チベットの暴動が全世界に報道されているが、この暴動は起こるべくして起こったという感がある。チベットは日本人にとってもヒマラヤ登山などで馴染み深いが、最近は漢民族によるラサ周辺の観光開発が急激に進み、一般の観光客も訪れる様になった人気急上昇の地だ。06年7月1日に西寧からゴルムト、ラサ間に開通した世紀のプロジェクト、「チベット(青蔵)鉄道」を世界のメディアは大きな記事にして扱っていた。
青蔵鉄道は960キロが海抜四千メートル以上の箇所を通り、チベット高原とヒマラヤの屋根を車中から仰ぐ息を呑むような大パノラマを望む、世界でも類を見ない素晴らしい観光資源だろう。私も昨年NHKが特集した「チベット(青蔵)鉄道開通」番組を食い入る様にして見たが、しかし、後で違和感を感じたのは私だけでは無いと思います。この巨額の費用を投じた国家の大プロジェクトとは何を物語るのか?そしてここを訪れる観光客のどれだけが、チベットの置かれた想像を絶する苦悩と、民族・文化存亡の危機を迎えようとする悲惨な歴史を理解しているだろうか?漢民族が凄まじい暴力と差別によって異民族を支配し、民族の弾圧ばかりか民族の浄化とも言える愚行を続け、固有の文化そのものを否定して抹殺しようとしている事実に、どれだけの方が関心を持っているのでしょうか?
日本とチベットの間では歴史的にも繋がりは希薄で、あまり利害関係が無い為か近くて遠い国であり、政府は中国との無用なトラブルを避ける意味で無関心を装っている。日本政府もマスコミもこのチベット問題についてはダンマリを決め込み、堂々とダライ・ラマと大統領が会談したり、真っ先に中国政府を非難して自制を求めるアメリカの姿勢とは大きく異なる。今になって町村官房長官が後追いで中国政府に自制を求めても、これは滑稽なアメリカ追従の姿を世界に晒した様なものだった。つまり、中国とアメリカとのパワーバランスの谷間にある、日本の脆弱なスタンスを象徴する現実でもある。
チベット人は人種・言語・文化で漢民族とはまったく異なり、1950年に中国軍に侵攻される前までは完全な独立を誇っていた。従って中国の言う「封建制度からの解放・近代化」は、チベット人にとっては明らかな「侵略」であり、第3国から見ても中国は文化的な近代国家の資質を持っていない様に思える。考えてみると中国は近代まで春秋戦国時代から争いの連続で、戦国時代の日本でも有り得なかった事だが、多くの国家が興亡して国家・民族の壊滅を繰り返してきた。この3~4000年にも及ぶ混乱で刷り込まれた民族性は日本人とは異質で、結果的に現在の漢民族が多くの少数民族を力で支配するという構図が出来上がった。
私自信はチベットを訪れた事もなく、また知人がいる訳でも無いので身近な存在ではない。しかし、学生時代から河口 慧海著「西蔵旅行記」、ハインリヒ・ハラー著「セブンイヤーズ・イン・チベット」、西川一三著「秘境西域八年の潜行」等を読み、多くの夢を膨らませた古い人間にとって、この問題は決して無関心ではいられないのです。今となってはロマン的な要素などなくなり、最近はあまり訪れたいとも思わなくなったチベットだが、非暴力を説くダライラマ14世の理想を指示し、中国は人権の尊重や国際協調を基本にし、全世界の声に耳を貸す政府で有って欲しいと願う者です。
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