雨宮日記 12月1日(土) ぼくは明日の学習会の準備、則子さんは合宿へ
12月です。今年もあと一月で来年!
則子さんは理事だか評議員をしている社会福祉法人の泊まり込みでの会議と交流会で出掛けました。「舘山寺」とばかり思っていたら、ある方(奥さんがこの合宿に参加)が「弁天だよ」と言っていたんで、あれ?まあ、別にどこでもいいんですが。
「起きてみつ、寝てみつ、部屋の広さかな」(ぱくりです。ごめんなさい!加賀の千代女さん!とここまで書いて念のためにネットで検索してみたら、どうも千代女さんではなく、元禄時代の遊女、浮橋さんが詠んだ句のようです)
といっても、ぼくものんびりと遊んでいるのではなく、明日の新婦人主催、連続学習会「いのちと原発」の最終回「浜岡原発」の準備ですので、休みにはなりません。
やはり原発事故は、そこに人が住めなくなる「破局地帯」を造り出します。その周囲には、住めても過酷な環境である「重過酷地帯」を造ります。
もともと日本列島全体が「過酷社会」「ストレス社会」なので、あるいは「過酷職場」「過酷学校」なので、お互い優しくなれない、思いやれない状態です。
その両方を解決しないといけないのですね。難しい課題です。
つまり原発事故被害者を救えばいいんだ、という単純な議論ではないということでしょうか。そういう複線の目のある原発事故小説・原発事故演劇・原発事故映画はないでしょうか?
写真は、則子さんの言うには「マンリョウね」だそうです。