東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

「東北アルパインスキー日誌」 アクセス不能の件について

2006年02月24日 | その他
このサイトにアクセスして頂いた皆様へ

いつも「東北アルパインスキー日誌」にご来場頂き有難うございます。
ところで、昨日と今日の2日間、11:00~19:00の時間帯に、サーバーのメ
ンテナンスによりアクセスできない状況となっています。
ライブドア側から事前の告知が無かったので、突然の事態に少し困惑してい
ます。本日も現在再開予定時間を過ぎていますが、残念ながら回復していま
せん。
今後こうした事態が改善されるように希望しますが、とりあえずバックアッ
プ用の別サーバーをご案内しますので、お手数ですがお気に入りに加えて頂
きご利用をお願いします。

【別サーバーサイト】

http://yamadori.gozaru.jp/   「東北アルパインスキー日誌」
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過剰装備?

2006年02月16日 | 山スキー
                    升沢コース

先日の船形山は当初のあてがすっかり外れて地吹雪模様。船形山山頂には遥かに及ばず、蛇ヶ岳であっさり退却となってしまい、下りは深雪を漕ぐような激パウダーに難儀の連続。せっかくのファットスキーでもどうにもならない雪で、なんとなくくたびれ損と言う気もしないでもない。デレデレとした船形特有の尾根ではこれも仕方ない。しかし最後を決めるブナ林のパウダーランで全て帳消しとし、結構いい気分で1日を過ごすことが出来た。

この日、途中で行動を供にした単独の山スキーヤーがいたが、この方は実にシンプルなスタイルで山を楽しんでいる方だった。革靴にゲレンデスキー板に取り付けた初期型のジルベレッタで、もちろんゲレンデ用のポール。失礼ながらこれ以上無駄な装備は見当たらないと言う感じだった。

このスタイルと言うのは25年前の自分のスタイルと同じで、何か懐かしいと共に自分が気恥ずかしいような気がした。最近自分のスキー用具は大体整ったが、考えて見ると30年前の装備でも山スキーにはさほど支障になるような事はない。本当に技術の高い人は道具は選ばない様だし、例えばスキー1級、準指導員クラスの方でもこのスタイルで通している人さえいる。

最近の山スキー用具は急速に機能が向上し軽量化が進んでいるが、そのレベルアップだけスキーヤーのスキルが上がっているかと言うとそうではない。例えばかなりテクニカルなスキーヤーに30kgのキスリングを背負って滑れるかというと疑問だ。実際こんな事をして滑っている人はなくその必要もないが、肝心なのはそれだけバランス感覚を磨いている人は最近いるのかと言うことだ。

山スキーをやっているとどうしても転んでしまうが、転んだ時の体力消耗は大きく、行動のスピードにも大きな違いが出てくる。特に転び癖がついてしまうと緊張感が薄れ、なんでもない所でも転んでしまう。何度も転べば疲れるだけでなく、スキーがつまらなくなってきて得なことはない。確かに体力が低下すれば押さえが利かず転んでしまうが、実は集中力のほうが肝心でこれはその人のスキルに通じる。

今思えばかつては粗末でシンプルなスキー用具で歩いていたが、そのおかげでバランス感覚だけは少し磨かれて今でも役立っている。私の様な山スキーヤーは頂上に立ってから滑るという事が強く刷り込まれているため、荒れたシュカブラ、ガリガリのアイスバーン、手ごわいモナカ雪、膝までもぐる重い深雪など、多くの悪条件を乗り越えないと遊びは成り立たない。

そんな事やって何が面白かと思う人もいるかも知れないが、きれいなフォームを求めるよりはどんな雪質、どんな斜面、どんな傾斜でも滑れるという事に興味が湧く。その為には安全、確実、快適に、そして迅速にという点が重要になる。そんな訳で、自分ではやはり山頂から滑り降りる事に関心がある。自分でも滑りのフォームにまったく関心が無い訳ではないが、自己流を通してきたのでいまさらこだわりは無い。やはり山は基本的な技術が物を言う世界なのかもしれないし、しかしそこまで極めるまでは長年の修行が必要だろう。まあ、山の中で人に会うことも少ないので、あまり滑りのフォームを気にした事も有りませんが。


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杉の木の濡れ衣

2006年02月04日 | 林業

今年の低温の日々は2月には入っても変わらない様子で、仙台の街中の雪もいったん積もるとなかなか解けず、特に東西の路地などはいつまで経ってもアイススケートリンク状態になっている。4~5年前も同じような状況だったが、山スキーをやっているはずの自分でもどういう訳か街中の方が寒く感じる時がある。

こんな市民には迷惑な天候だが、今年は一つだけ良いことがあるらしい。それはスギ花粉の飛散が昨年の1/10。過去10年の平均の50%以下という事で、アレルギー体質の方々にとっては大変な朗報。だが油断は禁物。昨年は花粉が猛烈に飛散した結果、症状の出なかった人でも個人の許容量一杯になって花粉症予備軍になっている人も多いと思われる。

自分は杉の木に囲まれたかなり田舎で育ったが、幸い今のところ花粉症の症状が出た事はなく、本当の苦しみと言うのは解らない。その当事者にとっては杉花粉の元、杉の木こそ諸悪の根源と考えている方も少なくないだろう。

しかし、今年朝日連邦の大井沢のある実業家の方の意見を聞いてから、自分の見方は少し違ってきた。その方がいわく、スギ花粉は体内に入ると確かにアレルギー体質の人は激しく反応するが、その現象そのものは根本的な原因ではないと言う。その原因とはアレルギー体質となった元の物質、それは水道水に含まれる塩素に有ると言う。

これはつまり日常我々が飲み続けている塩素は、直接的な害は及ぼさないが微生物などの殺菌力は有り、少しづつ人間の体内に蓄積されるとアレルギー体質となる人がいるいう。例えば飲んだときだけでなく、入浴、シャワーの時に暖められて発散する塩素、皮膚に直接触れることによる影響など、普段気がつかない所で体は塩素を吸収しているらしい。

この塩素の投入の現場は見たことがないが、浄水場などでは水の汚れ具合、気温などによってその投入量は日々変化するらしいが、実は問題点が一つある。塩素の投入量は下限が決まっているだけで、上限は決まっていないらしい。つまり浄水場から長い経路を経て家庭の蛇口に到達したとき、その含まれる残留塩素量の最低ラインが決められている。

我が国の水道水は、水道法により塩素または結合塩素*で消毒を行い、給水栓水での残留塩素量が遊離塩素の場合は0.1mg/l以上(結合塩素の場合は0.4mg/l以上)、ただし、病原菌による汚染の疑いがあるときや水系感染症流行時は、遊離塩素0.2mg/l以上(結合塩素の場合は1.5mg/l以上)と定められいる。

しかし浄水場から家庭まで到達する間、塩素は気化してどんどん数値は低くなります。つまりこの数値を満たす為には現実的に多量の塩素が投入されていると言うことなのです。特に水事情のよくない首都圏などではその傾向が強い。浄水場に近い家庭のほうが下流の家庭より何倍も濃度が濃いとも言われている。

そこで話を元に戻すと、花粉症の元凶は塩素であり、スギ花粉は2次的な役割を果たしているに過ぎないと言う論法なのです。確かに考えてみれば「花粉症」などと言われる様になったのは35年位前の話で、その当時、杉の木に囲まれて生活する人はまったく見られなかったし、今でも家庭で湧き水を飲料としているような山間部の人は花粉症とは無縁である。そうかと思えば最近は動物園のサルに人間様と同じ花粉患者?がいるらしい。

ただこの説は科学的に解明されたわけではなく、単なる推論に過ぎないのだろうが、私の立場としてはどうしても援護したくなるのです。いつか必ずスギ花粉の濡れ衣を晴らしたいと思っていますが・・・。
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