東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

フンザの旅 2019年 8月 No11 バルトロ氷河TR 備忘録

2019年11月14日 | ヒマラヤ

今回の計画はナジールエクスペディション社との直接契約だったが、仙台の身近な仲間にバルトロ氷河トレッキングの経験者がおらず、殆どはネットから仕入れた情報に頼って計画した。
 その為、我々の体力に見合わない無理なスケジュールだったり、実際には必要が無かったり役に立たなかった装備も有り、もっとスリム化してスマートな旅を目指す教訓ともなった。幸い、事故や目立ったトラブルも無く実に感動的で楽しいトレッキングで、計画が大幅に変更になったが終わってみれば好天には恵まれて充実した日々だった。
 現地に入ると殆どを現地のエージェントにい依存する訳だが、ナジールエクスペディション社は我々の要求に事細かく応え、見事なアテンドで気配りも良く満足度の高い旅でした。彼らは日頃から日本人のガイドをやっていて我々も馴染みやすく、何より日本人を良く理解して親切で好意的だった。
 自分は44年ぶりに訪れた2度目のカラコロムだったが、振り返るとバルトロ氷河もフンザも再び訪れたくなる大きな魅力を感じる。3年後には評判の悪いスカルド~カラコロムハウエイ間のスカルド街道の拡張工事も完了する見込みで、これからより多くのお客がやって来て観光化が進むと思われます。
 その上3年後の完成の予定でアスコーレ~パイユまでの車道の整備計画があり、もっと気軽にトレッキングが出来る様な環境整備計画が進んでいる様です。
 また、中国側では既にK2の北面BC近くまで車道が完成している模様で、カラコロムハイウェイの完全整備と合わせて開発がさらに進み、古い山屋としては昔の夢が失われる様で少し寂しい気もする。
 カラコロムには何度も訪れる登山家やトレッカーも多く、自分もっそのリピーターの仲間に入りたい様な気もする。
最後に思いついた点をランダムに羅列しておきました。

1 スペアのメガネは持参するべき。
破損 紛失など。(現地での作成購入 RS2700 =¥2700程度)

2 有ると便利な物
①ビニール袋 35L(仙台市ゴミ袋)お買い物袋(ダイソー M)キャリーバッグ内の雨の養生及びゴミ袋。
②テルモス 
テント内で夜の水分補給の為(標高4200m以上)
③ホッカイロ
腰に貼り付けて寝ると温かい。

3 ソーラーパネル 5V  2−4A 16W(¥4,500程度)
帰路を除き全日が晴天だった為、デジカメ スマフォ ウォークマンは殆どソーラーパネルで対応した。ただ、悪天候が続く事もあるので乾電池式チャージャーも持参した方が良いでしょう。
但し、乾電池の場合は容量の小さなデジカメバッテリー等にはある程度有効だが、スマフォやタブレット等は30~50%程度しか充電できず、残った感電池の半分以上は無駄になり効率は悪い。

4 モバイルバッテリー 1万mmAh
スマフォ 2〜3回充電可
オリンパス一眼レフバッテリー 4時間充電?
小さくてソーラーパネルとセットで運用すると効果的。

5 デジカメ
① オリンパス OM-D E-M 5 MarkⅡ 手振れ防止機能が良く働き殆ど三脚は使用しなかった。
レンズ  M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm (50mm換算 28-80mm)を多用。 標準ズームの明るいレンズ(f 2.8)。
その他 OLYMPUS DIGTAL40〜150mm M.ZUIKO DIGTAL 75~300mm
② ニコン COOLPIX AW130 (防水デジカメ)

6 PLフィルターを多用した。

7 厚手のダウンジャケットは必須(中高年)標高4200m以上。

8 パルキシオメーター ダイアモックスは体調管理のため必須。

9 正露丸 下痢止 は必須(パキスタン入国初期)。

10 バルトロTR 65歳以上にとってはけっこうハード。(3週間のテント生活と登り下りのモレーン歩きの連続とワンパターンの食生活)特に、この時期の標高の低いアスコーレ~パイユまでの2日間は最高で気温42℃に達して暑く、往復の計4日間は体力の消耗が激しかった。日頃山歩きで足腰を鍛えておいた方が良いでしょう。
ただ、ガイドのべイムさんは過去、70歳以上の日本人女性グループをコンコルディア迄アテンドした事があると言っていた。

11 ゴンドゴロラ峠越えは天候のタイミングとチームの足並みそれに運が揃わないと難しい様です。(多くは断念していると思われる)

12 ニセ警官に注意(入国日イスラマバード空港最後の出口外にて呼び止められ、パスポート、金をチェックすると要求)私服なので要注意。

13 体調不良又は高所順応の失敗が意外と多い。(s旅行2パーティーで途中離脱 1名高度障害の為ヘリでピックアップ 2名は日射病・体調不良で4日目のウルドカスからリターン )公募グループは特に多いと思われる。

14 ガッシャブルム2峰BCのトレッキングはコンコルディア以降の景観に恵まれず、見るべき個所は少ない様で現地では余り人気は無い。日程もきついので結果的にキャンセルとした。

15 食事のメニューは野菜中心でバリエーション豊富。夕食はスープ カレー料理2〜3種類 生野菜サラダ 又はプリンやメロン・マンゴー、缶詰フルーツ等のデザート。
朝食はトースト又はチャパティ(たまにお粥)、オムレツ、パンケーキ。
飲み物はミルクティー、緑茶、コーヒー。
今回は現地食を味わうべきとの趣旨だった為日本食は無し。しかし自分にとっては辛かった。
ナジールEXPの食材は実に質量共に豊富で、生野菜、ヤギ・チキンの肉(2匹調達)生卵(最後迄絶やさず)コカコーラ、粉末ジュース等多種多様。
但し、ヨーロッパ人の基準なのか量が多く、毎回出て来る量の半分から3分の1程度しか食べられなかった。

16 コック長(ジャンさん)の腕は素晴らしく、スカルドのホテル並みの食事を提供。ただ、後半からは同じメニューの繰り返しの為食傷ぎみになり、やはり日本食のバリエーションが必要だった。

17 バルトロ街道は砂塵とロバの馬糞や人糞、そして多量のゴミが散乱して悪い環境が続く。特にパキスタン陸軍によって投機された膨大な数の灯油の空き缶やゴミが散乱し、街道沿いの環境汚染を増長している。

18 バルトロ氷河トレッキングの難易度
最近のネパールTRの状況は良く知りませんが、バルトロTRの場合は途中にホテルやロッジ等は無く2〜3週間のテント生活となり、緑の無い砂塵と岩や石だらけの慣れないモレーン歩きが続き、意外と行動時間も長く体力&精神的にも疲れが貯まりやすい。
トレッキングのスタート4日後に日射病や体調不良で引き返す人もいて、コンコルディアで高所順応の失敗でヘリでスカルドヘ送られるケースも有った。(特に日本人)
日本人は我々と同様に60歳代が多い様ですが、60歳代後半以上になると日頃山で鍛えていないと歩きは結構厳しいです。2年前に結構難易度の高いカンチェンジュンガのトレッキングを行っている2人ですが、バルトロ氷河の方が遥かに厳しいと言っていた。

19 コックやサブガイド&ポーターへの教育や指導が良く出来ており、親切で気配りが良くマナーも愛想も良い。盗難や紛失等は一切無かった。(スタッフやポーターへのチップは必要)

20 特にうるさいと言われる北京空港で入国チェックを受ける際、リチウム電池等は予めパッケージに分けておいてトレイに載せて通過すれば問題なくパスする。

21 天候
イスラマバード着以来連続14日間の晴天の後(コンコルディアからの帰路初日まで)帰路は連続2日間の雨又は曇りその後晴れ。ゴンドゴロラ峠越えは天候のタイミングが悪く断念したが、結果的に1か月間は実にラッキーな天候だった。
雨は日本の様に連続集中的に降る事は無く、曇り〜小雨〜たまに本降り〜晴天と変化する。雨が上がった後は砂塵が舞う事もなく、空気は綺麗で涼しく歩き易い。

22 ナジールEXPとの契約
直接メールでやり取りの後パキスタン入り。特に正式な契約書の取り交わしは無かった。窓口マネジャー スルタンカーンさん

23 客層
中国人のグループが多く次いでドイツ人、フランス人などのヨーロピアンで20〜50歳台。他の日本人は3グループで見かけたのは計20人程度。日本人の若い人は皆無で我々を含めて60歳台が多い。なお、ナジールEXPでは8月に国内A社の日本人3グループをアテンドする予定らしい。

24 計画の変更
元々体力にそぐわない当初から無理な計画だったが、結局3人の足並みが揃わず全体的に縮小&キャンセルとなった。だが、天候には恵まれて写真撮影には最高なトレッキングだった。

25 高度順化
アスコーレ〜コンコルディアまではパイユでの1日の休養日を含み、ゆっくり高度を上げて行くので高度順化は問題なかった。(3人共過去にヒマラヤ登山の経験有り)

26 キャリーバッグ
ナジールEXPではトレッキング中に使用するキャリーバッグの支給はなく、急遽スカルドで4個別途調達した。

27 ウェットティシュ
トレッキング期間中に全身洗えるのは洗面台設備のあるパイユとウルドカス位。顔や全身を拭くのに重宝するのがウェットテッシュ。

28 ナジールEXPへの支払額
明記はしませんが国内のツアー会社の3分の2以下に抑える事は可能。(航空運賃を含む 往復9万円 中国航空の場合)5人程度にまとまればもっと一人当たりの金額は下がるでしょう。但し、現地やトレッキング中のトラブルについては自己責任と考える覚悟は必要。(今回は酸素やガモウバックの持参は無し)

29 トレッキングの時期
7月〜9月迄シーズンだが、9月に入ると気温が下がってコンコルディア周辺以上は雪になるケースが多く、ゴンドゴロラ峠越えはさらに困難になると思われる。最適な時期はコンコルディア着が7月中旬〜8月下旬位と思われます。

30 飲料水
キャンプサイトで煮沸して冷ました水のみ安全。氷河上で一見奇麗な水が流れているが、その上部には必ず馬糞が有ると考えた方が良い。

31 水分の補給
高所順応の為の水分補給は重要で、食事時を含めて2,0L以上の量を確保する。行動中には1.5L位の水を持ったほうが良い。

32 日除け対策
日中は日差しが強いので首筋後部を覆う帽子は必須。通常のキャップと日除け用と2種類を持参した。

33 wifi事情
スカルドより先はwifiが使えず3週間のテント生活では連絡の手段はなった。
スカルドやフンザのホテル内のwifiも通信は不安定で、通信回線が悪くメールは送れるが画像は出来なかったり、使用する時間帯によっては利用者が集中して繋がらなかった。
ただ、意外とラインの画像は時々送信できた。なお、ガイドのベイグさんは会社の衛星電話で遣り取りしていた。

34 バルトロトレッキングの状況
我々のバルトロ方面のトレッキングパミッションNoは99だったが、シーズン中は200を越すグループが入る模様。カラコルムでは超人気のコースかつドル箱のトレッキングコース。

35 エアマットなどの持参
長い間のキャンプ地は良く整備されているものの平坦で石の無い箇所などは限られている。マットは薄手1枚と個人用1枚が支給されるが寝心地は余り良くなく、日本からエアマットなどを1枚を持参した方が良いでしょう。眠れない夜が続くと結構辛いので工夫した方が良いです。

36 K2撮影の為ベストポイント 
殆どのパーティーはコンコルディアを往復するコースをとっているが、K2の巨大な山塊と迫力を感じさせるポイントはブロードピークBCにあると思います。余裕が有れば是非ここから朝徐々に日が当たる姿のワンショットをお勧めします。

 

No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田 ⇔ バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

 

ルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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フンザの旅 2019年 8月 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

2019年11月13日 | ヒマラヤ

8月8日
パスー〜クンジュラブ峠〜ボリイレク

本日はパキスタンでの最後の目標後である中国国境のクンジュラブ峠を目指す。この道路は20年の歳月を掛けて1978年に完成した道路だが、この工事で中国人35名、パキスタン人400名近い作業員が亡くなっている。さらに5年前にこれも中国の資金で大改修工事が完成し、更に2年前には山体崩落で突然出来たアッパード湖の迂回トンネルが完成した。
これによって中国のカシュガルからイスラマバード手前のハヴェリアン迄1300kmの道路が完全整備され、これによってフンザへのアクセスは格段に向上し、今では多くの外国人がやってきてフンザの観光地化に拍車が掛かっている。(陸路の場合はギルギットまで1泊2日 20時間 飛行機の場合はギルギットまで1時間程)
パスーを出発して車で4時間程走ると国境の村のスストに到着したが、着いてみるとそこは中国国境を越えてくる大型トラックの大きなステーション基地となっていおり、バザールが出来てホテルやレストランが並ぶ村とは名ばかりの大きな町だった。
スストから先は景観が変わって険悪な深い谷底を這うように走る道となり、よくぞこんな危ない所に道路を造ったものだと感心するような道が続く。深い渓谷を更に1時間半程走ると視界が開け、ヘアピンカーブの道路を辿って高度を上げるとやがてチベット高原の景色となる。
峠の上り坂の斜面には、30〜40cm位はあるマーモットがあらこちらで草を喰み、実に自然豊かな光景が広がる平和な光景だった。
峠の手前の池塘の周りにはには高山植物が咲き乱れ美しく、中でも黄色いケシの花が印象的だった。中国国境のクンジュラブ峠(4,735m)には多くの中国人観光客がやって来て賑わっていたが、時差の関係でパキスタン側は我々3名とガイドのみで対照的だった。
帰路はスストで昼食の後パスーを通過して昨日ブッキングしたボリレイクホテルに到着し、ホテルのバルコニーでウルタルの壁と美しい湖を眺めながらゆったりとした時間を過ごした。

8月9日
ボリイレイク〜ウルメット〜ギルギット

早朝にホテルを出発してフンザ川に沿ってカラコロムハイウェーを下って行き、途中で左岸に渡るとウルタル2峰上部が見えてきて写真に収める。長谷川パーティーのアタックルートはセラック帯から正面のリッジを攻略しようとした様で、何時になく朝9時にスタートした結果遅すぎて大きな雪崩に巻き込まれ様だ。遅れて出発したナジールさんは時間が遅すぎると反対したが2人は突き進んでしまった。
その後、カリマバードから1時間ほど下ったウルメットのレストランで昼食としたが、真正面に聳える落差5400mもあるのラカポシ北面が我々を圧倒し、氷河から流れ落ちる水の冷気で椅子に座ると心地良く、食事の後に休憩時間を2時間伸ばしてゆっくり寛ぐ。
その後、車を2時間程走らせると空港そばのギルギットのホテルに到着する。ギルギットのバザール内で剥がれた靴のソールを修理し、他にやる事もないのでホテル内でスマホをいじって時間を過ごす。しかし相変わらずwifiは不安定で中々繋がらずイライラする。
なお、現在はギルギットから国境を越えてタシュクルガンまでのバスの定期便が有るそうだが、イスラム過激派の侵入を警戒して国境~タシュクルガンまでは警戒が厳しい模様。1週間前にパキスタン側から入ったガイドの話によると、国境からタシュクルガンまでの2時間は一切止まることは許されず、厳しい検問が有るようで面白くないと言っていた。

8月10日
ギルギット〜イスラマバード

ギルギット発午前の第2便は予定通り離陸してイスラマバード空港に到着したが、着いて直後から激しい雨が降り出してギリギリセーフのラッキーなフライトだった。実際その後2日間は天候不良で飛行機は飛ばず欠航が続いた。
空港に出迎えに来た車でナジールEXPの事務所を訪れ、スルタンカーンさんを交えてのお茶タイム。ホテルに入ってからはゆったりした時間を過ごし、遅い昼食の後色んな店を覗き込んでみたが特に買いたい物は見当たらなかった。

8月11日
イスラマバード 滞在

市内の大きなモスクを見学して高台へ。仙台ならば青葉城を想像させる見晴らしの良い場所。その後、ホテル近くのバザールでお土産用のマンゴーを買い求め、夜は豪華なチャイニーズレストランでナジールさんを混じえての会食となった。
長谷川恒男、森田勝、広島三郎とのやり取りを聞くと大変興味深い話しが時間いっぱい続いた。パキスタンでは国民的英雄であるナジールさんだが、日本人登山家を高く評価していて、大の親日家で有ると共に日本人的なマインドを持った気さくな人だった。(奥さんは日本人で新潟の六日町在住)

8月12日
イスラマバード〜北京〜羽田

出発の便は20時イスラマバード発の為の、ホテルでは何もすることが無くダラダラと過ごす。昨夜はイスラムのお祭りで街は夕方から朝方まで大騒ぎで煩かったが、熱い日中の街の中は殆ど人影はなく閑散としており、おまけに3日間の休日が続くので店は全てクローズ。
買い求めたマンゴーとドライフルーツをバッグに詰め込むと結構な重さで、調子に乗って買い過ぎたと後で後悔。飛行機は約1時間遅れでイスラマバードを離陸し、予想外だったが一旦真逆の南部カラチまで飛んでからイスラマバード方面に戻り、後はノンストップで北上しカシュガル付近経由で北京に到着した。

イスラマバード発〜カラチ〜北京行 
イスラマバード発 20時50分
カラチ着 22時50分
カラチ発 23時50分

8月13日
北京着  9時55分(北京時間)9時間45分
北京発  12時50分 13日
羽田着  17時50分(日本時間)6時間

 

 山の名を忘れてしまいました。

シスパーレの山頂部。

 カラコルムハイウェイは中国にとって重要な輸出輸送ルートであり、一帯一路計画に則った戦略的な軍事道路。いざとなったら多量の戦車が国境を超えて南進するだろう。

 今や国境の村というイメージなど全く無い中国のトラックターミナル基地。

 

 険悪な谷底を見事に掘削して完成した道路だが、多くの作業員の犠牲に上に成り立っている。

 険悪な谷底を見事に掘削して完成した道路だが、多くの作業員の犠牲に上に成り立っている。

途中のゲートは国立公園の入園料(一人¥800也)を取られる。

 パキスタンのトレッキングパミッションで登れる国境付近の山。6200m位か。ルートは右から廻り込んで裏側から登頂する。

 日本ではなじみの薄い動物であるがヒマラヤに生息する。中国人でさえ捉えても食べないそうだ。食べても余程まずいのだろう。

 ヒマラヤの天空をドライブするこのコースは完全舗装で実に快適。

 4600m付近の穏やかな光景。

 この様な高地で群生する花は少ないのでは?

 小ぶりだがこれはケシの花。

 日本でも見かけるような花だが不明。

 40分ほど散策しながらカメラで撮りまくる。

 峠の国境にパキスタンの兵士が常駐しているがリラックスした雰囲気。

 パキスタンが世界に誇る「世界最高所のATM」。何が何でも世界一の名を欲しがる理由もよく分かる。

 パキスタンが世界に誇るATM。パキスタン人が記念に自分の口座から現金を引き出す人もいるようだ。 

 

国境を超えてタシュクルガンからカシュガルを目指すお客もいるが、現在はパキスタンからイスラム過激派の流入を警戒した中国政府の警戒は厳しい。

 中国国境までは300m程歩く。

 のんびりして気さくな感じのパキスタン側だが中国側の兵士はピリピリして煩い。

 スストまで戻っての昼食のためレストランへ。

 鶏肉は新鮮で日本のブロイラー等とは違って美味しい。

 後ろのバックヤードには在庫が・・・。

 早朝にボリレイクホテルのベランダからウルタル2峰の東面を撮影。

 一見ルートになりそうな雪稜だがおそらくその先には大きなギャップが有るのだろう。

 今のフンザは杏の収穫期。生でも美味しいが自然乾燥でドライフルーツにしても美味しい。

 2年前に完成下ばかりのホテルは小綺麗で設備も立派。

 お馴染みのレディスフィンガーとフンザピーク。

 お馴染みのレディスフィンガーとフンザピーク。

 故郷のフンザで暮らすガイドのお母さんと娘夫婦。

 長谷川パーティーによるウルタル2峰のアタックルート。中央のセラック帯を越えて上部岸壁を目指したが、セラッックの崩壊による雪崩によってBC近くまで流された模様

 ウルメットのレストランから見上げるラカポシ北面の様子。レストランから標高差5400mの高度差はエベレストBCから山頂までの高度差を遥かに凌ぐ。

 氷河から下る冷気が心地良く中々離れがたいレストラン。

 2時間程くつろいだが贅沢な空間と時間を満喫。

 ギルギットに入ると豊富な野菜や果物に驚く。

 迷惑なお客はご覧の通りお引取り願う。

 悪天候が迫っていたがギリギリセーフでギルギットを離陸

 アルコール類は皆無。つまらないので写真を1枚。

 パキスタンが誇る世界で5番目の規模を誇るイスラマバードのモスク。残念だが金を出したのはサウジアラビアでモスクも皇太子の名前が刻まれている。

 モスクにお祈りに訪れた若夫婦とお子さん。パキスタンでは医療制度が不備で、病気の子供を連れて訪れた様です。

 

No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー ⇔ No11 バルトロ氷河TR 備忘録


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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フンザの旅 2019年 8月 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

2019年11月10日 | ヒマラヤ

7月7日
今日はカラコロムハイウエィを北上し、中国国境のクンジュラブ峠(4733m)を目指してカリマバードを出発。途中に寄り道してフンザ川対岸のナガール村まで行くと、ウルタル2峰の山頂付近のアタックルートの概要が伺え、長谷川恒男パーティーの辿ったルートを推測してみた。雲で中々見えなかったレディースフィンガーとフンザピークも良く見える。
カラコロムハイウェイに戻って北上すると突然立派なトンネルを通過し、そこを抜けると大規模な三体崩壊で出来た自然のダムのアッタバード湖が現われた。ダムの底には集落が埋没して20名が亡くなったそうだが、エメラルドブルーの美しい湖が出来て今や一大観光地に変わってしまった。
周りには建設中のホテルが数棟あって急激な観光地かが進んでおり、今後はパキスタンを代表するリゾート地開発が進み、さらに多くの外国人旅行者がやって来るだろう。今や「不老長寿の里」というフレーズは言葉だけになりそうだ。
勤勉なフンザ人は良く働き粗食にも耐えて長寿を全うしたが、今や車社会で歩くこともなくチキンやマトンを主としたハイカロリーの食事で腹はビア樽状態傾向とか。90~100歳と言われた長寿の里は今や平均寿命65歳らしい。
ガイドがパスー村の手前にお勧めの湖が有るとの事で訪れて見ると、坂道を15分程上がった先に突然緑のオアシスと綺麗に澄んだ湖が現れて、荒々しい岩と砂の無機質な世界から雰囲気は一変する。
ボリレイク(塩の湖)と呼ばれる湖の周りには建ったばかりのホテルが2軒有り、大きな方のホテルで昼食を取ってみたが食事も美味しく気に入ってしまい、パスーで2泊の予定をキャンセルして帰路の1泊をこのボリレイクホテル泊に変更した。
昼食後にはさらに細い道を車で30分ほど先に進み、その先から歩いてパスー氷河見学の散策となる。往復1時間半ほどのショートコースのハイキングだが、終点の小さな丘からは広大なパスー氷河の奥にパスーピーク (7478m)を見渡すことが出来る。パスー氷河はカラコルムでは珍しく氷が露出した白く綺麗な氷河だった。
ボリレイクからカラコロムハイウェイに戻って1時間程車を走らせるとそこは質素なパスー村で、村はずれの道路沿いのホテルに到着すると、ホテル目の前の6000m級の針峰群に我々は圧倒される。夕日を浴びるその姿を狙って思わず数多くのシャッターを切ったが、刻々と変化するその姿は日本では見る事の出来ない荘厳な世界だった。この光景を見るだけでもこのホテルに泊まる価値が有る。

カラコロムハィウェイから見るウルタル1峰(7329m)と2峰(7388m)。

さらにカラコロムハイウェイを北上するとウルタル2峰
の頂上付近がよく見える。右の急峻なリッジが日本山岳会東海支部の初登ルート。中央は第2登した日本隊(カトマンズクラブ)のルート。

カリマバードの対岸のナガール村から見るレディスフィンガー(5985m)とフンザピーク(6270m)。

ナガール村の奥にはゴールデンピラー(スパンテイック)がよく見える。

古代シルクロードの交通の要所だったフンザの面影が残っている。

フンザピーク(左)とウルタル1峰(右)

ウルタル2峰の南面

2年前に中国の資金で掘られたアッタバード湖のトンネル

中国の目的は国境を越えてイスラマバード~カラチ~イランに南進するための軍事道路。

この下に集落が埋まっているが山体崩落は今でも続いている様です。

深いところでは深さが100mあるらしい。

新築中のホテルや観光客用の貸テントなどが多い。トンネルが出来る前には船でトラックも運ばれていたが、慣れない仕事で転覆事故が多発していた模様。 

 朝のカラコロムハイウェイは車が少なく、朝の直線なら90キロ位で飛ばして行く。

 パスー方面から見るウルタル2峰東面の下部。

 ボリレークからシスパーレ(右)を見る。

 平出・中島パーティーは右の壁を抜けて雪稜を辿って山頂に立った。下降は右側の初登ルートの尾根を3~4日かけて下った。

 ボリレイクの小高い丘に登ると6000mクラスの針峰群が見える。地元のクライマーが挑んだが山頂には達しなかった模様。

 2年前にできたばかりのホテルの周りは素晴らしいロケーション。まだ派手な観光地化が進まず静かな雰囲気がお気に入り。

 この湖の水源は地下水で珍しく水が澄んでいる。上の緑のラインは氷河から引いた水路で村中を潤している。

 岩と氷の荒涼とした山とオアシスのような緑と湖の対比が生える。

パキスタン人も泳ぐとは意外。多分、南部ラホール方面から避暑にやって来る金持ちの観光客か?

 カラコロムハイウェイ沿いのパスー村手前の光景。居間は麦の収穫期で女性が畑仕事をやっているが男の姿はない。

 山が崩壊してアッパード湖が出来た際この村のそばまで水が上がってきたらしい。

 ポプラの木とシスパーレ。左はウルタル2峰の東面。

 こじんまりとしたホテルだが小奇麗で内装やトイレなどは立派な設備だった。

 ガイドの車でボリレイクから細い道を30分程進み、パスー氷河がよく見える丘を目指す。

 最奥に見える山はかつて日本・パキスタン合同隊が初登頂したパスーピーク。カラコルムでは珍しく氷河は白くてき綺麗。

 往復1時間半程のショートコースハイキングで家族連れの姿もチラホラ。

 パスーピークの初登ルートは左側の氷河かららしい。

 頭だけ突き出たシスパーレ。

 パスー村の顔とも言えそうな6000mクラスの針峰群。西遊記に出てくる光景はこの辺りか?

 先に見える緑の土地がパスー村。今や中国国境を越えて運ばれる大型トラックが頻繁に行き来する。

 荒々しい山と空のコントラストが印象的。

 カラコロムハイウェイ沿いのホテルに到着してみると目の前はこの光景。

 刻々と変化する光景を見ていると時間を忘れる。

 夕暮れ時の光景。こんな素晴らしい世界だがギャラリーは我々3人のお客と1人のガイドのみ。

 夕方に静かで質素なパスー村を散策。素朴な建物だが村人の教育水準は高く就学率はパキスタンでもトップレベル。多くの人材が海外で活躍しているらしい。

 モスクだけは大変立派。近くには最近日本の支援でできた学校が立っている。

 女性の写真を撮るのは中々難しいのだが意外とあっさりOK

 村の各戸の庭には杏やサクランボやリンゴが栽培されている。リンゴはドライフルーツ以外に翌年の春まで生食保存される。

 広い敷地のゆったりした環境が中々で、ホテルは綺麗で食事は今まで最高の味で大変満足。

 中央がオーナーで兄弟2人でやっている。食事の際には常にそばにいて細かい気づかいが素晴らしい。

 動画 ① ボリレイクの丘からウルタル2峰北面

No8 カリマバード滞在の3日間 ⇔ No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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フンザの旅 2019年 8月 No8 カリマバード滞在の3日間

2019年11月08日 | ヒマラヤ

8月4日 カリマバード ホテル泊

今日はベイグさん最後のガイドの日で、予定通りフンザ王国の古城跡バルティットフォートの見学に出かける。850年の歴史を誇った王国は1945年パキスタンに編入されて姿を消したが、その子孫は今でもカリマバードに住居を構え代は続いている。
古城はホテルから坂道を歩いて30分くらいの距離だが、訪れてみるとヨーロッパ人以外に南部ラホール方面のパキスタン人が多い様で、避暑のため訪れる家族連れや若い女性の姿が多いのは意外だった。帰りに道の途中のフンザ料理専門の小さな店に立ち寄り、地元のチーズを使ったスープやチャパティ料理や蜂蜜を使ったパンケーキなど、フンザの素朴で風土色が良く出ていて美味しかった。
ガイドのベイグさんはこの後休む事無くナンガパルバット方面のガイドの仕事が待っている様で、ここで素晴らしいアテンドをしてくれたベイグさんにはお礼を述べてお別れとした。

8月5日
カリマバード ホテル泊

ホテルはカリマバードの中腹に立つフンザの谷筋を見下ろす景勝の位置にあり、頭上にはかつて長谷川恒夫さんが情熱を掛けて挑んだウルタル2峰(7388m)が聳える。
朝食の後ガイドのランクルに乗ってフンザ上部にあるドゥイカルの丘(2850m)に向かうと、そこは素晴らしい展望台となっており、対岸の山並みには抜きんでた高さとさと美しさを誇るラカポシ(7788m)。
左の山並みの後ろには白く輝くディラン(7266m)の山頂部が伺え、さらに左奥には山頂から垂直に切れ落ちるゴールデンピラー(スパンテーク峰 7027m)が見える。さらに後ろを振り返ると人差し指を天につき立てたような形状のレディースフィンガー(5985m)とフンザピーク(6270m)が見える。
思わず何枚もシャッターを切ってしまうのだが、カラコルムの高峰に守られたフンザ谷の美しく雄大な光景を目にすると、何か現実感を失ってしまいそうな世界が広がる。
その後カリマバードに戻り、フンザ谷を隔てフンザ王国とて対立していたナガール王国との防御の為の古城アルティットフォートを見物し、いったんホテルに戻った後に長谷川メモリアルスクールを訪れる。
故長谷川恒夫の遺言を受け継いだ奥様の直美さんや、多くの日本人の支援者によって設立された学校だが、建物は立派で施設も充実して現在では初等教育から英語での教育に力が注がれ、今や学生の数は800人を超すフンザではNo1の有名校になっている。

8月6日
カリマバード ホテル泊

今日はカリマバード観光の最終日となるが、ウルタルの展望台へ往復3時間のハイキング(途中まで車使用)となった。村の狹い道路を最後迄の車で上がり、そこからアプリコットのなるが畑の急な路を上がると視界が広がり、展望台から繋がる水路(工事中)上り詰め、後は水路に沿って水平に歩いてゆくと頂上に辿り着く。
裏側に回り込むとウルタルBCに行く下の水路が見えるが、2年前のガスの噴出に依る大崩落で谷が塞がり通行は困難な状態となり、また上部のウルタルBC付近の緑の大地も岩石で埋まって見る影もない模様。
現在反対側の右岸からダイナマイトで発破しながら新たな水路工事をやっていて、これが繋がれば再びウルタルBC迄スムーズに行けるかも知れない。(来年の夏の予定らしい)
午後になってからお土産屋を物色して目ぼしいものを探すが、お土産になりそうなものは余りなくお決まりの乾燥フルーツ購入となる。ホテル裏側のドライフルーツ店の主人は日本に何度か来ている様で、長野に果樹栽培の実習生で来日しのか多くの日本人の山岳関係の友人がいる様だった。結局店で話が弾んで3人でまとめ買いをする羽目になってしまい、残っているパキスタンルピーの大半を使ってしまった。

 

 早朝のカリマバードのホテルのベランダからウルタル1峰(左) 2峰(右)を仰ぐ。

 ホテルから10分ほど上がった丘より見るウルタル1峰(7329m)

 ウルタール・サールは、パキスタン・カラコルム山脈バツーラ山群に属する10kmにわたる山群の総称。ボイオハグル・デュアナシールとも呼ばれる1峰、2峰からなる。

 ウルタルサールの反対側にはフンザ川を隔ててディラン峰(7,257M)の山頂が姿を現す。

 フンザの谷の対岸には秀麗なラカポシ(7788m)が鎮座する。

 緑豊かなフンザはこの時期はあんずの収穫期。

 パキスタンに編入されて姿を消したフンザ王朝のバルティットフォート。現在は外壁の改修修業中。

 有名なガイドでサービス精神が有って人気者。

 バルティットフォートの屋上より見るウルタル1峰方面。往復3時間ほどの歩きで右のウルタルの展望台に至る。

 バルティットフォートの最上階から。

 日本人旅行者の間では「風の谷のナウシカ」の「風の谷」のモデルとなったと言われてきたが真偽のほどは不明。

 かつてはフンザワインが密かに造られていたようだが、厳しく禁止されて今は手に入らない。

 ディラン峰(7,257m。日本人にも馴染み深いこの山を世に知らしめたのは、1965年京都府岳連カラコルム登山隊にドクターとして参加した北杜夫の小説「白きたおやかな峰」

 人差し指をつき立てたようなその形状から「レディースフィンガー」の異名をとる。 1995年に山野井1995年に山野井泰史、長尾妙子、中垣大作の3人で未踏の正面ウォールを攻略し登頂に成功

 朝日に染まるラカポシの北東面。

 

 フンザ川沿いのカラコロムハイウェーを北上すると中国国境のクンジュラブ峠に至る。

 フンザ川の下流方向はギルギットに至るカラコロムハイウェーが続いている。

 世界中の観光客がやって来るフンザの谷。

 中央がディランの北稜と思われる。意外とクレバス帯が行く手を阻んでいるように思われる。

 ラカポシは8000mの山に劣らない気品と風格がある。今年の7月に南面の新ルートより平出・中島パーティーが登頂に成功している。

 スパンティック峰(7027m)の北面が垂直に切れ落ちたゴールデンピラー。まだ第2登されていない様です。

 中央の青いテント近くまで登るとウルタルBC方面がうかがえる。

 あんずの木の畑を上り詰めると見事な視界が広がる。

 天空を散歩する様にこの水路を辿って行くと間もなく終点

 今日もダイナマイトで岩盤を吹き飛ばして水路を先に延ばしていた。来年に道が通じればウルタルBCまで安心して歩けるだろう。

 右下の道の先はガスの噴出で岩雪崩が起きて歩けなくなった。

 フンザ谷の対岸で敵対するナガール王国からの防御のため造られた城のアルテットフォート。

岩を削って建てたアルティット城はかなり古い。

 フンザの王様の護衛になるためには若い頃にこの岩のてっぺんに立たなければならないらしい。間違えば200m下のフンザ川へダイビング。

 

 カリマバードの丘からバルティットフォートを見下ろす。

 すっかり観光客になり切る。

 フンザ料理の店でランチ。素朴なチーズを使ったメニューが特徴。

 最近のメニューはヨーロッパナイズされたのだろう。

 カリマバードのハセガワメモリアルスクールへ行ってみる

 建物は長谷川恒夫の意思を受け継いだ真美夫人と多くの日本人支援者の手により建てられた。

 フンザはパキスタンの中でも最も就学率が高く優秀な人材が育っている。パソコン機器も置いてあるらしい。

 何時まで眺めても飽きる事のないラカポシ。

 レディースフィンガー(左)とフンザピーク(右)。

 長谷川隊ウルタル2峰の上部ルートは中央の雪田から右上してリッジ通しに山頂を狙った模様。大きな雪崩に遭遇して2人がBC近くまで流れ遭難した。

 ピンポン玉くらいのオリーブの実は食べ頃。

動画 ① カリマバードの丘からフンザの谷展望

動画 ② 展望台よりディラン&ゴールデンピラー

動画 ③ ウルタル展望台からフンザ谷~ラカポシ~ディラン

 

No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード ⇔ No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

 

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 8月 No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

2019年11月05日 | ヒマラヤ

8月1日
アスコーレ〜スカルド
アスコーレ発 6時15分
スカルド着 15時 (8時間45分)

アスコーレをランクルで早朝に出発して間もなく、昨日の高温による雪解けによる増水の為路肩が流され、道路が寸断されて車が12台ほど立ち往生してしまう。重機もなければスコップ・ツルハシさえもなく、皆で岩と石を手で運んで積み重ねて道路を復旧する迄1時間半。
更に1時間走ると今度は乗っている車のトラブル(4WDが効かない)で、ドライバーはなんと後部車輪のシャフトをばらし始めるが、大したもので部品の歯車を交換して1時間半後にスタートした。パキスタン人は良くやるな・・・。
車の修理には1時間半を要してしまい、予定時間を3時間程オーバーして8時間45分後スカルドに到着した。

7月2日
スカルド ステイ

予定ではスカルドステイが2日の予定だったが、この埃っぽく特に見るべき物も無いスカルドの街に愛想をつかし、1日繰り上げて楽しそうなカリマバードに移動しステイとする。
散々砂埃まみれになった衣類やディパックを洗濯し、体も頭も洗って気分を一新してフンザに向けて気分を切り替えた。

7月3日
スカルド〜カリマバード 移動
スカルド発 7時20分
カラコルムハイウェイ着 18時30分
カリマバード着 20時30分 (13時間10分)

スカルドを出発して広大なインダス川の右岸を下って行くと、次第に谷は深く険悪な様相になって道は荒れてくる。
ギルギット方面に入るとそこら中が道路拡張工事で、大型の重機ブレーカーを使って砕き、バケット&ユンボでそれをどける作業がほぼ全区間に渡って行われている。
パキスタン政府によって3年後にはカラコルムハイウェイからスカルドまで拡張整備を完成させる予定。
しかし工事のやり方はかなり荒っぽく、多くの車が通行中にもかかわらずダイナマイトで岩盤を吹き飛ばし、重機で路上の岩を除去してインダス川に落とす。
結局途中5ヶ所で足止めをくらいカリマバードに着いたの13時間後だった。砂塵の舞うスカルドロードは予想外の悪路で2度と通りたく無い道だが、後5年も経ってみるとこれも良き思い出になるだろう。

 パキスタンの山岳部ではランクルの40が1/3 70が2/3が主役で活躍している。

 ジープというよりトラック・バスに近い改造がなされてこれが最強の車。

 前日の気温上昇で山の雪解け水が流れて道路の路肩が崩壊

 車12台が立ち往生して復旧作業になるが有るのはおもちゃの様なスコップ一丁のみ。

 全て手作業で復旧して1時間半後にランクルが通過。

 今度は乗っていたランクルの4WDが効かなくなる故障。

 おもちゃの様なジャッキで持ち上げてシャフト周りをチェック。

 バラして歯車を2個交換すると車は動く。

 パキスタンのドライバーは整備士を兼ねないと商売にならないらしい。

 スカルド~ギルギット方面に向かう道は全区間で拡張工事中で車は中々進まない。

 車を止めるとダイナマイトで岩盤を爆破して重機で片づける。

 落石を食らった車のフロントガラスはサランラップを貼ってOK。

 中国製のトラックだろうが最近は日野・いすゞが目立つ。

 スカルド街道の途中にあるヤギのスープで有名な店でランチ。美味い。

 道路の片側はこんな具合で車の通行なんかは二の次。本当に3年でスカルドまでの道路は完成するのか?

 1時間半も待たされると諦めるしか無い。

 道路の片側を見上げると岩が落ちてきそうで落ち着かない

 パキスタンの道路を作っても傷んだら治すという文化がなさそうでそのまま放置。

 パキスタンのトラック野郎の面々。

 こんな光景はごく普通。パキスタンでのトヨタは最強です

 ドライバー同士でド派手さを競って最後はこうなる。

 一体何を積んで走っているのか?

 アスコーレからスカルドに向かう道路は緊張する。

 トンネルでもほったほうが良いと思うがそれが出来ない。

 動画 ① パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70

動画 ② パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70 02

動画 ③ パキスタン山岳部で圧倒的な存在感のランクル 40&70 03

 

No6 コンコルディア〜アスコーレ  No8 カリマバード滞在の3日間


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

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フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

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バルトロ氷河トレッキング  2019年 7月 No6 コンコルディア〜アスコーレ

2019年11月01日 | ヒマラヤ

7月26日
コンコルディア〜ゴレ
気温 3〜13℃
天候 曇りのち雨
コンコルディア発 6時17分
ゴレⅡ着 13時7分 (6時間50分)

朝起きてみると予報通りK2、ブロードピーク、ガッシャブルム4峰は上半分が雲で覆われ、バルトロカンリも山頂こそ見えるが周辺は雲で覆われ悪天候の兆しは顕著だった。
この天候ではゴンドゴロラ峠の急峻な雪壁は視界が効かずルートミスし易く、仮に峠に立てても下りでは視界が効かない中、気温が高めで落石が飛んで来ても逃げられまい。恐らくこれではレスキューもポーターも出動しないだろう。
ここ迄考えるとここでやっと踏ん切りが付き、むしろ14日間連続した好天に我々は感謝せねばなるまい。
ゴレⅡに向かって出発するとしばらくして小雨模様となり、雨具を着て降って行くと次第に雨足が強くなり、ゴレⅡに付いた頃には本格的な雨となる。しかし、夕方になると青空が顔を出し、正面には美しくかつ荘厳なマッシャブルムの北面が姿を表した。ガッシャブルム4峰の西壁には雪が付いて白くなっていた。

7月27日
ゴレⅡ〜ウルドゥカス
気温 3〜15℃
天候 曇りのち雨
ゴレⅡ発 6時30分
ウルドゥカス着 13時30分(7時間)

今日の朝も雲がたれ込めて山頂方面は雲に覆われ、何となく穂高連峰を見ている様で全く迫力が無い。我々は散々写真も取り後は降るだけだが、コンコルディア方面に今から向かうパーティーの皆様方はご愁傷様です。
昨日同様に昼過ぎから小雨がちらつき、テントサイトにつく頃には本格的な雨となり、夕方になると上がるというパターン。
お陰で砂塵と馬糞の舞う街道は地面が湿って空気が綺麗になり、適度な気温で歩く分には快適な環境で決して悪くはない。
衛星電話によると今後6日間は悪天候の予報の為、往来するトレッキングパーティーやポーターは少ない。
しかし、アーミーのロバによる燃料輸送の隊列だけはやたらと多い。話を聞いてみると、インド国境付近の冬季間キャンプに常駐する為の灯油や軽油を夏に輸送しているらしい。

7月28日
ウルドゥカス〜コボルテ
気温 5〜21℃
天候 雨から曇り
ウルドゥカス発 6時17分
コボルテ着 10時35分

今日は4時間行程で楽なはずだが、朝から小雨がチラついてモチベーションは下がるのみ。雨具上下で歩いていると今度は暑くなって脱ぐ。
途中には落石の危険地帯が2個所程有り、ノンストップで通過するのもちょっと辛い。
ウルドカスに着いてみると、今から下山する登山隊と、今からコンコルディアを目指すトレッキングループで賑わっていた。今日は早く着いたので体力回復の為、午後は殆ど寝て過ごした。

7月29日
コボルテ〜パイユ
気温 10〜32℃
天候 曇りのち晴れ
コボルテ発 6時30分
パイユ着 2時10分 7時間40分

昨日食欲不振と倦怠感で沈んでいた自分だが、ベイグさんに貰った3種類の薬を飲んだら一夜で回復。流石、経験と実績のなせる技と感心。
コボルテを出発するとやがて左岸トラバース地点を通過するが、ここはバルトロ街道で最も危険な落石多発地帯。約500m位の落石地帯をノンストップかつ早足で通過すると、途中2箇所で3〜5cm位の石が飛んで来て逃げるようにして走り去る。
先週は1頭のロバが当たってしまい、今シーズンは3頭が死んでいて、女性一人が亡くなっているらしい。
危険地帯を通過すると今度は色々な花が咲き誇り、この岩と砂だけの荒涼とした世界に一時の休息を与えてくれる。
コンコルディア方面は雪が降って降っている様で、ここから見るトラゴンド山群やカテドラル山群の山頂も雲に覆われて山頂は覗えず、辛うじてトランドタワーのピークだけ姿を現している。
ようやくパイユのキャンプサイトが見えてきたが、1時間位と思ったら2時間掛かってもたどり着かず、バルトロ氷河の大きさをいやでも実感させられる。
なお、温暖化で氷河は毎年後退していると思ったら、ガイドのベイグさんによると氷河の末端はパイユに向かって前進しているとは意外だった。どうやら高温で氷が緩んで崩壊が進み、その押出で氷河の末端が伸びている様だった。

7月30日
パイユ〜ジョラ
気温 15〜30℃
天候 曇りのち晴れ
パイユ発 6時20分
ジョラ着 16時45分 (10時間25分)

本日の行程は最も長く、往路は気温38℃と熱射病寸前と思える日で12時間を要する日となったコースだ。
朝は曇りがちでやや風も吹いて歩きやすいが、晴れてくると気温が上昇して次第に負担が掛かってスピードが落ちる。
遠くには雲を被って天に突き刺す様なk2南面の山頂が望めるが、これがバルトロ巨峰群との最後の別れとなる。
実に雄大で両岸が岸壁帯となった谷の道は比較的平坦な緩い下り道だが、連日の疲れが頂点に達したのか後続の足取りは重く、30分毎の休憩を入れて前進するが苦しそうだ。
ジョラに着いてみると今からコンコルディアを目指すグループで混雑し、中国人やヨーロッパや日本のS社のグループの姿が見られた。

7月31日
ジョラ〜アスコーレ
気温 20〜40℃
天候 晴れ
ジョラ発 6時20分
アスコーレ着 15時10分

ジョラをスタートして20分位で吊橋を渡り、今度は対岸を逆方向に戻って右岸沿いの路を進む。かなりの迂回になるが、吊橋を掛けられる箇所はここしか無いので仕方がない。
早朝涼しい時に距離を稼ぐ作線だったが、次第にブレーキが掛かってペースが落ち、次第に気温は上昇して40℃に達する。
行けども中々届かない砂漠地帯の辛い歩きを続けるが、熱中症の恐れも出てきて心配になってガイドのベイグさんには先行してもらい、迎えのジープの手配を頼んで前進。
ようやく届いたアスコーレでは冷たいコーラを思わずがぶ飲みし、着いてからポーターへのチップを支払い記念撮影。中々気の良いメンバーで我々も助かった。

 コンコルディアのキッチンテントで。

 biarghedl pks 2峰 (6781m)の北面。

 クレバスの闇はかなり深そうだ

 パキスタン陸軍がバルトロ氷河の環境破壊を深刻化さえている張本人。

 コンコルディアからゴレⅡを目指して往路を引き返す。

 雨雲が近づいてガッシャブルム峰も雲の隠れる。

 広いモレーンを歩いているとこんなモニュメントも。

 ポーターは規定で一人25Kgとなっているが、力が有ればもっと稼げるのだろう。

 パキスタンに入ってから初めての雨の日。

 石や岩の5~10cm位下はブルーアイスの氷河。

 後ろはパキスタン陸軍の貨物中継所。

迷路のような箇所も有ってガイドに頼ることも多い。

 ポーター意外にポーターの食料・生活用具を運ぶポーターが必要。

 パキスタン陸軍燃料を輸送するロバの隊列。

 迷いやすいコースの目印。

 ガイドのベイグさん(左)とサブガイドのザヒさん(右)

 標高4200m地点。

 

 

 

 標高4000mを切るとようやく緑が・・。

 右のタワーがウリビアホータワー(6109m?)

 コルポツェ(3940m)まで下って来る。

 この先左の斜面は落石の集中するバルトロ街道で最も緊張する場所。

 やはり温暖化が進んでいるような気がする。

 うっかりしてこのブルーアイスでウイスキーを飲むのを忘れていた。

 この間の危険地帯は500m程速足で通過する。3~5cm程の石が飛んできて気が抜けない。

 

 

 

 バラの花の一種らしいがヤギはトゲも一緒に食べてしまう

 

 

 

 ようやく長かったモレーンに別れを告げて少しホットする

 バルトロ氷河の末端は温暖化のため後退していると思ったらむしろ伸びているらしい。(溶けて崩壊した氷河が押し出されているという)

 雨が作り出した自然の造形美。

 終点のアスコーレに至るつり橋の下は激流が走る。

 工事中のつり橋を渡る。

 パイユ~ジョラに至る断崖に刻まれた道。ここが崩壊すると丸1~2日を要する高巻きとなるらしい。

ロバも階段を登らされてさぞかし迷惑だろう。

 動画 ① パイユからの帰り

 動画 ② アスコーレの吊り橋 

 

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