すっかり遠い記憶に残る山行記録に一つですが、1974年7月の投稿記事を拾ってみました。いまとなっては田舎者の何か恥ずかしいような記事ですが、その当時の「岩と雪42号」に掲載された東北では珍しい記録かもしれません。
42年前の話なのでその当時は20歳の若造で、入って間もない社会人山岳会の使いぱっしりのど素人で、学生で暇だけを持て余した身としては何か面白そうな話に思えました。当時は翌年のヒマラヤ遠征を控え、地味な地域研究という訳でもなく極地法のトレーニングと思ってやっていた。
リーダー格の人物は1973年2月黒伏山の中央ルンゼの冬季単独初登攀者の相沢氏で、持ち前の強いクライミング志向こだわり、下部の沢筋には全く興味がなく東面のスラブ帯のみに目標が絞られていた。自分も弟子のような身分だったのでただ追いていった。
重いキスリングにバカでかい圧力釜を括り付けて荷揚げし、障子ヶ池にテントを張って1週間を過ごした。フィックスロープを張って下降路として取り付点にたどり着き、花崗岩の快適なスラブ群を自由気ままに登っていた。
食事はボウフラがわきそうな池の水でコメを炊き、昼は弁当にふりかけのみという貧民暮らしも今となっては良い思い出。酒も余りなくてよくやっていられたものだと思う。
その当時はドタ靴(ビブラム底の革靴)が当たり前で、今のクライミングシューズ感覚と比べればルートは低いグレードだが、誰の手つかずの岩肌に痕跡を残せたのは今となっては贅沢な環境で、自己満足の世界を味わえたのもい今思えば貴重な思い出。
今でも首都圏で人気の御神楽のスラブ群と違ってアプローチが悪く全く無名な存在で、登山の価値観も様変わりしてクライミングの対象になりえなかったのは残念だが、沢登りの世界として考えるとその対象は総合技でお勧めです。
南俣沢出合から大井沢川を遡行して障子ヶ岳東面の取付き点に達し、フリクションを効かせてスラブを登り切って日帰りで帰着するコースは結構な手ごたえ有りで楽しめます。途中、1か所左岸の高巻きが面倒ですが、足並みのそろったメンバーでルーファイさえ間違えなければ快適に行けると思います。
大井沢川~障子ヶ岳東面スラブ 2007.09.30
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