雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 27 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 15 北区都田町の豊都稲荷 <82の再録>

2018年02月12日 17時21分29秒 | 遠州古代史

古代ブログ 27 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 15 北区都田町の豊都稲荷 <82の再録>

< 82の再録 >
「遠州の遺跡・寺社・地名 82 北区都田町の豊都稲荷
2012年06月23日 06時06分15秒 | 遠州古代史

 この豊都稲荷は、平八稲荷とは違って地図にも載っています。

 都田川にかかる「362号線」の「藤渕橋」の東にある遠鉄のバス車庫の、すぐ西に「豊都稲荷」、Googleのネット地図では「豊都稲荷大明神」と出ています。

 則子さんと二人で訪ねてみると、鳥居は北向き、神さまは南向き、南北方向の神社です。

 お狐さまは石でかなり新しくて、左側は何か巻物を口にくわえていて、右側のおきつねさまは、何かわからないもの、もしかして「おいなりさん」?、をくわえています。

 目の前が、広い谷間の田んぼなので、青々した田植えをしたばかりの稲の緑が鮮烈です。

 お稲荷さんの立地場所としては、最適な感じです。

 以下、則子さんとボクの会話です。

 智彦「でも、豊都稲荷、とは大きく出たよね」
 則子「え?なにが?」
 智彦「だって、たぶん「豊都」の「豊」は豊川市の豊川稲荷の「豊」でしょ?つまり「豊の国」ってこと」
 則子「うん、それで?」
 智彦「ご本尊だって「豊川稲荷」なのに、この小さいお稲荷さまで「豊都稲荷」つまり「豊」の国の「都」とは、でかい名前でしょ?」
 則子「そうなの?「都」って、たんにこの地名の「都田」の「都」ではないの?」
 智彦「??もし、そうなら「都田」の国にある「豊川稲荷」ですから「都豊」でしょ?」
 則子「うーん、どうかなあ。でも、田んぼに風が吹いていいところねえ」
 智彦「もう一つ謎があるんだ」
 則子「ん、名探偵は、謎を解いたんでしょ?」
 智彦「…(則子さんの意地悪!)まだだけど、豊都稲荷と、平八稲荷と、沢上稲荷は、地図上で、ほぼ一直線なんだよね。何か関連があるんだと思うけど…」
 則子「謎が解ける楽しみを待ってるわ!」

 ごめんなさい、まだ謎は解けません。たぶん、豊川稲荷さまとその周辺の現地調査や、インドから渡ってきたというダキニテンさまなどの調査研究も必要でしょうね。

 さらに大本の伏見稲荷様などの調査も必用でしょうねえ?