雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 6月14日(木)の2 平和行進の撮影動画を見ていく

2018年06月14日 23時04分34秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 6月14日(木)の2 平和行進の撮影動画を見ていく

 今年の平和行進の速報版ビデオを3つ創ったが、いよいよ本格バージョンを創るので、撮影動画を見ている。

 もちろんボク自身は撮影できないし、していない。3人の撮影した人の動画をひたすら見続ける。全部まともに見れば ○○時間 かなあ。

 できるだけ全部見たい。使いたいところを記録していく。数日、この作業を続ける予定。

   ☆

 10時50数分ごろ、1度だけわが家がグラッと揺れた。弱い地震かな。震度1~2くらい?

 ボクは気象庁のHPにアクセス。地震情報を見る

 「震源・震度に関する情報
平成30年 6月14日22時55分 気象庁発表
14日22時51分ころ、地震がありました。
震源地は、静岡県西部(北緯34.9度、東経137.7度)で、震源の深さは約30km、地震の規模(マグニチュード)は3.4と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
この地震により観測された最大震度は3です。
[震度3以上が観測された地域]
震度3  岐阜県美濃東部 愛知県東部
[震度3以上が観測された市町村]
岐阜県  震度3  恵那市
愛知県  震度3  新城市」

 


雨宮日記 6月14日(木) 戦前、拷問死した人はどれくらい?

2018年06月14日 16時13分33秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 6月14日(木) 戦前、拷問死した人はどれくらい?

 戦前の政治活動家が1933年以後「おまえも小林多喜二のようになりたいか」と脅迫を受けたし実際にたくさんの人たちが肉体の拷問・暴力を受けた。

 戦前の日本で警察の拷問で死んだ犠牲者はどれくらい、いるか?

 ネットで探したらら、まず「戦前・戦中に思想犯としておよそ7万人が検挙され、その内拷問死した人は194名。 獄死した人は1503人にも上るとか。多喜二だけではなかったのです。」とある。

 これは、ネット『馬込文学マラソン』の数字。

 ネット『治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟』によれば、「治安維持法下の20年間に数十万人が逮捕され」「虐殺されたもの93人」「送検者68724人、起訴5162人」「刑務所での虐待・暴行・発病などでの獄死者400人余」と書かれている。

 数が微妙に違うのは正確な統計がないことと、解釈の相違などによるのであろう。

 いずれにしろ、ひどい時代だった。

 また機会があれば静岡県下の治安維持法弾圧や浜松の治安維持法弾圧のことも述べたい。


過去現在未来のメモリーノート 20 客観・主観・客体・主体のカテゴリーについて

2018年06月14日 10時25分51秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 20 客観・主観・客体・主体のカテゴリーについて

 「客観・主観・客体・主体」という4つの哲学的カテゴリーはよく出てくるが、あまり理解されていないと思う。

 「客観vs主観」は精神としての主観と対比して現実を「客観」と認識している。

 それに対して現実を変える「主体」として小さい範囲の二重カテゴリーとして人間をとらえた時「主体」という。

 つまり客観>客体>主体>主観とカテゴリーの範囲は狭まっていく。

 つまり「客観≠客体」であり、「客観=客体」ではない。

 同様に「主体≠主観」であり、「主体=主観」ではない。

 「客観vs主体」などという概念規定はどうなのかと思ってしまう。

 つまり自分という客観的存在を含んだ「客観」という概念と、自分という客観的存在を含んだ「主体」という概念を単純に比較することは誤りを導き出しかねないと思う。

 「客体」という概念は、ボクはまだよくわからない。もっと考えてみる。