雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森69 安彦良和さん『機動戦士ガンダム 2~9』

2010年08月10日 06時00分24秒 | 本と映像の森
本と映像の森69 安彦良和さん『機動戦士ガンダム 2~9』

 次女から借りて、2巻から9巻まで一気に読みました。
 で、ひとつ、問題を考えました。

 「ガンダムとエヴァンゲリオンと巨神兵の相違と違いを考察して述べよ」

 (8月1日から就職したN子さんに言うと「この忙しいのに、ひまなことを」という軽蔑した目で見られるので、告白しません。)

 できましたら、N子さんには、現代の革新的日本人の一般教養として(必須読了過程)として、以下のマンガは最低限読んでいただきたいと思います。
 『機動戦士ガンダム』…いろんなバージョンで
 『日本沈没』
 『へうげもの』
 『カムイ伝』
 『忍者武芸帳(影丸伝)』
 『夏子の酒』
 『ピアノの森』)
 
 で、続き『機動戦士ガンダム 2~9』です。
 1巻から9巻までは、戦争にまきこまれた民間人の「武装難民船」の物語です。

 アムロにしろ、ミライにしろ、カイにしろ、無理矢理艦長にされたブライトにしろ、みんなプロの、たたき上げの軍人ではありません。
 偶然そこにいたから、ガンダムを操縦し、偶然そこにいたから「ホワイトベース(白い基地)」の艦長になってしまい、偶然そこにいたから操縦を任されて…なんの必然性もない物語です。

 ようするに「助けて」と叫んでも、誰も助けてくれない宇宙の戦場で、少年少女たちは、自分で自分を助けるしかない話です。
 
 アムロが「アムロ、いきまーす」と脳天気風に言うのも、それしか生きるすべはないからですね。
 そういう目で物語を読んでいくと、まさにシャーもその妹も、故郷から追放されて、なにを求めて生きているのか?
 
 シャーとアムロは同質の人間であることがよくわかります。
 シャーが執拗に、難民船のホワイトベース「木馬」をねらうのも、そこに、自分と同じ難民的本質を見て、ジオン公国軍の上司たちのくだらない連中とは違う、そこにシャーの人生をかけてたたかう何かを見いだしたからでしょう。

 そう、宿敵としてであれ、同志としてであれ、自分を賭ける価値のある人間とめぐりあえたシャーやアムロは、幸せな人間なのでしょう。
 そういう人間とめぐりあえる人は多くない、と思います。
 
 え?雨宮さんはって、聞くんですか?

 『機動戦士ガンダム 2~9』を読めば分かると思いますが。最初は分からないんですね。偶然集まった人達のなかから、軋轢と矛盾と、ころがる事態のなかで、ほんとうの仲間がわかってくると。
 「ニュータイプ」って、そういうことでしょう?