東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

黒伏山界隈 キノコと柳沢小屋 2024.11.03

2024年11月05日 | その他山関連
嘗ては良く足を運んだ黒伏山南壁のクライミングだったが、52年前からお世話になっている柳沢小屋で芋煮会が行われ参加した。
何時もは姥地蔵を超えて沢を下り、大沢小屋に辿り着いて薪を集め、小屋の風呂を焚くのが習わしだったが、老朽化した小屋が傾いてしまい、今回は姥地蔵から巡回コースで柳沢小屋根に戻った。
 
沢沿いの登山コースにはサワモダシ(ナラタケ) ナメコ クリタケが豊富で、計10kg位の収穫が有って満足。
小屋は後でやって来た首都圏のクライマーが2名のみで、意外とお客さんは無くほぼ貸し切り状態だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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宮城蔵王 大黒天のアサギマダラ 2024.08.04

2024年08月04日 | その他山関連
毎年山形蔵王と宮城蔵王に渡って来るアサギマダラ。フジバカマはこの辺りならどこにでも咲いている花だが、何故か刈田岳の登山道の入り口で日陰のトンネル状の所に集まって来る。
人を余り恐れない様で近づいてもあまり逃げないフレンドリーな蝶です。
 
「渡りをするチョウ「アサギマダラ」とは山形県にある蔵王という山に来るチョウのことです。アサギマダラは渡りをするチョウとして有名です。
蔵王でマーキングされたチョウで、1番遠く飛んだ記録がわかっているもので、台湾まで行った記録(1680km)があるそうです。 台湾まで行くまでには海がありますが、アサギマダラは飛んでいくことができます。なぜかというとアサギマダラの羽には粉のような物があり、その粉のようなものが水をはじくのだそうです。そしてなんと、海面に止まって休むことができるのだそうです。そこでアサギマダラは各地で卵を産み、また蔵王にも渡ってくるのだそうです」
山形総合学習センターさんより
 
 
 
 
 
 
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山形県 小国町 樽口峠~長者ヶ原 2024.04.21

2024年04月23日 | その他山関連
樽口峠の有名な1本桜は残念ながら枯れ果てた姿だったが、道路の一段下にはこれに代わる桜が元気で何とか絵になる感じだった。
毎年、ここには多くの客さんが蕨取りに訪れる有料の蕨園で、規模では日本最大級なのかと思われ位広大な斜面だ。野焼きが行われた後に蕨が芽を出す訳だが、一度野焼きを見物してみたものだ。(残念だが一般の人は立入り禁止らしい)
長者ヶ原の桜は雪が残っていると印象的だが、今年はすっかり消えて今一つ物足りない感じがした。





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築26年の大朝日岳小屋改修工事 2024.03.05

2024年04月04日 | その他山関連
築26年の大朝日岳小屋の改修工事
先日、村山葉山で一緒になったY社長の話によると、工事は6月~9月頃にかけての予定で、その間は1階全ては工事作業員用のスペースとなり、お客さんが利用できるのは2Fと3Fの天井裏スペースとなります。
サッシの隙間から流入した雨水で外壁材が傷んでしまい、小屋には足場を掛けて張替えが必要で、床材も断熱材の入った物に張替えとなる見込みで屋根も塗替えになります。また、西側の基礎も凍害で傷んでしまい、補修して防水処理が必要です。
この間、収容人数は半減するため、大人数のパーティーやツアーは自粛してほしいとの事でした。
工事費用は県の予算が下りているものの余裕は無く、その半分はヘリのチャーター費に消えてしまうそうで、施工する業者さんにとっても厳しい価格だそうです。当初は引き受けてくれる入札参加資格の有る元請け業者がどこも無く、地元のお付き合いのある会社に無理に頼んだ様です。
これだけの苦労話がある事を考えると、利用させてもらう我々もその点をよく理解し、長く大切に使いこなす為の意識とマナーが必要です。



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ザンバラン フジヤマ 

2018年09月26日 | その他山関連

先日、朝日連峰の竜門小屋に一泊した際、入り口の靴が並んだ棚を見て嬉しくなった。その靴はナイロンアッパーではないスエードレザーを使用したザンバランのフジヤマで、自分を含めると4足が並んでいたのである。

この靴は自分でも30年近く履き続けている代物だが、途中ブランクはあったが今でも現役として活躍している最も古い山道具の一つ。一時はスパイク地下旅やトレランシューズに拘ったこ事もあったが、今は脚力の落ちた今の自分の足には良く馴染んで履き心地は良い。

実は、30年ほど昔になるがある登山用品輸入代理店(今は無い)の営業担当の時代が有り、この沓はミレーのザックと共に都内・関東一円の登山用品店への主力販売商品で、特に、今は閉店してしまったが鶴見のIBS〇〇スポーツは最大のお客さんだった。

しかし、多量に販売するには条件が有り、春・夏・秋の登山シーズンになると毎週の土・日は販売応援と称して店に駆り出され、朝 9:00~夜8:00まで店頭に立たされる立場で、店が終了して帰ろうとしたら店長に呼び出され売れた分は倉庫から補充して帰るという日々だった。家に帰るとPM11:00頃になり翌日も出社、つまり奴隷の様な暮らしが何年か続いていた。

今や皮革製の登山靴を作る国産メーカーも殆どなくなったが、フジヤマは40年ほど前、開発担当のEさん(元山学同志会員で冬のアイガー北壁の初登攀者)の手がけたイタリア製のベストセラー商品で、日本人の足の幅・甲の高さ・踝の左右の位置を徹底して追求し、防水性の高いスエードレザーと軽量なビブラムソール製の靴だった。

軽登山靴の元祖ともいえる代物でその後多くの国産メーカーも追従したが、今でも根強い人気を誇る定番商品として生き残っているのは嬉しい。靴の構造は軽量かつシンプルで特に大きな特徴もないが、重登山を別にすれば機能と耐久性を充分に満たす山道具で、これだけのロングセラー商品も珍しいのでは無いだろうか。

その後は内張りがゴアテックスのモデルも登場したが、結果的に皮革が薄くなって耐久性が低下し、型崩れも起きやすいので自分で使うことはなかった。シンプルイズベストという古い言葉がある通り、使い方にもよるが2回程度のソールの張替えも可能でこれからも大事に使う予定です。

 

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岳人よさようなら。そしてありがとう。

2014年07月18日 | その他山関連


今度、5年ぶりに岳人の8月号を買い求めた。
この8月号は67年間続いた今となっては唯一山岳界の本流をなす山岳雑誌です。しかし残念ながらこの8月号を最後に廃刊となり、新たに同じ名称を引き継ぐモンベルグループが編集する、新たな「岳人」がスタートするようです。

実は、買い求めた理由の一つに罪滅ぼしの気持ちがあるのです。今度の8月号は最後の号だけに内容は充実しており、山岳界の歴史と伝統を受けつ継ぎながら、若い次世代の前途を祝うような気概と魅力的な構成で迫力を感じました。しかし、今迄立ち読み専門で岳人社へ貢献することは無かった。

とっくに現役を引退したような私には昔話ですが、これでもかつて8回位短信クロニクルにクライミングや山スキーの記録を投稿して、なんとその全てを掲載して頂いた経緯があります。しょぼい記録も多く今となっては恥ずかしい様な気もするのですが、一度だけ山スキーで南蔵王コガ沢を取り上げてもらった記録となり、今では良い思い出の一つです。(山と広告社と比べれば小遣い稼ぎにはなりませんでしたが・・・)

その頃東北の記録を積極的に発信する人は少なく、全国的には珍しさと未知の要素が残されていたのか判りませんが、首都圏の購読者向けの記事に混じって掲載されていた。ちょっと自分でも目立ちたがり屋だった事もあるかも知れない。

何時も採用して頂いた編集部のMさんは如何お過しでしょうか?お世話になりました。

記録といえば最近な「ヤマレコ」の様なネット参加型の新しい新い媒体が広がっており、何時でも無料で即座に新鮮な情報に接することが出来て便利になりましたが、紙媒体で深く掘り下げた様な記事や記録に接する魅力を感じるのは古い世代だけでしょうか?

かつての「岩と雪」の様に、毎月の発刊日当日に書店に駆けつけ記録欄をむさぼり読み、ハラハラドキドキしながら全国のクライマーの動向を探っていた時が懐かしい。特に、地方のクライマーや沢屋にとってはまたとない情報源であり、切磋琢磨する動機付けにもなっていたのです。

今となっては良かったねという話ですが、まだ未開拓の余地が少しでも残されていた良き時代の産物という事でしょう。他人から見れば興味の無いどうでもよい事でも、自分にとっては価値ある創造の世界、つまり自己満足の世界を何処までも追求してゆくのが山屋の馬鹿さかげんという事かな?

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飯豊連峰 石転び沢上部の土石流 2013.07.21

2013年07月21日 | その他山関連
先週山形県を直撃した集中豪雨の影響は甚大で、飯豊・朝日連峰の被害もかなりあると思われます。各登山口へのアプローチ道路が寸断され、多くは復旧の目処はついていないのでこれからの夏山シーズンは影響が大きい。

今回は何の気なしに石転び沢から梶川コースの周遊を目論んだが、石転び沢上部の土石流と岩の崩落の状況に唖然としてしまった。

北股沢の土石流の一部は、中の島の下部を横切って石転び沢の右岸迄届いており、崩落したものと思われる大きな岩が堆積している。大きなものは背丈位も有り、土石流の凄まじさを物語る様で不気味な存在となっている。

北股沢の土石流本流は石転び沢の上部左岸が走路となっており、勢いのついた岩は中の島下部から石転び沢の中間部の広範囲に達している。北股沢の急な下部斜面は岩混じりで不安定な状況で、落下する可能性があり近づく事は出来ない。

最も気がかりな点は、中の島直下の右岸(梅花皮岳側)の斜面に溜まった多量の岩で、大きい上に不安定で気温が上がると何時崩落してもおかしくない様に見える。ここから転がりだすと石転び沢中間部までの広い範囲が走路となる可能性がある。

実際、梅花皮小屋から北股岳に登高の途中、中之島下部辺りから中央部をかなり大きい岩が転がり落ちたようなはっきりした跡が見られた。(11:00~12:00AM前後と思われます)幸い、後続の登山者はいなかったが、気温の上昇によりさらに落下する可能性がある。

本日は幸い気温が低く落石などに遭遇する事は有りませんでしたが、現在の石転び沢は危険性が高く登山ルートとしては不適と言えます。

県の条例でもないと登山を規制することは出来ないでしょうが、登山の自粛を促すネットなどでの広報や、登山口に看板設置などの検討が必要だと思います。



石転び沢の全景


石転び沢の下部


石転び沢中間部左岸からの土石流






中の島の遥か下に達した岩






中之島直下斜面に不安定な岩が堆積している。


中之島直下斜面に不安定な岩が堆積している。


中の島へのトラバース地点から上部




北股沢より中の島右手斜面を流れた土石流の走路


中の島より


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飯豊トンネルの開通 2013.06.30

2013年07月01日 | その他山関連
待望の飯豊トンネルが6月に開通し、山形県飯豊町の岳集落から福島県の川入りまで30分ほどで通行可能となった。(冬期間は通行止め)

南陽市から川入りまでは1時間弱となり、今までは遠い存在だった福島県側の飯豊連峰が身近になって楽しみが増えた。

また、トンネルの山形県側には広い駐車場が有り、五段山~三国岳~飯豊本山へのコースも興味深い。この登山口は標高800mなので、飯豊・朝日に共通の取り付きからの急峻な尾根は無く、飯豊には珍しい比較的なだらかな尾根歩きのコースにも見えます。景観はわかりませんが、夏でも早朝に取り付けば熱射地獄は避けられるかも?


飯豊と福島・喜多方結ぶ2林道、待望の開通 15日、着工から35年

山形新聞 6月6日(木)14時38分配信

 飯豊町中津川地区と福島県喜多方市を結ぶ2つの林道、飯豊桧枝岐(ひのえまた)線と一の木線が15日に開通する。着工から35年、途中で事業主体の独立行政法人緑資源機構が廃止されるなど紆余(うよ)曲折を経てようやく完成。県をまたぐ林道開通に地元の両市町は交流促進、観光振興を期待している。

 飯豊連峰の山すそを走る両線は全面舗装された幅7メートルの2車線。飯豊町側の飯豊桧枝岐線(8・1キロ)は飯豊トンネル内の県境から一の木線(5・7キロ)となり、喜多方市山都町に入る。12~5月は冬季閉鎖される。両線の事業費は計105億円。

 両線はかつて、飯豊町から福島県南部の桧枝岐村まで9区間計121キロの林道を整備する大規模林道構想の「飯豊区間」「一の木区間」として位置付けられていた。1978(昭和53)年に着工した飯豊区間は99年に完成し、一の木区間の完成を待っていた。

 しかし緑資源機構が官製談合事件をめぐって2007年度に廃止され、大規模林道構想は頓挫。完成前の各区間は福島県が事業を引き継ぎ、一部区間を中止するなど構想を見直した。このうち、工事が残り400メートルほどだった一の木区間は計画通り造成され、昨年秋に工事が完了。雪解けを待って開通することになった。今後は飯豊町と福島県が両線をそれぞれ管理する。

 開通を待ち望んでいた飯豊町は「喜多方市に直接つながるため期待度は大きい。観光、物流の面で交流を進めたい」。同市山都総合支所も「両市町の交流が深まることを期待している」としている。15日は午前10時から飯豊トンネルで開通記念式を実施。午後3時ごろから一般車両が通行可能になる。











【関連サイト】 東北アルパインスキー日誌


        飯豊 朝日 蔵王 吾妻連峰 月山 鳥海山など、東北南部の山で
        山スキー 沢登り 山歩きなどを楽しんでいます。


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忘年会 in 鎌倉温泉 (宮城県蔵王町)

2012年11月19日 | その他山関連
今年で6年目位になったかつて在籍していた山岳会のOB忘年会。

仙台市内から1時間ほどのひなびた田舎の山奥に位置する一軒宿で、今時珍しく薪で加温した温泉宿。家族経営で5代目になる若女将さんが切り盛りしているが、アットホームな宿は仙台でもあまり知られていない。ご主人によると、宿の前には源泉が大切に祭られ、建物の周りには自噴する温泉が他にも湧きだしている。

ボーリングすれば熱いお湯が出るのは解っているが、あえて代々自然のままの温泉を大事に守り続けているという。1051年の「前九年の役」の頃に見つけられた由緒ある温泉だそうで、普段着の温泉として地元の平沢集落では大事にされてきた。アトピーや水虫などには大変な効能があるようで、ポリタンクに温泉を詰めて持ち帰る人も多いようだ。

2年前に大改装されてからは日帰り客や宿泊客が増えた様で、あの狭い浴槽に朝の7時ころから次々にお客さんがやって来るのは驚いた。古い木造でかつての自炊の湯治客宿の面影はそのままで、室内はすっかりきれいにリフォームされて清潔感に溢れている。

集まったメンバーは頭も白くなり、かつての様に宿の中で大立ち回りをする元気もなくなったが、酒宴の勢いだけは衰える様子はなく、翌日の朝には勝手に持ち込んだ酒の空瓶がゴロゴロ転がっている光景は変わらない。

翌日は「長命の水」に水汲みに訪れたが、ここのは集落の水として古くから祭られた「水神社」がある。水場周りは綺麗に整備され、与えられた自然尊び神に感謝するという、日本人にとって根源的な信仰心の原点が伺える。
















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オリンパス Tough TG-1は買いか?

2012年08月03日 | その他山関連


別に新しいもの好きという訳ではないが、6月に発売されたばかりのオリンパス Tough TG-1を購入し、飯豊本山山行で試し撮りをしてみました。

実はこのシリーズは初代から買い続けて6台目で、かなりのヘビーユーザーという訳ですが実は現場仕事用を含めての話。沢登りや山釣りではなくてはならないアイテムなのは勿論、仕事では仮設足場上で使用する為に耐衝撃・防塵・故障の少なさが求められる。何しろ一つの現場で10000枚以上もの写真を撮る事もあって、かなり荒っぽい使い方をしているほうだ。

ただ、単なる記録写真としては大変使いやすく丈夫で故障も少ないが、屈曲光学系レンズの開放F値がf3.9~f5.9と暗く、解像度も低いので画質には大きな不満があった。特に沢の中や養生シートに覆われた仮設足場の中では画像が暗くなり、手振れや不用意なストロボ発光などで失敗も少なくない。

Tough TG-1の開放F値が広角端においてはf2.0と非常に明るく、解像度も向上して鮮やかな色彩表現も可能になっている。山行中では風景写真や花などの接写写真が多いが、今までのToughシリーズと比べると画質には格段の違いがあり、趣味としての写真の楽しみが出てくる。

今回の山行時の撮影モードは風景写真&人物設定のSCNかプログラムオートが多かったが、モードダイアルでの切り替えも使いやすく、十字ボタンも指に掛り易くなって標準と接写の切り替えもスムーズになった。

また、レンズの配置がカメラ中央になってデザインもすっきりし、ややボディーは大きくなって重くなったが手持ち感覚はしっくりて良く、かえって手振れもし難くなって良くなったとも思える。また、レンズは露出型になって起動が早くなり、思った瞬間の撮影がし易くなったと共にON OFFの切り替えも容易で、冬山でのバッテリーの消耗も少なくなるような気もする。

オプションのコンバーターアダプターを使えば、テレコンバーター(望遠)やフィッシュアイコンバーター(魚眼レンズ)が使えるが、今のところ使い道がないので市販品のプロテクトフィルターを使用している。ただし、8.0mm程出っ張って引っ掛かりがやや気になるが、現場では塗料の飛散や足場との接触などを考慮して使用しています。なお、標準のレンズリングが何時も間にか脱落してしまい、ネットで見るとほかでも同じ事例が見られるので注意が必要です。無くなるとオプションではなく修理扱いになるようです。

電源ボタンとシャッターボタンも大きくなって改良され、手袋をしたままでも操作性が良くなっている。また、不用意に手が触れてしまって動画ボタンを押してしまう事も多かったが、ズームボタンとの間にラバーシートが張られ、スペースも確保されて誤作動がし難くなっている。

バッテリーはやや大きくて容量が925mAhから1270mAhに変わり、山スキーなどでも使用時でも期待が持てる。なお、バッテリーは今までのタイプも使用が可能で、スペアーとして使えるのは都合がよい。

また、このモデルにはGPSが装備されていて設定をONにすると起動し、画面には位置情報(緯度・経度)が表示され、画像データーには記録されてグーグルアースなどでの表示ができる様です。しかし、登山者にとってはカシミールと連動しないとあまり使い道が無い。

そして、設定をONにしていると電源ボタンを切っても衛星を補足し続けるため、山スキーなどでの使用時にはバッテリーの消耗が早いと思われる。別にガーミンを持っているので使う事はないだろう。出来ればGPS無しのモデルで価格を下げてもらったほうが有りがたい。

結論。自分では余り一眼レフを山に持ち込む気になれない為、オールインワンとしてのカメラとしては価値がありますが、山行スタイルや目的によって見方は変わってくると思います。何れ実勢価格が2万円台になってくればバカ売れするかも?
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山岳会OB忘年会in鎌倉温泉 (宮城県蔵王町) 2011.11.12

2011年11月14日 | その他山関連
今年で5年目位になると思うが、今年も山岳会OBの忘年会の時期がやってきた。山岳会といってもとっくにリタイアして25年から30年位のメンバーで、15人参加の中で今でも現役ぽい人間は二人だけ。つまり山岳会の名を語っただけで実体のないのんべいの集まり。

現役の頃には東北の沢にのめりこんだ沢屋と一端のクライマー気取り屋やが混在し、その中の半分位はヒマラヤ登山をもくろんだメンバーだった。結局、とても全国のトップレベルの流れに追従する事も出来ず、田舎者の自己満足で中途半端な山岳会だったが、しかし今思えば今や死語に近い「パイオニアワーク」を満喫した登山も少なくなかった。

しかし、登る事に熱中している山屋は記録などに無関心で残す事もなく、今となっては価値ある山行の数々も限られのメンツの与太話に過ぎない。酒が入ると自然と脚色も入るようで、一体どこまでが本当なのか疑問な雰囲気も・・・。

毎年集まるメンツは決まっているが、例外なく無類の酒好きは当たり前だが、いまだにエスカレートして暴走しかねないメンバーのいるので要注意。最近はさすがに大捕り物を演じる元気はない様だが、口先の滑らかさと脚色が過大になるのは相変わらずだ。

現役のころには良く「お前は山と仕事どちらが大事だ!」とどやされ、「仕事です」などとは2度といえない様なヤクザまがいの狂気の世界でもあった。結果人生の道を踏み外して「元祖アルパインフリーター」の道を歩んだ者がいる半面、今や高校の校長先生もいれば1級建築士のセンセイや、はては中国で工場を経営する実業家などの顔ぶれも登場する。本当に人生色々です。

すっかり盛り上がった翌朝には持ち込み放題の酒の空き瓶がゴロゴロ転がり、朝飯も残らず平らげて皆満足して帰って行った。










【関連サイト】   東北アルパインスキー日誌>
   http://alpaineski.sakura.ne.jp/

1泊2食付¥5.250とびっくりする位の格安料金ですが、館内はきれいでかつ清潔感が有ってひなびた情緒感も良く、自家製の野菜と米や山菜料理は素朴ながら味わい深いものが有ります。
皮膚病には効能が大の様で、特に水虫持ちの人にとっては朗報でしょう。

鎌倉温泉  http://www.kamakuraonsen.com/
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岳人備忘録 登山界47人の山

2011年02月20日 | その他山関連

先日、仙台の丸善に仕事関係の参考書を探しに行ったついでに、昨年の10月末に出版された「岳人備忘録」を衝動買いした。

この本は月刊『岳人』に連載され、好評だった「30の質問」「備忘録 語り残しておきたいことども」を、一冊にまとめたものです。

最年少31歳(横山勝丘)から最年長89歳(穂刈貞雄)まで、アルパインクライマー、山小屋経営、ハードフリー、山岳写真家、ガイド、高所登山家、出版者、翻訳家・・・その他多種多様・ありとあらゆる「ヤマ」に関係するキーパーソンがそれぞれの持論を多岐に渡るトピックに向けて多角的に展開する、非常に興味深い一冊。

都合で山に行けなかった鬱憤ばらしのつもりだったが、P495もある分厚い本でも読み出したら止まらなくなり、二日間で一気に読み切ってしまった。最近めったに山の本など買ったことがないが、この本は日本の登山界を代表する方々の回顧録のみならず、登山は偉大な文化だと教えられるような価値のある本だと思います。

今やアルパインクライミングやヒマラヤなどは遠い過去の話ですが、読んでいると30年前の現役だった頃の世界に引き戻されたようで実に感慨深く、また懐かしい気分で楽しかった。自分と比べれば余りにもレベルの違いはあるが・・・。

【本書に登場する岳人】  掲載順

山野井泰史、岩崎元郎、菊地敏之、坂下直枝、近藤等、平山ユージ、尾形好雄、小山田大、遠藤由加、南裏健康、高桑信一、木本哲、竹内洋岳、山田哲哉、馬目弘仁、海津正彦、室井由美子、若林岩雄、江本悠滋、黒田誠、加藤慶信、横山勝丘、近藤邦彦、池田常道、国井治、山森欣一、柳澤昭夫、松本龍雄、上田茂春、西尾寿一、佐伯邦夫、川村晴一、三宅修、古川純一、飛田和夫、重廣恒夫、穂苅貞雄、横田正利、森谷重二朗、馬場保男、山本一夫、中西健夫、八木原圀明、黒川惠、寺沢玲子、鈴木昇己、横山厚夫

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定禅寺ストリートジャズフェスティバル と山との関係

2010年09月13日 | その他山関連
           ナムチェバザール(ネパール)のシェルパの自宅の前で 1976年1月
              (真中が佐々木氏 左はシェルパよりみすぼらしい自分)

日曜日の3:00PMから1時間半の仕事というのは、実に中途半端な休日の過ごし方になって実に悔しい。まあ、どうせ雨模様だったので諦めもついたが、最近このパターンが多くなって山には行けずじまいの日々。

そこで、午前中に田舎の雑用をやっつけて仙台に戻り、適当に仕事を片付けてやって来たのが定禅寺ストリートジャズフェスティバル の会場。行ってみると、二日目の夕方でも勾当台公園には人があふれ、今にも雨が降りそうな気配でも熱気があふれていた。

仙台市中心部一帯をステージに音楽が街にあふれ出す「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が11、12日に開催されたが、今年は1991年の第1回から数えて20回目の節目の年。過去最多の750バンドを超える出演があり、今や日本のみならず世界でも名が知れる一大イベントになっている。

最後のフィナーレは生憎の雨にたたられ、新参者の自分は途中から帰宅したが、雨傘をさしたままでも楽しんでいる根強いファンはあまり気にもとめない様子。25年程前の古い話ですが、読売ランドで行われたライヴアンダーザスカイでも、大雨にたたかれながらマイルス・ディビスのトランペットに酔いしれた時の事を思い出した。

ここで自慢話になりますが、長年にわたって実行委員長を務める佐々木和夫氏とは昔の山仲間で、今でも年に1度ほどは酒を酌み交わす仲なのです。まだ学生の頃最初のヒマラヤ登山に同行したのが始まりで、登山終了後は二人で現地に居残りを続け、登頂失敗のうっ憤晴らしの様な気ままな放浪の旅を続けた。その間、インド・バングラデッシュ・パキスタン・アフガニスタンなど9ヶ月間貧乏な旅人をやってました。

所属山岳会は違って自分より7つ年上の先輩ですが、その風貌は豊富な顎鬚を蓄えて意外と顔の彫も深く、海外では帽子を被ればモスリムにも見え、またある時には現地に同化したネパーリィーにも見える。温和で人当たりは良くて敵を作ることなど有り得ないような人柄で、日本人はもちろん語学力は抜群でどんな外国人でも意思疎通ができそうな方でもある。

しかし、本人が言っているように、「楽器はできないし、音痴だから歌うのは嫌い。音楽を聞くのも人並みに好きな程度」という、まったく予想外なところに本人の能力と適正を発揮する所が興味深いのです。確かに、1年間程海外で行動を共にしたが、JAZZの話はもちろん音楽についての話題の記憶はありません。

今では芸術文化都市としての認知度を世界的に押し上げ、仙台のステータスを高めた貢献度は計り知れないものがあります。しかも、長年にわたって維持して更に成長を続ける所が素晴らしいと思います。やはり皆さんの高い志はもちろんのこと、熱意と強い仲間意識が大きな組織を支えているのでしょうか。

今や仙台を代表するように著名な方ですが、これからも更なるご活躍をお祈りいたします。

※東ネパール~クンブ地方トレッキング(ネパール) 1975~76年

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仙台の某所 某橋の下

2010年05月30日 | その他山関連

こんな天気の良い日に家の中で雑用の為腐っています。日曜日に部屋に閉じこもっている事などめったにないが、残り時間が無くてあせった結果の鬱陶しい1日です。

ちょっとした息抜きにと思って最近買ったチャリで出かけ、広瀬川のサイクリングロードを気持ち良くこいで行くと、以前住んでいたアパート傍の橋の下を通りかかった。

そこにはまずい記憶があってあまり他人に話した事はありませんが、「器物損壊?」の罪に問われかねない遺物が残っているのです。こんな事を書いて良いのか解りませんが・・・。

もう35年以上も前の学生時代、アルパインクライミングを目指していた頃、今や博物館入りした「人工登攀」にのめり込んでいました。

「人工登攀?」なんて言っても知っている人はあまりいないでしょうが、ご存知の方きっとは50~60歳位の方御同輩位でしょう。

つまり、ボルト・ハーケンの使用は無制限で、日本中、どんな壁でもルートになってしまうというとも言える、今となっては実におぞましいクライミングのスタイルでした。何しろ、フリークライミングの概念など皆無の頃でしたから。

実は、橋の橋脚に6本のリングボルトを打ち込んだのは自分で、その後35年以上もたってしまった訳ですが、なぜかその後撤去もされず、そのまま残っていたのが意外だった。

人目を忍んで朝方にジャンピングで穴を空けたが、国土交通省の物件は実にクォリティーが高く、コンクリートの圧縮強度は安山岩並み。結局、天井面には1本打ち込むのが精一杯でだった。

こんなアホな事をやっていたヒマ人だったが、それでも、その直後に黒伏山南壁に一本のルートを開けたのは思い出深い。

今となっては「時効物件?」となるんでしょうが、関係者の方にはご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。

橋脚は最近に耐震改修が行われた様だが、どうせなら昔の傷跡は全て撤去して欲しかったですが、心の一部では嬉しさ半分と言うところです。

橋脚下に汚点が・・・。


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ウイリッシュの亡霊

2010年03月24日 | その他山関連
今、手元に知人から売却を依頼されたピッケルがある。
R.WILLISCH&Söhne銘の穴明きタイプ。ヘッド長29.5cm、全長75cm。このピッケルはウイリッシュ2代目3代目合作の穴明きタイプだが、実はいくらでも良いから売却して欲しいと、知人から依頼を受けた物だった。

この「いくらでも良いから」というのが実は曲者で、本音は4万円ほどの値踏みをした上での売却依頼だと思った。噂によればヤフーオークションで4万円の値が付いたという話も有るが、実際国産カドタのピッケルが2.5万の値が付いており、まんざらホラ話でも無い様にも思える。年代の古い山ノ内ピッケルには47万?の値が付いていた。(本当に買う人の顔を見たい)

このピッケルは仙台のYYKという某アウトドアショップで店ざらしにされていた物だが、不景気な仙台では誰も食指を動かす人など無く、まったく相手にされずに売れ残っていた。そうなったらやはりヤフオクしかない。

自分でヤフオクはやらないので知識は無いが、その道に詳しい知人がいるので転売の依頼はどうか?ノウハウが有れば4万どころか6万くらいにはなるかも?別に手間賃など要らないが、いくらで売れるのかが興味深い。

しかし、手にとって見たピッケルは未使用の美品で、ウッドシャフトはアマニ油で丹念に磨き上げたキズ無しの一品。ブレードは美しい曲線美と輝きを備え、貴婦人のような気品とステータスを感じさせ、国産のピッケルとは違った美術的価値が漂う。

現在でも鍛造で年間100本ほど生産されている様だが、現在の27.0cmブレードと比べ30.0cmと長く、1980年初め頃のやや古いピッケルだ。ちなみに好日山荘のweb shopでは新品で6.2万と表示されている。いったい誰が買うのか不思議ですが・・・。

もともと山道具については余りこだわりは無い方で、機能的で使い勝手が良く、長く使い続けられる物なら1アイテム1品で満足で、最先端の機能やブランドにこだわる方ではない。なおさら骨董的趣味は皆無だ。でも、手にして1週間も見続けていると不思議なもので、何となく手放したくなくなるのが自分でも意外だった。

古い話で恐縮ですが、実は以前いい加減な某登山用品の輸入商社に在籍していた事があり、ウダツの上がらない営業マンをやっていました。その会社はウイリッシュの輸入総代理店(と言っても年間15本程度)で、I○Iスポーツにせっせと納めていました。

しかし、シャフトのちょっとしたキズや変色で返品をくらい、5本のピッケルが不良在庫となって倉庫に残っていた。1年もするとなんと廃棄処分の対象とされ、若い営業のアンチャンがやって来て、思いっきり蹴りを入れてシャフトをへし折ってしまった。ちなみに彼はアウトドア大好き人間だが、登山にはまったく興味の無い輩でした。あの前に2~3本を営業マン在庫にしておけばと今でも悔やんでおります。

結局自分はその後退職し、6年後にはその会社も姿を消してしまいました。こんな会社では当然の末路だった。

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