東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

エベレストの噂話

2006年06月15日 | ヒマラヤ
アンナプルナサウス 7219m (ネパール) 1975年

本屋でいつもの立ち読みをしてロクスノ(Rock and Snow 山と渓谷社)と言う雑誌をパラパラめくってみた。いつもの内容はフリークライミングとボルダリングばかりで、元アルパインクライマー崩れの自分には殆ど興味がない雑誌だが、最近はセロ・トーレ(南米の困難な岩峰)の記録とか、ヒマラヤの情報なども登場して思わず読み進んででしまった。

その中で今季のエベレスト登山の顛末が載っていたが、ヒマラヤ登山の大きな変遷ぶりには驚いてしまった。ヒマラヤと言うとそれ=エベレストのみと勘違いしている人(山屋さんも含めて)も以外に多いが、このエベレストが他の8000m峰と際立って特異な存在となっている。その訳は今年春の登頂者が中国側136人、ネパール側146人(トータル282人 シーズン終了時点でトータル500名を突破)にも上り、累計の登頂者数では3000人に近づいているという最近の状況だ。1953年にエドモンド・ヒラリーが登頂して以来53年、その当時誰がこのような数字を想像しただろうか。ちなみに日本人の登頂者は今年の春季は9名、累計では春季106名、秋季18名、冬季10名のトータル延べ134名(実数120名)。また、遭難死者は累計で196名、日本人6名となっており、日本人の登頂者に対する遭難死者数は5%に達している。

このエベレスト(ネパールではサガルマータ、中国ではチョモランマと呼ばれる)は東西南北に渡って10数本のルートが開かれているが、最近はバリエーションルートを目指す隊は極めて少数派で、殆どの隊ががノーマルルートのサウスコルルート(ネパール側)と、北稜(中国側)で占められている。かつて許可は1シーズン1隊のみという厳格な時代もあったが今やシーズン制は撤廃され、外貨獲得を最優先させる中国、ネパールともお客さんの争奪戦のようにして大判振るまいし、両国とも20~30隊が押し寄せるドル箱地帯となっている。

最近話題の公募隊が増加傾向に有り、お金を払えばシェルパがクライミングはもちろん、高所での荷揚げや生活全般にわたって面倒を見てくれるシステムが常識となっている。つまり人並みの体力があって天候に恵まれ、運さえ良ければフィックスロープに導かれて頂上にたどり着くことが出来る。

しかしこの様なヒマラヤ登山でもその年の天候に大きく左右され、悪天候で登頂率が20%などと言う事も有り、それに伴って多くの遭難者が出ることも有る。この点では2~30年前の頃となんら変わることは無く、雪崩れ、滑落などによる死亡率は国内山行と比べてきわめて高い。自分がかつてインドヒマラヤで活動した年、この界隈だけで100名の日本人登山者が入山し、15名が死亡したという例も有った。

しかし、エベレストで起きている遭難事故は少し趣が違うようだ。天候に恵まれた日のアタックでも行動不能になり、途中で力尽きてしまう例が多いようだ。このプレモンスーンは中国側、ネパール側で計10人(シェルパも含むと思われる)が死亡したと言われ、過去最悪の事態となっている。今シーズンは天候に恵まれ、多くの登山者が山頂を目指したが、山岳関係者は「この好天が多くの登頂成功をもたらすと同時に悲劇の原因にもなっている。天候がもっと悪ければ、登山隊は途中で引き返していただろう」と指摘している。

高所順応の失敗、渋滞による酸素ボンベの酸素切れ、サポート体制のない無理なアタック、天候判断や時間配分の誤りなど、少しのミスが致命的な結果を生んでしまう。山頂近くまでフィックスロープが張られ、技術的な難しさはあまり無いとはいえ、超高所での行動が引き起こす危険性はまったく変わっていない。

最近は特にあまり予算を掛けない登山隊に事故が多く、しっかりとした体制の登山隊が登頂を犠牲にして救助に廻るというケースも有るとか。また、頂山直下で動けなくなった登山者を誰も救助しようとせず、登頂してそのまま下山してしまうパーティーが多かったようだ。確かに超高所では自分の命を守るだけで精一杯で、他人を助ける余裕など無いのが現実だろう。場合によっては自分にも死の危険性が迫ってくる。それぞれが自己責任をまっとうすると言う意味では間違っていないかもしれない。でも、この様な極端な例はヒマラヤ広しと言えども、エベレストでしか起こり得ないのではないでしょうか。実に殺伐とした狂気の世界にも思えるのですが。

まあ、この先ヒマは出来ても資金のめども立つはずも無く、組織もコネクションも無いわが身には無縁の出来事ですが・・・・。
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樹齢130年の杉

2006年06月13日 | 林業

昨年の暮れは激しく降り積もる大雪に見舞われ、田舎の山林でも被害は免れなかった。杉の枝に降り積もった雪は次第に重さを増し、落下する量より積もる量が上回るとやがて限界点に達し、杉の大木でも大きな悲鳴を上げて倒れてしまう。いわゆる「雪折れ」と言うやつだが、これには幹の上部で折れる場合と根元から倒れる2つのパターンが有る。

今回は20本くらい折れているのが見られたが、その中には年輪を数えてみると樹齢130年と言う、幹に節も殆どないきわめて良質な木があった。この木は130年前に植林した木で、古くなった木に見られるようなひび割れとか腐食が見られず、年輪の詰まったきわめて良質な物だった。

すっかり作業道を塞いで車の通行が出来ない為、いつも頼んでいる木材業者に頼んで伐採・搬出を依頼し売却した。しかしこの「雪折れ材」と言うやつはいつも買い叩かれるのが常で、根元から倒れて殆ど傷が付いていないにも関わらず値段は安く、3分の1以下の値段で引き取られてゆく。つまり商品価値が低いと見られると共に、伐採・搬出費用を差し引くと、素材生産者には殆ど賭けが残らないと言う構図なのだ。物によっては引取りを拒否される事も有り、ここに林業が産業として成り立たなくなった現実が有る。

しかし130年前の人がどんな苦労をして、またどのような未来を夢見て手入れを続けたかを考えると、実に考え深い思いが有る。今や現地まで車で10分、歩いて5mで済むものが、かつては山道の往復だけでも2時間あまりはかかる。植林してから杉立て、下刈り、除伐、間伐、枝打ちを繰り返し、気の遠くなる様な努力と忍耐を経てここまでたどり着く事が出来る。当然こういう木は高値で取引されるはずだったが・・・・。しかしこうして市場に流通するのは恵まれた杉の木で、4~50年くらい前に拡大造林された林は手入れも殆どされず、過密で細々とやせ細ったモヤシのような木が多い。

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杉立て

2006年06月11日 | 林業

林業(山仕事)というとどういうイメージでしょうか?チェンソーで大きなエンジンの音を立てながら、杉や檜などの大木をばっり切り倒す光景でしょうか?
しかし自分の係っているのはこれとは違う。林業用語で「育林」と呼ばれる仕事で、杉の木を植林した後に下刈り、除伐、間伐、枝打ちをしながら、商品価値の有る木に育つまで面倒を見る作業の事を言う。

その中で積雪地帯特有の仕事に「杉立て」とう作業が有る。植林してからの3~10年め位の間、杉の幼木は雪の重さで押し倒されてしまい、5月頃から縄など引っ張ってまっすぐ立て直すことが必要になる。かなり地味な作業で手間ひまのかかる作業だが、5~6月はこれに追われる様な日々となる。

今時杉を伐採した後にもう一度植林する人など稀だが、植林~伐採~植林という60年くらいのサイクルを維持しようとすると、この「杉立て」も雪国では必要不可欠な作業となる。しかも今すぐ収入に直結することは無く、ようやく5~60年後に伐採して初めて現金収入となる気の遠い話なのです。普通ならば伐採した後はコストのかかる植林などせず、そのまま放置してしまうのが一般的。

殆ど金にならない仕事でめいってしまう事も有るが、このまま放置する事も忍びず、出来る範囲の手入れだけはやっておきたいというのが現状。
でも、すっかり立ち直った杉の木を見ると気分もすっきりし、雪にも負けず力強く成長してくれと思うものです。



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山菜取りの終盤戦

2006年06月04日 | 田舎の話
                 自慢のフキ畑

今日は杉の植林地でフキ取りを行って来た。ここは小さな沢筋になっていて斜面の養分が集まり、太くて柔らかい最上級のフキが取れるポイントなのです。2ヶ所、30分くらい取って5~6kg。まだ1週間ほど早いので、あとはは来週の分に残して早々と終了した。

今年は散々スキーで遊んでいてタイミングを外し、コゴミ、タラノメ、コシアブラ、ゼンマイ、ワラビ、アイコなどをすっかり取り損ねてしまった。気が付いた頃には山菜も終盤戦で、フキとミズを残すのみとなっていた。

ここは飯豊、朝日などの山奥に話ではなく、里山で実は車で5分、林道(作業道)から歩いて0分の場所。山スキーとはうって変わってアプローチ全くゼロ。実は山形県(南陽市)の田舎の裏山で、林道をあちらこちらに切ってある杉の植林地。まあ、商売にするほどの量は期待できないので、知人や親戚に配って歩く位の量だが、毎年自然の恵み、いや先代の残した財産に感謝しながら楽しんでいます。

最近はこの地でも爺さん、婆さんも高齢で山菜取りに行けず、裏の畑にせっせとワラビ、ウド、タラノメを栽培している様子。しかし、所詮畑で出来た物は本来の味とは違って少し野菜っぽくてイマイチの様です。

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