期待に反して山頂方面はガスが掛かってしましい期待した展望は得られなかった。
下山後にかつて15回位クライミングで訪れた猿岩を見に行ったが、巨大なダム建設の為取り付きへのアプローチルートが沈んでしまい、現在は取り付き点に至ることが困難になってしまった。
以前の石淵ダム建設の際に出来た人工的な岩場だが、東北では黒伏山南壁と並ぶ本チャンルートで、谷川 穂高 剣に至る登竜門的な位置付けだった。
50年近く前の話だが、高橋さんとYさん Dさんの4人で冬のKGカンテを登った時の記憶が有るがあの頃は熱かった。うっかりして食料を忘れてしまい、取り付きのビバークで一升瓶を空けて勢いだけで登ったが、登攀終了後は時間切れで山頂で2回目のビバークのおまけがついた。殆どのメンツがまだクライミングを初めて2年目の冬だった。
今となってはクライミングのスタイルや価値観が変わり、その役割を終えて巨大なメモリアルモニュメントとなってしまったのは残念です。
関連サイト】 東北アルパインスキー日誌