雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2020年6月24日(水) 「活中」「かつちゅう」のボク

2020年06月24日 15時03分18秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年6月24日(水) 「活中」「かつちゅう」のボク

 活字があればボクって満足なのかな。活字なら新聞株式でも広告でもいいのか。苦笑い。

 活字中毒、別名「活中」「かつちゅう」ともいう。むかしボクのことを「アル中」と規定した人が約1名いましたが。

 まだまだ死ぬまでに読みたい本がたくさんある。特に自宅に。


雨宮智彦古代史メモリー 45 20200624 本と映像の森 40 古田武彦『失われた九州王朝』ミネルヴァ書房、2010年

2020年06月24日 15時02分33秒 | 遠州古代史

雨宮智彦古代史メモリー 45 20200624 本と映像の森 40 古田武彦『失われた九州王朝』ミネルヴァ書房、2010年


「2010年05月17日 05時31分56秒 | 本と映像の森
本と映像の森 40 古田武彦さん『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』<古田武彦古代史コレクション2>、ミネルヴァ書房、2010年2月20日、559ページ、定価2800円+消費税

 古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
 
 1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。

 それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。

 その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。

 雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。

 この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。

 九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
 九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。

 天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。

 そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
 「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。

 この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。」