雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房

2010年08月28日 23時05分52秒 | 本と映像の森
本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房、2010年3月10日初版、定価2800円+消費税

 5月17日に「本と映像の森40」で「古田武彦さん『失われた九州王朝』ミネルヴァ」を書きました。
 これはその続編です。正確に言うと第3作です。

 副題は「記・紀の秘密」。
 つまり『古事記』『日本書紀』の記事は、本来のヤマト天皇家の歴史・伝承だけではなく、さらに古い他の王朝の歴史・記録・伝承を「盗んだ」。
 「盗んだ」はないだろと言う方がいると思うので「借りた」ことにしましょうか。

 そういえば、ついこの前、見たアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」で女中のはるさんが「どろぼうこびとども!」って言ってましたね。

 「盗作」かどうかの判断は読んだ皆さんでしてください。
 ただ、言いたいのは、こんなにおもしろい古代史の本は他にないだろうということです。なぜおもしろいかと言うと、古田さんが自分の頭で考えているからです。(自分の頭で考える人はそう多くないと思います)。まるで推理小説と名探偵の素敵な推理を読むような気がします。

 そうなんですよね、科学や歴史と推理小説は「謎解き」という点で共通なんです。
 「事件」の「謎解き」のない歴史書、「迷宮入り」の歴史書が多すぎるのではないでしょうか。

 一部だけ、古田さんの謎解きの成果をあげておきます、
  ・景行天皇九州大遠征の謎
  ・秋津島(蜻蛉島)の謎
  ・天孫降臨の場所の謎
  ・神武天皇の発進地の謎
  ・「天国」の謎
  ・「オノゴロ島」の謎
  ・「大国」の謎
  ・『日本書紀』の「一書」の謎
  ・『日本書紀』の朝鮮記事の謎

 これらの内容については、ほとんど市民にも知られていないので、また機会をみてカテゴリー「日本古代史」で紹介していきたいと思います。

 なおこのミネルヴァ版への古田さんの追記、422ページから432ページに出てくる「「荒吐神要源抄録」という本」「「荒吐神要源抄録」を含む和田家資料」については、私は戦後に書かれたいわゆる「偽書」であると思います。
 などと、書くと、古田さんがこれを読めば激高すると思いますが。

 この古田さんの精神の変質は、それ以前の古田さんの著書の価値を低下させる性質のものではないと思います。
 ある時から、ある人がおかしくなったからと言って、それ以前のその人の言行をすべて否定するようなことは不当であると判断しております。

 「その判定はこの本を読み終えた読者ひとりひとりの特権に属し」ているのですから。
 その判定は、「雨宮日記」にも書いたように、黒か白か、正しいか虚偽かではありません。
 この本のすべてのページについて、ひとつひとつ判断を下していくことが「読者ひとりひとりの特権」ではないでしょうか。
 まあ、しんどいですけどね。
 
 ですから古田さんを信じるとか、そういうことは「学閥」や「宗教せくと」の世界の話で、科学や歴史学であるなら、信じたりしてはいけないと思います。
 でも、言うは易く行うは難し、ですね。
 実行している人がどれくらい、あるだろう。
 
 数値で言うと「 割」?。9割はぜったい無いですね。じゃあ、5割?…うーんそれもどうかな。
 みなさんはどう思います?
 1割くらいかな?もっと少ないかな?

 話が逸れましたが、
 ① 近畿天皇家=ヤマト朝廷=日本国の以前に、倭国=九州王朝があり
 ② 倭国=九州王朝の以前に、出雲王朝があった
 この2点を日本古代史の基本に据えると、日本古代史のいろんな事実と資料が、生き生きと人間的に動き出してくる、のではないでしょうか。




 

本と映像の森73 北森鴻さん『緋友禅~旗師冬狐堂~』文春

2010年08月28日 22時12分58秒 | 本と映像の森
本と映像の森73 北森鴻さん『緋友禅~旗師冬狐堂~』文春文庫、2006年(単行本は2003年、文藝春秋社)、285ページ、定価571円+消費税

 少し「雨宮日記」が熱中しすぎたようで、炎上・蒸発しないように「これしかない」思考ではなく、バイパスや脇道をいっぱいつけて、迷い道を散歩をしながら、ときには座り込んで空をながめたりしながら、歩いて行きたいと思います。

 推理小説家・北森鴻さんは2010年(今年)1月25日に心臓麻痺で他界されました。もっともっと生きて素敵な作品を書いていただきたかったです。
 北森さん、さようなら。
 北森さん、ありがとうございました。

 つい先週、次女Iさんと北森さんの話になり、Iさんが「北森さん、死んだよ」と言ったので、びっくりしました。

 Iさんが見つけてきて所有している本を借りて読んでいましたが、古代史や民族学を駆使した作品と主人公の女性たちの個性が大好きでした。
 私の大好きな主人公の一人が、店のない古美術商「旗師」宇佐見陶子、通称「冬狐堂」です。

 第1短編集『緋友禅』の冒頭作「陶鬼」では、ほぼ40才くらい、でも若く見えるようで「べっぴんさん」とか呼ばれています。

 「陶鬼」では、萩焼の贋作の話、「永久笑みの少女」では古代の埴輪、「緋友禅」では珍しく現代の友禅染め、「奇縁円空」では円空仏をめぐって真贋と人の人生が渡り合います。

 ここまで書いてハタと思い当たりました。
 真作と贋作、本物と偽物、嘘とまこと、人間にとってこれこそ大きなテーマですね。
 自分はどこまで本物なのでしょうか?

 陶子さんにとっても、頼りになるのはただ自分の目・自分の感覚だけです。だまされたら?それは自分の目が曇っていたからです。

 「他人の権威に頼っていては真実にたどりつけない」
 「自分で確認したことだけが、ただひとうの真実なんだよ」



 

雨宮日記 8月27日 ボクの誕生日でしたが(59才)

2010年08月28日 05時26分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月27日 ボクの誕生日でしたが(59才)

 小さい頃、「なぜボクの誕生日は夏休みの終わりなんだろ」と呪ったことがあります。だいたい、8月の末で、忙しくて見捨てられます。
 それは今も同じですね。
 夜の9時頃になって台所でN子さんが「今日、智彦くん、誕生日だったね」というので、「うん」と答えておきましたが。
 夏は睡眠がとれないので少し寝て起きたら、午後11時半でした。
 階段のところにいた長女のIさんが「お父さん、誕生日おめでとう」と言うので「ありがとう。お母さんは?」というと「寝たんじゃない?なに?」「うーん、何もくれずに寝ちゃった」というと笑って「明日に期待したら?」と。

 まあ、あんまり期待できませんが、N子さんに「○○○○が欲しい」と言ってみようかな?

 さわやかに、スッキリと生きたいと思いますが、なぜか「雨宮日記 8月26日(木) ベキベキ通信・ネバネバ通信」の補足です。

 なぜ「べきべき人間」「ねばねば人間」になれるのか、です。
 それは、やはり長い間、指導部的な位置にいたりして、他人に指図するのが身についてくる、別のことばでいうと「自分が偉い、いつでも他人を指導する正義の人間なんだ」という「物語」を信じてしまうからではないでしょうか。

 国同士が人口や国力が大きかろうと小さかろうと、対等平等であるように、政党同士が対等平等であるように、人間同士も能力があろうとなかろうと対等平等なのですが、そういうこともわからなくなってるのではないでしょうか。
 
 だから絶対命令である「べき」とか「ねば」ではなくて、「したいです」とか「してみたら」とかいうソフトな提案・相談ならいいんですけどね。
 
 自分が、自分の正しさを確信するあまりに、他の道の可能性を否定していないか、科学の目で、N子さんやほんとの「旅の仲間」と相互点検をして生きていきたいと思います。
 そういう自分たちを保持するためには、自分たちのなかの弱点・欠陥を平気で捨ててしまう覚悟はいりますね。
 ちゃんと、そういうごみを捨てることができれば、すごくスッキリして身軽になれます。これはぼくたちの経験です。

 N子さんが言うには「だからね、智彦くん、部屋の不要な物を捨てれば、すごくスッキリするよ。これは命令じゃなくて、提案です」と。
 はい、提案は少しづつ実行します。ありがとうございます。

 写真は早朝の馬込川です。
 最近、こういう「空」にこっています。