雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月14日(土) 夫婦で京都『交響曲ヒロシマ』聞く

2010年08月16日 06時26分34秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月14日(土) 夫婦で京都『交響曲ヒロシマ』聞く
 
 今日14日は、まだぼくも深夜の仕事で、帰ってきたのは午前5時ごろでした。いろいろ「就眠儀式」をして、実際に寝たのは、午前6時ごろです。

 8月初めの日刊新聞で、今日の午後に、京都市で「交響曲第1番 ヒロシマ」の全曲の世界初演があるというのを読みました。
 その記事を読んで、これは歴史的な瞬間じゃないのという気になって、N子さんに「いっしょに聞きに行こう」と熱い提案をしました。
 なぜか、N子さんがあっさり「いいよ。いこうね」となったので、ぼくは、本当に大事な時期に判断を誤らないN子さんに深い感謝をしながら、今日の日を迎えました。

 予約席をとったひかりにのって、京都駅から地下鉄「烏丸線」で約20分、北山駅で下りました。
 北山駅から歩いて数分で、会場の京都コンサートホールです。
 会場に併設のレストランで、アイスコーヒーを飲んで、開演時間を迎えました。

 第1楽章は、原爆投下の瞬間のような、闇や苦悩のような、暗い、苦しい音楽。
 第3楽章の前半は、長い間の苦しみを浄化して、明るく、光りに導くような音楽で、第2楽章からの優しいメロデイが「こんなことは2度と起こらないように全世界に伝えてください」と言っているようで、涙がぽろぽろと出てしまいました。
 恥ずかしいけど、ポケットからハンカチを出して、目元を拭きました。

 実際に聞いてもらわないと、わからないでしょうけど。
 まるで、そう、シューベルトやブラームスの交響曲のような、本格的な音楽でした。

 第1楽章が闇・苦悩とすれば、第2楽章は、すごく優しいメロデイで、深い闇・深い苦しみをいやすプロセスだと思いました。
 闇も光りも、光りも闇も、それ自体、単独では存在できないんですね。
 
 第3楽章に至るプロセスとして、第2楽章を省略したら…第3楽章の意味もわからないのではと・・・

 第3章は、だから闇の否定でも、光りの無条件肯定でもありません。
 
 会場で、著者の人生を描いた講談社の本を買いました。
 いろいろ、話しながら、浜松に帰りました。
 すてきな歴史的なデートでした。 
 N子さん、ありがとう。

 費用報告です。
 ① コンサートチケット代 4000円が2枚で8000円。
 ② 京都までの新幹線料金、2人で3万円
 ③ 浜松駅までのタクシー代+浜松駅コスタで買ったお弁当+京都地下鉄(280円×2人×往復)+会館併設の喫茶店料金+京都タワー料金(700円×2)+夕食お弁当+時間つぶしの喫茶店+帰りの遠鉄電車で約1万円。
 ①②③を足して約5万円の出費でした。
 N子さん、ありがとうございます。

 写真は、会場の京都コンサートホールの入り口です。
 すてきなホールでした。
 もう一度来ることも、たぶん、ないでしょうね?
 「一期一会」です。
 
 京都タワーについては「本と映像の森 『日本沈没 4』」で解説します。
 

本と映像の森71 梅原猛さん『葬られた王朝』新潮社

2010年08月16日 05時41分54秒 | 本と映像の森
本と映像の森71 梅原猛さん『葬られた王朝 ー古代出雲の謎を解くー』新潮社、2010年4月25日発行~2010年7月25日第11刷、318ページ、定価2200円+消費税

 帯(おび)の文章では表で「かって、スサノオやオオクニヌシらの「出雲王朝」がこのくにを支配していた」、裏で「ヤマタノオロチや因幡のシロウサギなどで知られる出雲神話、それは天皇家につながるアマテラスの系譜とは別個の、スサノオを祖としたもう一つの王家の物語である。もしこの王朝が実在するものであったなら……」というのは、すごくいいですね。賛成です。

 なお通常の古代史学者たちは、出雲神話をフィクション=創作であるという解釈が主流になっています。ですから、雨宮は主流派ではありません。
 かなり昔から「出雲王朝は実在した」という立場にたっておりますので。

 梅原さんのこの著書のすぐれているところは、『古事記』『日本書紀』の日本神話(ぼくのいう日本古代伝承の一部)と出雲の寺社の現地踏査と、現代の考古学の達成という3点を比較検討して、客観的なデータによって結論を導き出していることです。

 個別の問題については、このブログで個別に検討していきたいと思いますが、一点だけ、「出雲王朝」実在説は梅原さんが最初であるかのごとき扱いや叙述は、科学的にフェアではありません。
 
たとえば古田武彦さんの著書『盗まれた神話 ー記紀の秘密ー』で明確に「国譲り」とは出雲王朝から海上王国の天国(あまぐに、アマテラスと高木神)への武力による政権委譲劇であると指摘されているのですから。

 『盗まれた神話』が発行されたのは、朝日新聞社から1975年(つまり35年前)で、その後、朝日文庫・角川文庫で発行され、今年2010年3月10日にミネルヴァ書房から再刊されました。
 つまり「そういう本が出版されているのは知らなかった」という説明は成り立ちません。
 もし、その後の古田武彦さんが歴史の贋造偽書「東日流外三郡誌」にはまってしまい、偽書弁解仲間に成り下がったてしまいまいた。
 だから、古田さんのすべての本は論証抜きで価値がないというのであれば、あなたも「イワシの頭も信心から」という後期古田さんと同じ立場だと思います。
 ぼくは、梅原さんであれ、古田さんであれ、森浩一さんであれ、どんな人の意見でも学説でも、事実と論理だけに基づいて、自分の全責任で自分で判断します。
 それが科学です。

 もし師匠の学説なので正しいというのなら、それは科学ではなくて、反科学の「派閥」か「宗教」です。
 そうならないように、ぼくも心をきちんとただしたいと思います。
 
 梅原さんのこの著書は、正しい面と、梅原さんが無視している面と、2面があると思います。