雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月1日(土) ぼくは明日の学習会の準備、則子さんは合宿へ

2012年12月01日 20時03分08秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月1日(土) ぼくは明日の学習会の準備、則子さんは合宿へ

 12月です。今年もあと一月で来年!

 則子さんは理事だか評議員をしている社会福祉法人の泊まり込みでの会議と交流会で出掛けました。「舘山寺」とばかり思っていたら、ある方(奥さんがこの合宿に参加)が「弁天だよ」と言っていたんで、あれ?まあ、別にどこでもいいんですが。

 「起きてみつ、寝てみつ、部屋の広さかな」(ぱくりです。ごめんなさい!加賀の千代女さん!とここまで書いて念のためにネットで検索してみたら、どうも千代女さんではなく、元禄時代の遊女、浮橋さんが詠んだ句のようです)

 といっても、ぼくものんびりと遊んでいるのではなく、明日の新婦人主催、連続学習会「いのちと原発」の最終回「浜岡原発」の準備ですので、休みにはなりません。

 やはり原発事故は、そこに人が住めなくなる「破局地帯」を造り出します。その周囲には、住めても過酷な環境である「重過酷地帯」を造ります。

 もともと日本列島全体が「過酷社会」「ストレス社会」なので、あるいは「過酷職場」「過酷学校」なので、お互い優しくなれない、思いやれない状態です。

 その両方を解決しないといけないのですね。難しい課題です。

 つまり原発事故被害者を救えばいいんだ、という単純な議論ではないということでしょうか。そういう複線の目のある原発事故小説・原発事故演劇・原発事故映画はないでしょうか?

 写真は、則子さんの言うには「マンリョウね」だそうです。


浜岡原発ニュース 4号機低圧タービンに続いて3号機のタービンも異常多発

2012年12月01日 19時44分17秒 | 浜岡原発ニュース

浜岡原発ニュース 4号機低圧タービンに続いて3号機のタービンも異常多発

 中電の11月末発表で、8月に発表された浜岡4号機の蒸気タービン(低圧タービン)に続いて、著音波探査で3号機でも低圧タービンの羽根の異常が発見されました。

 4号機では羽根のヒビ割れや亀裂が見つかっていました。

 4号機では抜き取り検査した72枚で11カ所の亀裂、4カ所のヒビ割れが発見されました。中電は、超音波検査で異常が発見された1700枚について検査するとしています、

 今のところ、原因についての発表はありません。

 詳しくは以下の中電のホームページを参照して下さい。

 4号機点検ページ http://www.chuden.co.jp/energy/hamaoka/hama_info/hinf_tenken/no4.html

 3号機点検ページhttp://www.chuden.co.jp/energy/hamaoka/hama_info/hinf_tenken/no3.html


雨宮日記 11月30日(金) ぜいたく兎の豆子さんはニンジンの葉が大好き

2012年12月01日 05時20分01秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月30日(金) ぜいたく兎の豆子さんはニンジンの葉が大好き

 むかしから「座布団猫」「ざぶた猫」はいるようですが、わが家の兎の豆子さんは「ざぶた兎」さんで、前は父(おじいちゃん)の定席だった座椅子の座布団に座っていることが多いです。

 ときどき、座布団の白い布をかじって、ぼろぼろにしています。

 今は蛹になっているキアゲハの幼虫が、ニンジンの葉が好物ということで妹の家に、則子さんが「ニンジンの葉っぱもらえる?」ともらってきたら、キアゲハの幼虫より、豆子さんがニンジンの葉っぱが大好物とわかって、則子さんが時々、供給しています。

 豆子さんをニンジン畑に連れて行けば、大満足でしょうね。

  ☆

 今日で11月は終わり。日本全体の「神無月」、出雲の「神在月」が終わりです。つまり、年に1回の国連総会と同じようなもので、日本全体の神さまたちが、みんな集まって、民主的に討論したのが「神無月」なわけです。

 そういう昔の「全員総会」「直接民主主義」の時代は、遙か昔の話になって、いまや「間接民主主義」「代表制」の時代です。12月4日には総選挙公示ですが、こういう「間接民主主義」「代表制」自体が、制度疲労して、機能しなくなっているような気もします。

 だって、民主党みたいに、3年前に選挙投票で支持されたこととは、まったく別のことを実行してしまったし、橋下さんみたいに、トップに付いてしまえば白紙委任的に、何でもやれるんだ、みたいなことを言ってますし。


本と映像の森 234 大岡信さん著『百人一首』講談社文庫、1980年

2012年12月01日 04時58分53秒 | 本と映像の森

本と映像の森 234 大岡信さん著『百人一首』講談社文庫、1980年

 百人一首については 本と映像の森 230 林直道さん著『百人一首の世界』青木書店、1986年2012年10月24日 05時25分16秒 | 本と映像の森 で取り上げました。

 雨宮家でもぼくの小さい頃は、お正月になると、百人一首の「カルタ取り」ではなくて「坊主めくり」をよくしました。今でも、雨宮家には百人一首のカルタが2つもあります。

 大岡信さんの本を推薦しているのではなくて、ちょうどぼくの部屋にあったので、紹介します。

 地震と津波のことを調べていたら、百人一首のある歌が、津波のことを、それも具体的に詠んでいると書いてあったので、紹介します。

 清原元輔さんの歌「契りきな かたみに 袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは」

 歌の意味は、あなたと堅い約束をしたのだから、もし私が心変わりをしたら、あの有名な「末の松山」を波が越えていくでしょう、ということ。

 この「末の松山」は、この本でも、宮城県の多賀城の付近の有名な名所で「海辺に近いのに、けっして波をかぶらないという伝承があった」と大岡さんは書いています。

 ところが、この歌の作者の清原元輔さんは、あの清少納言の父親で、905年に生まれ、990年に83才で亡くなりますから、多賀城の付近を大津波が襲った、あの「貞観の大地震」のことを聞いているはずです。

 つまり「末の松山」を波が越えていった、リアルなニュースを作者が知っていたはず、ということで、この歌の深さも違ってくると思います。