶しいスノーモービルのトラックベルトと、静寂をぶち壊すフルスロットルのエンジン音を除けば・・・。

自分ではランク付けはあまり好きでは無いが、あえてベスト3上げるとすると次の通りだろうか。①鳥海山 湯ノ台コース~七高山(1月) ②朝日連峰 赤見堂岳~北尾根(1月)③朝日連峰 障子岳周遊(4月)。もう少し欲張ったプランも有ったが結局計画倒れとなり、もう少し作戦を練り直して来年の宿題として暖めておきたい。

とにかく事故とかこれといったトラブルもなく、仲間と旨い酒を飲みながら楽しく過ごせた事が嬉しい。山岳会の皆さん、山小屋でお会いした先輩・山スキーヤー、拙サイトにご訪問頂いた皆様など、お付き合い頂いた多くの方ありがとうございます。



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「登山の森へ」 遠藤甲太著

2007年05月25日 | その他山関連

そろそろ山スキーも一区切りがつき、暇な日々を送っています。
最近山の本などあまり読んでいないが、暇をもてあまして市の図書館から借りてきた一冊の本がある。その本は「登山の森」。著者は「詩人・エッセイスト」の遠藤甲太氏。一般的にご存知の無い方も多いと思いますが、あまり派手な記録ではないが、この方は日本のアルパインクライミングが絶頂期を迎える頃、長谷川恒夫がデビューする前の谷川岳一ルンゼ冬季初登攀、パキスタンの難峰カラコルム・ラトック1峰初登頂などの歴史的かつ輝かしい記録を持つ方。本業が文筆業で今は国内登山史の膨大なデーターを収集分析し、詳細かつ辛口な評論を書いている方です。

例えば新田次郎の作品については初期の「強力伝」を除いてはは二流三流の小説だとか、優れた山岳文学というのと、パキスタンのディラン峰登山をモデルにした北杜夫の「白きたおやかな峰」くらいとか、大作家をばっさりなで斬りするような事を書いている。読んでいると何かうなずける事もあって、なにか爽快な気分にしてくれるれる意外と面白い本だった。

この本の真骨頂は「登山史の落し物」という、正統派登山史にはまず記載されていない資料をベースにした、埋もれてしまったメンタルヒストリーを書いた本だった。ほうっておくと誰も見向かず、やがてはゴミになってしまう「落し物」だが、それは以外と我々地方山スキーヤー・山屋さんにも興味深い、埋もれた登山史年表の集大成でもあった。

ここに登場する著名な加藤文太郎、松濤明、小西政継の他、殆ど無名の立田實と言うクライマーが登場する。この名前は自分でも始めて知る方だが、実は1950~70年代、桁外れの情熱を持って「山」に対した方。若く45歳に満たない短い生涯のうち、おそらく5000日程を山行に費やし、日本の山岳、岩場を無尽に縦横したのち、世界の山々を巡り岩場を攀じた方。老舗の緑山岳会に所属していたが殆どは単独山行に徹し、谷川岳等の多くの冬季初登攀、北アルプス・南アルプス等で長大な冬季初縦走を行っている。南博人の一ノ倉沢南稜冬季初登の前年に実質的な冬季単独初登攀を行っている。南アルプスの厳冬期全山単独縦走のほか、当時はまだ探検的登山である、知床連山の厳冬期単独初縦走等(19歳頃)を皮切りに、世界ではアコンカグア南壁完登(第2登?)、アイガー北壁単独登攀、グランドジョラス北壁(1971年前後)、ナンガパルバット南壁偵察(単独)、ダウラギリ南柱状岩稜偵察、エベレスト8300m地点到達(シェルパになりすましてサウスコル上部まで)。

その後の彼は地球的放浪者となり、北米・南米・カラコルム・ネパールヒマラヤは勿論の事、アフリカ・アラスカ・中央アジアの山々に足跡を残している。当時はまだ世界の誰も着目しない、知る人ぞ知る先進的な目をした登山家だったとい言われている。まだ当時外国人には未解放のチベット入国(ラマ僧と一緒に)~ネパール~ブータンを経てビルマ入国。なにしろあのカリスマクライマー、森田勝も怒鳴られ蹴飛ばされて育ち、彼をしてものすごい人と言わしめた存在だったらしい。しかしこの孤高のクライマーは詳細な記録を残さず、むしろ亡くなる前には自らの記録を全て焼却処分してしまった為、彼を慕う多くの仲間による追悼集と、仲間による伝説的な記憶しか残っていない。

この方の様な破天荒なスケールとは行かないまでも、私の先輩諸氏にも同じ様な道をたどった方が一人いた。およそ34年前私が同じ山岳会に入った時には、ネパールヒマラヤ登山に向かっていて面識はなかったが、その後カラコルム・ネパールヒマラヤを放浪した後、大胆にも単独でネパールのランタンリ(7250m)を試登し、帰らぬ人となった人だ。今から36年程前、飯豊連峰の冬季初横断・厳冬季利尻山東稜・黒伏山南壁中央ルンゼ冬季初登攀等、東北では特異な先鋭的山行を実践した方だった。この方は立田寛と似て何か共通するものがある。

しかしこの面白い本は2800円。今の山屋さんでこれだけの散財をする人はどれだけいるだろうか?自分は残念ながらせいぜい680円の新書本どまりです。



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山菜の不作

2007年05月21日 | 田舎の話

どうも今年の山菜は不作の模様。
先週スカを食らったゼンマイ、ワラビを取りに早朝出かけたが、成果はゼンマイが5.0kgでワラビなどは1.0kgにも満たない状況。最近始末に手間のかかるゼンマイを取る人は少なく、殆ど人が入った様子も無くまあまだが、メインのワラビは押しなべて細く、何時も群生している場所でも数は少なくがっかり。今年は5月の連休頃でも低温が続き、ワラビはともかく日当たりの良い東斜面のワラビは壊滅状態。
 昨年の大雪の年も収穫はぱっとしなかったが、今年はこれを上回る不作で落胆してしまった。その為か早朝から山菜取りにやって来る車も少なく、何時に無くひっそりとした里山の光景でありました。仕方が無ければ畑のワラビでお茶を濁しか無いだろう。肥やしをふって野菜色をした細い代物ですが・・・。


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切捨て御免

2007年05月13日 | 林業
              私ではありませんが

久しぶりにチェーンソーを回したら良い気晴らしになった様な気分?
早起きしてゼンマイ・ワラビを取りに行ったらこれがまったくのスカ。この地ではまだ1週間ほど早い様で、まだはしりのか細い物がチョロチョロ程度で、とても収穫する程の代物ではなく退却。作戦変更で2度目のタラノメ・コシアブラを取りにいったらこれがもう遅く、しっかり開いてしまって後の祭り。3日も経つとすっかり盛りを過ぎてしまう。何処も中途半端でこれほど収穫が無いのも珍しい。

すっかり朝からストレスがたまってしまったが、気を取り直して杉の被害木処理でチェーンソーを回すと、何か気分がすっきりした様で良い汗を流した。切捨て間伐の要領でバッサバッサと切り捨てる。まあ、毎日本業でやっている人なら別だろうが、サンデーウッドマンにとっては良いストレス解消の時間ともなる。暗くて荒れていたのが見違えるような林になった時、満足感も十分で後で呑む酒も旨いという寸法。これに山菜のツマミがあれば言う事は無いのだが・・・。

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今が嬉しい山の恵み

2007年05月07日 | 林業

この時期は山に感謝したい最も好きな時期だ。実家の裏山は樹齢45年ほどの杉林だが、今の時期はコシアブラ・タラノメ・コゴミが取れ、自家消費が出来ない量は親戚・知人などに配り歩くのが楽しみの一つ。特に最近人気の有るコシアブラ・タラノメはちょうど良いタイミングで、1時間半くらいでタラノメ2.5kg・コシアブラ3.0kgの収穫。おまけに畑に植え付けた山ウドもどんどん成長し、3.0kg位引っこ抜いた。

じつはこの恵み、最近の里山の状況と無関係ではない。最近の中山間地では過疎化が進み、下刈り・間伐がされず荒れ放題になり、森林の荒廃が問題となっている。伐期40年以上になる杉林だが、殆ど手入れされていないとどうなるか?杉の木はモヤシの様ないわゆる「線香林」となり、細く密生した林の中には光が指さなくて暗く、広葉樹の生えてこない殺伐とした世界になる。当然にカモシカまたはウサギ、リス等の小動物、あるいは小鳥なども生息できず、死んだ林といって良い様な世界となって行く。

しかしここで人間が下刈り・除間伐・間伐など適正な手入れを行うと状況はまったく変わる。杉の木の枝が触れ合う程度に管理されると、満遍なく光が地面に差し込み、風通しも良くなって広葉樹が生長を始める。杉の木も活力を取り戻して青空に向かって伸びて行き、自然とカモシカなども生息する豊かな森となる。
その副産物として恵みを受けるのが、コシアブラ・タラノメなどの人気の新芽だ。特に下刈り6年目の林は1.5~3mくらいに成長したコシアブラで溢れ、山菜取りファンにとってはたまらない。特に良く日が指す場所ではタラノメも良く取れる。6月頃になると昔は桑畑だった平地が広大なミズの畑となり、原木ナメコ・シイタケを栽培するのにも適地となる。

つまり、一度人の手に掛かった人工林は放置する事は出来ず、植林~下刈り~間伐~主伐~植林のサイクルを持続しなくてはならない。立派な杉の木を育てる事と同時に、それによって自然の恵みを享受できる。それを人間が放棄した時、自然界の力では容易に復元出来ない、生態系の混乱が人知れず進んでしまう。


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人足

2007年05月01日 | 田舎の話

「人足」をご存知ですか?
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)を調べても出てこないが、これは田舎の重要な行事の一つで、例えば集落の全員が地内の道路整備を行ったり、冬は協力して集会所、神社、作業場などの雪降ろしなどを行う事です。
山形の様な中山間地は冬などは自然条件が厳しく、みんなが協同・または分担しないと社会生活は成り立たない。集落が小さいほど村落共同体の意識は強い様で、都市社会では最近あまり見られなくなった様な、相互扶助の精神が誰にでも染み付いて離れない。

普段はエンピツ位しか持った事の無い?自分だが、スコップ&とぐわを振るって林道のアスファルト敷きに汗を流した。年に2回のお祭りの日でも有り、これが終了すると午後からのなおらいが始まり、作業場の板床にゴザを敷いて日が暮れるまで酒盛りが始まる。酒は決して嫌いな方ではないが、次々に注がれる酒に流石にブレーク状態だが、山で飲む酒とは叉違った趣があって面白い。

住民の殆どが70~80歳代となり、遠くに住んでいる息子が代理参加するパターンも有り、このお付き合いは細々と引き継がれて行く。何時かは無くなってしまいそうな村落だが、出来る限りこの場には参加したいと思っている。



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