東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

イエティの噂話 1975年10月 アンナプルナサウス登山隊のお土産話。

2024年06月13日 | 東日本大震災
最近すっかり影を潜めたヒマラヤのイエティの話題だが、30~40年前には様々な雪男探検隊がネパールを訪れ、一時はブームになって皆さんご記憶に有る方も多いと思います。
しかし、数多くの探索隊がネパールに入って調査を試みたもの、決定的な画像・足跡・物的な証拠品は発見されず、やがてその熱も冷めて行く事になった。
実は、自分が1975年10月にネパールのアンナプルナサウス登山隊に参加した際、実に奇妙な足跡の様なものに遭遇したことが有る。5200mのC2キャンプに滞在していた高橋隊員が早朝に発見したもので、足跡らしきものはルート上の狭くて両側とも切れ落ちた尾根を北側から南側に越えて下の氷河に駆け下ったように見えた。
夜間の降雪のために足跡は不鮮明な状態で、これがイエティと断定できる程のものではなかったが、今でも記憶に新しくまた思いで深い物となっている。
この論争は2003年の根深誠氏の「イエティのチベットヒグマ説」によりある程度の終息を見た感が有り、その後はあまり話題に上る事もなくなった。
またヒグマ説以外には、エサのない6000m位の標高迄登るのが不思議だが雪ヒョウ説も有る。但し、生息域は中央アジアやインドの高山地帯で、ネパールではマナン地方で僅かに見られるが、アンナプルナ山域での目撃情報はきわめて少ない様だ。
しかし、48年たった今となっても自分ではイエティ肯定派の立ち位置は変わらず、大きなロマンを抱えながら登山人生を終える事
を誇らしげにも感じています。
野生動物の生態に詳しい方のコメントを歓迎します。
 
 
C2で早朝に足跡を発見。
 
登ってきた北斜面の下は絶壁。
 
昨夜の風雪で不鮮明な足跡。
 
足跡
 
アンナプルナ氷河より急峻な北斜面を超えて尾根上に達したように見える。
 
トサカ尾根の北斜面から南斜面のガネッシュ氷河に下降したように見える。
 
ガネッシュ氷河の雪崩。
 
C2から先は鋭く切れ落ちたトサカ尾根。
 
足跡
 
不鮮明だが足跡の形に思える。
 
ユキヒョウの足跡 インドヒマラヤ?
 
ヒグマの足跡 足跡は左右に振れ、足の形も足跡の画像とは異なる。
 
熊の足跡。
 
 
「イエティの噂話」
 
 
 
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山荘の庭の草刈り 2021.06.06

2021年06月07日 | 東日本大震災
不忘山に花見物に行くつもりだったが急に気が変わって田舎の山荘の庭の草刈り。放っておいた庭は雑草が伸びて勢いづいていたが、その中で、シャクヤク、コアヤメ、ドイツアヤメなどが咲き、雑草のハルジオンの花は庭中を席巻していた。
全て刈払っていまう訳にも行かず残したが、毎冬積雪1.0~1.5mの下に眠っていたはずの花が次々と開花する生命力は見事ともいえる。
春から秋にかけて次々と開花しても花オンチの自分はただ眺めるだけだが、よくぞこんなに多くの花を植え付けたものだと感心する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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全壊とされた仙台市内のマンション 東日本大震災 2011.07.09

2011年07月09日 | 東日本大震災
全員退去となり、国費による解体が検討されているマンション

先日の報道ステーションで報道されていましたが、仙台市内のマン​ション約100棟が全壊以上と査定されている模様です。(賃貸及​び分譲と思われる)

しかし、現在の区分所有法では分譲の場合建て替えとなると4分の3の同意が必要で​、解体となるとその規定はなく、民法の規定により全員の同意が必​要とされています。

実際のところ築30年を超えるようなマンションでは高齢者が多く、賃貸になっていたり空き室になっていて連絡も取れないケースも多い。

中には管理費や修繕積立金未納で競売扱いになっていたり、しかも年金生活者のすべての同意をとること自体が困難で、これを​乗り越えるハードルは極めて高い。

特に倒壊の恐れのあるマンションでは国の費用による解体となる方向ですが、建て替えや解体にしろ何れ区分所有法の改正が必要になると思われます。

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東日本大震災 マンション 電気温水器の復活 2011.05.27

2011年05月27日 | 東日本大震災
我が家のマンションの電気温水器が復活し、今日の朝約75日ぶりに温水シャワーを浴びることができた。

築30年位になるこのマンションは、今でははやらない夜間電力を使って温水をためる旧タイプの設備で、このマンションの温水器は8割位の家で壊れてしまい修理が必要になってしまった。

この温水器の最大の欠陥は地震に弱い事で、直径80cm 高さ1.5m位のタンクはお湯が溜まると重心が高くて揺れやすく、細い温水の銅管やバルブやエルボなどは簡単の損傷を受けてしまう。

タンクの下は3か所のアンカーボルトでコンクリートスラブに固定されているが、大きな揺れで抜けてしまってタンクが傾いた家も多く、中には倒れて家の中や廊下が水浸しになっているお気の毒な方も。

タンク内に損傷を受けて漏水してしまい、本体を丸ごと交換せざるを得ないケースも少なくない。最近メーカーもあまり生産していないのは供給は悪い。

おかげで廊下側に位置しているために各階の廊下と階段は水浸しとなり、1Fのエレベーターシャフトは1.0m程水が溜まってメンテ会社の方も復旧には苦労していた。

厄介なのは本体や部材不足でメーカーの対応が悪く、修理を申し込んでも何の音沙汰なく今日まで放置状態で、さんざん催促してようやく配管を交換して使えるようにはなった。

地震への対策としてM10のオールアンカーで本体を壁に固定してもい、バルブも耐震性にある部材に変えてもらった。

毎朝、起きてから体をゴシゴシやって出勤していたので、今日はシャワーでもそのありがたみを感じてしまう。原発問題でいろんな事が言われているが、電気の恩恵をどれだけ受けているかを自分も実感させらると同時に、電気に頼る暮らしがどれだけ脆弱かを知る結果となった。



18年位使った本体 (寿命は15年とか)


M10のオールアンカーで本体を壁に固定
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東日本大震災 住宅・アパート・大型店舗と地震保険編 2011.05.19

2011年05月18日 | 東日本大震災
東日本大震災から2カ月を経過し、やや落ち着いた気もする仙台市内の中心部ですが、よく見ると建物の被害が数多く見られます。

大型商業店舗は意外に耐震性がない様子で、天井や外壁が落ちたスーパー・大型家電店・大型インテリア店などは休業状態で、工事着工のための仮設足場が立っています。

特に被害の数が多いのは築30年を過ぎる古い木造の戸建て住宅やアパートで、瓦屋根は脱落して復旧のめどは立たず、基礎は砕けて沈下して家が傾き、地震保険の建物診断では半壊と判断されるケースも多いようです。

また、耐震補強などなされていない為に柱は傾き、外壁材の破損や脱落してモルタル仕上げ面は大きなダメージを受けている。柱や梁の構造体が損傷を受ければ補修は困難となり、やむなく解体せざるを得ないオーナーさんも少なくない。

仕事柄修繕工事をやっていますが、昨年塗り替えをしたお客さんより所有するアパートの解体を依頼され、昨日、アスファルトやコンクリートの土間も解体し、さら地にして工事は完了しました。

ただ、分譲マンションなどと異なり、戸建て住宅やアパートは地震保険に加入していないオーナーさんも多く、倒壊を心配して泣く泣く解体といったパターンが多いようです。古いアパートは空き室も多い。古いのでローンは完済しているかもしれませんが・・・。

ここで問題なのが地震保険の査定の仕方で、全損(100%)・半損(50%)・一部損(5%)の3ランクでも交渉次第で査定が多少変動するという話も聞こえてきます。つまり、「ごね得」がまかり通る要素が残されていて、声の大きな人が得をする世界かも知れません。

地震保険は火災保険とセットで加入しますが、加入額はその半分となります。たとえば火災保険で2000万をかけた場合の地震保険の加入額は1000万となり、半壊と査定された時には500万の支払いとなります。

木造建物の査定は軸組、基礎、屋根、外壁で、基本的にそのの4項目の損傷箇所を確認して査定されます。それらの箇所の損害の程度(これを物理的損傷割合と呼びます。

また、ラーメン構造のRC建物は梁・柱・基礎の被害が対象で、屋根や外壁などは調査の対象ではありません。短時間の目視検査で評価が決まり、その場で即日に保証金額が提示されるといういわば現金商売のような雰囲気です。

構造体にあまり目立った損害がなかった場合でも、外壁や屋根の損傷に対してお情け的に一部損を認める場合もある様です。


















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東日本大震災 仙台市内(4月7日)の地震の被害 2011.05.02

2011年05月02日 | 東日本大震災
東日本大震災では比較的大きな被害はみられなかった仙台市内の中心部ですが、2回目の4月7日の大地震では至る所で深刻な被害が目立ちます。

東日本大震災では大きな横揺れが長時間続いたが、4月7日の地震では地面から突き上げるような激しい揺れで、その時自宅のマンションにいた時には本震より激しい揺れにも思えた。

仕事ながらマンションや住宅を訪れる機会が多く、仙台市内を車で走ってみると2度目の地震の被害の大きさを実感することとなる。

特に被害が目立ったのは分譲マンションや賃貸マンションで、外壁タイルの落下が数多くみられ、マンションの乱立するような市内では大きな養生ネットを被った建物も多い。中には塔屋の倒壊や崩壊した物もあり、意外にも耐震性が強化されていると思える、築後15年以内位のマンションにも被害が及んでいる。

次に多いのが比較的大きな商業店舗で、その殆どは1Fが駐車場で2F.3Fが店舗という建物で、1F駐車場の天井面は広範囲に脱落し、外壁のサッシ・ガラスは外れて脱落しているものが多い。店内はかなり傷んでいる様子で、鉄骨造りの大型商業店舗の耐震性の低さが露呈されたようです。

また、被害件数の最も多いのが戸建て住宅の瓦屋根の崩壊で、棟木(木で出来た屋根のテッペン部分)が脱落したりして瓦が外れて落下し、至る所で急場しのぎのブルーシート掛けとなっている。

問題なのはこれを修復する瓦屋根職人の不足と資材不足で、話によるとすべて復旧出来るまでは2~3年かかるらしい。もう待ちきれない方はトタン屋根やコロニアル屋根、または被せ工法の屋根とするしか策はないでしょう。

また、現地を見て驚いたのが大きなマンションの傾きで、今すぐ倒壊する事はないだろうが近隣の方に与える恐怖感はかなり大きいと思われます。この建物は築40年近い仙台でも最も古い大型のマンションで、過去の宮城県沖地震の時も大きな被害を受けています。

結局耐震改修工事はされないまま今日に至り、致命的な被害が及んでしまったと思われます。もともと地盤の弱い地帯でもあり、地中に打ち込んだ杭が地震で座屈したのではないかと想像しています。



傾いてしまい、全員退去となったマンション (右側)


廊下を繋いだような仮設の資材?


崩壊した屋上塔屋の外壁


倒壊した屋上塔屋


賃貸マンションの柱の被害


大手家電店舗天井面の落下


大手家電販売店天井の落下


瓦屋根棟木の落下
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東日本大震災 塩釜・石巻方面の被害 2011.04.03

2011年04月04日 | 東日本大震災
昨日は午後から仕事が入っていたため、早朝に仙台を出発して塩釜から東松島を経由し、甚大な被害といわれている石巻市を目指した。

東松島市の鳴瀬川の橋を渡ると状況は一変し、国道45号線沿いの地平線の彼方まで泥で覆われた田んぼが広がり、かろうじて倒壊を免れた家が点在していた。

矢本超町から石巻の中心部は避けて港方向を目指すが、途中の海のような広大な市内は住宅地だったのか、それとも田園地帯だったかの区別もつかない。まったく引くことのない海水は地盤が下がってしまったのが原因なのか、まるで国土が少し削りとられているような気もした。

自衛隊の皆さんが復旧した仮設の道路を進んで行くと、ヘドロと塩水に油が混じったような異様な光景で、慣れない魚の腐ったような臭いが漂う。

時間が限られるので市内の中心部は避けて石巻港方面を目指し、目的の工場地帯にたどり着くとそこには巨大なエネルギーの爪痕が広がる。

JRの石巻港駅の輸送ターミナル基地は壊滅し、枕木の下は流されてレールが浮いてぶら下がり、コンテナの車輪はバラバラに破壊され、重そうなディーゼル気動車もひっくり返って無残な姿をさらしている。

初めて訪れた大きな工場群の多くは半壊状態で、日本製紙の石巻工場から流出したと思われる大きなロール紙が散乱し、輸入した原木が至る所に転がっていた。今後紙の不足から出版業界にも影影響はどうなのか?。

石巻市には日本最大の合板メーカーの工場があるが、大きな被害を受けて生産はストップし、建築現場で使う型枠用の合板や、住宅の壁・床・屋根(構造用合板)の供給不足が懸念されている。

近年は価格の下がった国産杉の木を使った合板の生産が多くなっているが、この流れは今後低迷するか?ただ、杉の木は安い価格で皆伐されて丸肌にされた山も多く、重機で無残に荒らされた光景は少なくなるかもしれない。




































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東日本大震災 仙台港・蒲生地区(仙台市宮城野区)の被害 2011.03.27

2011年03月27日 | 東日本大震災
今日の日曜日は田舎の山形へ雪かきに行きたかったけれども、ガソリンが不足して帰りがおぼつかないないようなので諦めた。最近はまとまった雪は降らないようになったが、思うように雪かきができないらしく、家の周りは屋根から落ちた雪に囲われているらしい。

そこで、ガソリンスタンドに並んだ後に少し足を延ばし、宮城野区の仙台港と蒲生地区に足を延ばしてみた。仙台市内から東に産業道路を進み、津波に襲われて被害の及んだ多賀城市を通過し、明月あたりから右折して仙台港方面を目指した。

仙台ガス局の港工場のあるあたりから流されて残骸となった車が多くなり、港に近づくに従ってその被害は多くなってゆく。大きな倉庫群に近づくと建物の被害は大きく、1Fから2Fにかけて津波が押し寄せた様子が伺え、多くの荷物が散乱して周りは破壊しつくされていた。

貨物の引き込み線は枕木が外れてレールも曲がり、流されてひっくり返った大型トレーラーと共に想像を絶するような光景が広がる。

倉庫の中には火災が発生したり、車に引火して黒く焼け焦げた残骸が山となり、見た事はありませんがまるでどこかよその国の戦場のようにも思える。

しかし、復旧に向けた努力はあちこちにみられ、道路の障害物は殆ど除去されて通行は確保され、全国各地から集まったと思われる電気工事関係の車両や、ようやく確保した重機を使っての除去作業が進んでいた。

仙台港から海岸沿いに道路を南下して蒲生地区を目指すと、橋の途中で警察官の指示があって右に大きく迂回し、産業道路に戻って再び目的地を目指した。

産業道路から東に500mも進むと田んぼや住宅地は泥だらけとなり、海岸から500mほどになると周りはすっかり住宅が流され、広大な泥の海と化していた。美しかった田園地帯の面影はみじんもなく、泥と乾いた土にまみれた人間の暮らしを拒絶するような世界見思えた。

この蒲生地区を訪れた目的は、昨年の9月に住宅の塗り替えをさせて頂いたお客様を訪れることだった。探し当てたお宅は幸い床下浸水で済んだ様で、比較的明るい様子で後片付けされている様子で安心しました。

この泥と土埃の中を率先して作業しているのが自衛隊の皆さんで、泥につかりながらも一つ一つ手作業で行っています。どんな困難な任務でも命令ひとつで現地に赴く方々に、日本国民の一人として深く感謝いたします。



























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東北関東大震災 仙台市内マンションの被災状況 20011.03.25

2011年03月25日 | 東日本大震災
震災から2週間が過ぎて、比較的被害は少なかった仙台は次第に落ち着きを取り戻しつつ有ります。多くのご家庭では電気と水道が復旧し、避難先から自宅に戻られた方々も多いと思います。

市内ではスパーやコンビニも営業を再開するところが増え、まだ十分とは言えませんが日常生活を取り戻すことが出来つつあり、仙台中心部の私たちは恵まれていると思います。しかし、被害の甚大な沿岸部では厳しい避難生活を余儀なくされる方々も多く、ガソリン不足で交通手段も奪われて大変な日々を送られています。

私の場合は幸い職場にも直接の被害はなく、14日(月)より出社して翌日からはお客様の緊急工事の対応に追われ、マンションやアパートおよび住宅の数ヵ所を訪れました。

その多くは分譲マンションの現場で、一見して被害は見られないように思えますが、開放廊下やバルコニー側の外壁に顕著な被害が見られました。特徴はサッシの窓や玄関扉・パイプシャフトなどの開口部が多い廊下に被害は集中し、その多くは築後30年以上を経過した旧耐震基準のマンションです。

従来から旧耐震基準のマンションは耐震改修がクローズアップされてきましたが、調査診断から耐震改修工事にわたって多額の費用を要するため、学校や官公庁の建物とは対照的に殆ど実施されていません。その悪い予測が不幸にも的中した形となり、仙台市内には数多くの被害を受けたマンションがあると思われます。

古いマンションでは賃貸や貸事務所となっているケースもありますが、その多くは60歳後半から70歳台の区分所有者がお住まいで、そこに住めなくなると行き場を失う方々も少なくないと思われます。また、空き室になっていて所有者不在のケースもあり、今後共有財産の管理の行方が困難になる可能性もあります。

職業柄マンションを初めとする集合住宅の修繕工事に携わってきましたが、外壁改修工事や塗装・防水といった仕上げ工事の範疇を超えるケースも多く、躯体の強度や構造に関する専門分野は対応できず、残念ながら自分の経験や能力の限界を超てえます。

自分で今出来ることは限られますが、依頼があれば迅速にそして可能な限り対応するよう努めて行きます。

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東北関東大震災 ある分譲マンションの被害 (仙台市若林区) 2011.03.20

2011年03月20日 | 東日本大震災
東北関東大震災 分譲マンションの被害 (仙台市若林区) 2011.03.20仙台市内のビルやマンションなどは外見上大きな被害は見られませんが、先日訪れた分譲マンションの被害は予想を上回っていました。

今回管理会社の依頼を受けて訪れた目的とは、各戸の玄関スチール扉が開かなくなった為、やむなくバルコニーの隔て板をすべて撤去する事です。バルコニーの隔て板の枠はスチールやアルミでできていますが、地震などで玄関扉が開かなくなった場合にはボードを破壊して避難できるようになっています。

各階のバルコニー側には非常時の為床に1ヵ所の避難梯子が設置されており、玄関と共に二方向の避難経路が確保されています。マンションによっては廊下側にアルミサッシの窓などが有れば面格子を破壊して脱出もも可能ですが、このマンションでは窓がなくて隔て板を破って避難されていました。

現場を訪れてみると開放廊下の壁は激しくひび割れて欠損し、中には鉄筋が露出して穴が開いている個所もあります。スチールの枠と扉は2.0~3.0cmほど歪んでしまい、殆どの扉は完全にロックされて開閉はできません。開放廊下側の壁には扉やパイプシャフト・窓などの開口部が多い為、マンションでは強度が弱くて最も損傷しやすい個所です。

バルコニー側の磁器タイル貼りの外壁は厚さ3.0cmのモルタル層と共にはがれ、地震特有のX印型に激しくひび割れと欠損が生じています。サッシの枠も露出して建付けも損傷が見られ、風や雨水が室内に侵入しそうな状態です。

1Fのエレベーターホールの柱型は床付近で座屈している様で、押し潰されて露出した鉄筋が地震のエネルギーの大きさを物語っていました。もちろん電気は遮断されてエレベーターも復旧のも見通しは立ちません。

この建物は8F 35戸 昭和56年4月の建築許可申請ですが、同年5月の建築基準法改正以前の旧耐震基準での駆け込み申請だったと思われます。仙台市内には他にも旧耐震基準のマンションは数多くありますが、このような被害は今のところ見受けられません。

よく開放廊下の壁の損傷状況をみると露出した鉄筋は細く、内側と外側に二重に配筋されておらずシングル配筋になっている様です。開放廊下の壁は耐力壁ではありませんが、今の耐震基準と比べると鉄筋の間隔が大きくて強度不足と思われます。設計と施工共に問題があるように思われますが、震災直後の仙台市の建物調査の結果によると、今すぐ倒壊する事はないが危険度判定C(3ランクの中で最も危険)と判定されていました。

お住まいの方々は60歳から70歳台の区分所有の方が多く、大変お気の毒ですが殆どが避難されて生活を維持されることは難しい様で、今後マンションをどうするのかが大きな課題となります。なお、半分程が賃貸の入居者の為、さっそく引っ越しを検討されている方も多いようです。


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東北関東大震災 玄関扉の切断解除 2011.03.17

2011年03月17日 | 東日本大震災
今回の大地震で亡くなられた方々、また被災された方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

この予想をはるかに上回る巨大地震の及ぼす影響は東北のみならず、関東方面と首都圏も呑みこむ様な勢いになりつつあります。

この規模の災害の波及効果は思いもよらぬ事態が次々に発生し、災害の直接の被害はもとより経済・社会生活全般に深刻な影響を及ぼし始めているようです。

自分の場合、自宅や勤め先への直接的な被害はさほどありませんでしたが、昨日から職場に復帰した所いろんな方々から問い合わせが入り、5ヶ所ほどの現場を訪れて対応に追われました。

仕事はマンションなどの集合住宅の改修工事を専門としていますが、さしあたって急を要する事例はマンションの玄関扉が開かなくなったお宅への対処でした。

昭和53年の宮城県沖地震を機に建築基準法が改正され、昭和56年以降に竣工したマンションは耐震性が強化されていますが、その建物の構造や立地条件によってばらつきがあるようで、最悪の建物倒壊ほどの事態はないまでもいろんな不具合が発生しています。

今回、玄関扉や枠が変形したり鍵がロックして開かなったケースが12件あり、ディスクサンダーで鍵の爪や枠をを切断して開けました。

扉が開かないと廊下側の面格子を外してサッシ窓から出入りするしかないですが、高齢の方々には大変なご苦労を伴って生活に差支えます。特に廊下側に窓のないような古いマンションでは、脱出が困難で最悪の場合には室内に取り残されてしまいます。

また、開口部の多い廊下側の壁にはひび割れや欠損が生じやすく、さっそく応急の補修工事を依頼されたマンションもありました。

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