雨宮日記 2010年2月8日(月) マイパソコン壊れました
このところ、時々、ハングアップ(パソコンがキーを叩いても反応しなくなること)が何回かあったマイノートパソコンが、ついにおかしくなりました。
夜の会議のレジュメを打っていたので、あわてて古いネット接続だけが壊れたパソコンを引っ張り出して、レジュメを打って、それを、1階においてある、今は次女だけが使っているデスクトップのパソコンにUSBメモリーで移して、なんとかプリントしました。
デジカメの画像データだけは用心して、毎日、ハードディスクに移していたので、だいじょうぶでした。
ただし、会議のレジュメやチラシのデータは、2か月分くらいが、もしパソコンの修復ができなければ消えることになります。
まあ、それは印刷データがあるのでいいかな。
妻のN子さんに「ごめん、貯金から○○万円おろしてくれる?」と、おそるおそる言うと、「智彦くんのパソコンは凄く酷使しているから、しょうがないよね」と快く承諾してくれたので、ホッとして、明日は高林のコジマ電器に、新しいパソコンを買いにいきます。
それにしても、資本主義の市場原理の競争による技術進歩はすごいですね。
ぼくが初めて「ワープロ」というものを買ったのは、1984年でキャノンの、まだ記憶装置もなくて、打った文章1種類だけが記録されるという、8万円の買い物でした。
そのころ、頭の調子が悪くて、心配した妻のN子さんが「それで、智彦くんの頭の調子が直るなら」と買ってくれた、今から思えば、おもちゃのような機械でした。
実際、それを使って、それまで手書きだった、浜松市平和委員会の機関紙「青い地球」を、活字のニュースにしたので、無駄な投資ではなかったと思います。
25年たった今では、昔の5インチのフロッピーや3.5インチのフロッピー(容量は1M(メガ)くらい)から、その1千倍のギガが当たり前になっています。
宮沢賢治さんの詩にいう「ぎんが(銀河)ぎが(ギガ)」です。これが宮沢賢治さんの詩の正解かどうかは不明ですが。
使う側が、はたして、技術進歩を使いきれているのか、どうか、ですね。
このところ、時々、ハングアップ(パソコンがキーを叩いても反応しなくなること)が何回かあったマイノートパソコンが、ついにおかしくなりました。
夜の会議のレジュメを打っていたので、あわてて古いネット接続だけが壊れたパソコンを引っ張り出して、レジュメを打って、それを、1階においてある、今は次女だけが使っているデスクトップのパソコンにUSBメモリーで移して、なんとかプリントしました。
デジカメの画像データだけは用心して、毎日、ハードディスクに移していたので、だいじょうぶでした。
ただし、会議のレジュメやチラシのデータは、2か月分くらいが、もしパソコンの修復ができなければ消えることになります。
まあ、それは印刷データがあるのでいいかな。
妻のN子さんに「ごめん、貯金から○○万円おろしてくれる?」と、おそるおそる言うと、「智彦くんのパソコンは凄く酷使しているから、しょうがないよね」と快く承諾してくれたので、ホッとして、明日は高林のコジマ電器に、新しいパソコンを買いにいきます。
それにしても、資本主義の市場原理の競争による技術進歩はすごいですね。
ぼくが初めて「ワープロ」というものを買ったのは、1984年でキャノンの、まだ記憶装置もなくて、打った文章1種類だけが記録されるという、8万円の買い物でした。
そのころ、頭の調子が悪くて、心配した妻のN子さんが「それで、智彦くんの頭の調子が直るなら」と買ってくれた、今から思えば、おもちゃのような機械でした。
実際、それを使って、それまで手書きだった、浜松市平和委員会の機関紙「青い地球」を、活字のニュースにしたので、無駄な投資ではなかったと思います。
25年たった今では、昔の5インチのフロッピーや3.5インチのフロッピー(容量は1M(メガ)くらい)から、その1千倍のギガが当たり前になっています。
宮沢賢治さんの詩にいう「ぎんが(銀河)ぎが(ギガ)」です。これが宮沢賢治さんの詩の正解かどうかは不明ですが。
使う側が、はたして、技術進歩を使いきれているのか、どうか、ですね。