雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 6月8日(土) まったくの空梅雨、異常気象でしょうか

2013年06月08日 21時39分18秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月8日(土) まったくの空梅雨、異常気象でしょうか

 梅雨入り宣言がされたはずなのに、ほとんど雨は降らず、なんなんでしょうか?

 近所のユリがきれいに咲いています。

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 自然・気象もそうですが、経済も異常で、5月末から、株価が暴落、「アベノミクス」も怪しくなってきました。別名「アホノミクス」というそうですが。

 外国投資家は、株価の絶頂を予知して、そこで売り逃げして、大もうけ。アホな一般投資家だけが大損をするという構図なのでしょうか。

 写真は、きれいじゃない「株式暴落図」は掲載しないで、きれいなユリの花を掲載します。


雨宮家の歴史 13 「第2部 1-10 下垂(しもだれ)」

2013年06月08日 21時34分11秒 | 雨宮家の歴史

雨宮家の歴史 13 「第2部 1-10 下垂(しもだれ)」

  明治三十六年、祖父卓二が陸軍を退官して浜松へ帰り、最初に居をかまえたのは、下垂であった。

 父福男はまだ開成の四年生だったので東京に残り、次男、次女と妻の四人家族であった。

 下垂の地名の由来は、家康が三方が原合戦で敗走中に、馬上から鎧のひもを垂らしたまま、この地を通って城内に入ったので、ひも垂れと地名が着いたが、それがいつの間にか下垂になってしまったという。私の家名の「なかや」が「なかたに」になってしまったことと同じである。

  下垂はイメージが悪いという住民の意見で、大正十四年の地籍整理の時、尾張町と改められた。ここには、尾張から移って来た人が多かったからである。

 今の中央幼稚園の南側辺りで、ここで四男(明治三十八年)五男(明治四十一年)が生まれた。二人とも改正前だったので、戸籍上では下垂になっている。

 父、福男が「チチキトク」の電報で帰ってきたのは、四男が生まれた頃だった。卓二の恩給だけでは食べていけなかった。福男が谷島屋へ入店し、卓二も安心したことであろう。