雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月15日(月) 如月の望月の日

2010年02月15日 21時47分35秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月15日(月) 如月の望月の日

 昨日は、バレンタインデーでした。
 ネットで藤岡藤巻さんの「死ね!バレンタインデー!」という歌があるのを知りました。私はいちおうもらったんで、まあ、いいかな?

 いまテレビで北海道の音更町の夜に、氷点下17度でシャボン玉を飛ばすと、氷結してすごくきれいでした。

 今日は太陽暦で2月15日、これが陰暦だと2月15日は「如月(きさらぎ)の満月の日」で、お釈迦さまが亡くなった涅槃会(ねはんえ)の日です。
 この日になると、西行さんの歌「願はくは、花のしたにて 我れ死なん その如月の望月のころ」を思い出します。

 陰暦の2月15日は、太陽暦では変動して、3月はじめから4月はじめごろに当たります。
 ところが西行さんの亡くなったのは、建久元年(1190年)2月16日で、15日の翌日でした。しかも、この日は、太陽暦のグレゴリオ歴に変換して3月30日でした。
 桜が咲いていたことでしょう。 

 太陽暦のグレゴリオ歴への変換は、藤原益栄さん著『暦のはなし』光陽出版社によりました。

雨宮日記 2月13日(土) 久しぶりに図書館へ

2010年02月14日 17時04分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月13日(土) 久しぶりに中央図書館へ

 午後、久しぶりに浜松中央図書館に行きました。松城町にあるので、昔は自宅のすぐそばでした。
 車を駐車場(無料だけど、ただし1時間以内にということで)に入れました。時間をかけたいときは電車で行って、遠州病院駅で降りて歩きます。
 この日は、カウンターで「岩波から出ているアリストテレス全集、がありますか?」と聞いて、館員の女性がパソコンで館内の所蔵図書目録を探してくれて、その場所まで案内してもらいました。

 ついでに「去年出た小説で、若い女の子が海の生物になって、海の中を旅するという小説、わかりませんか?」と聞いたけど、わかりませんでした。これはいくつかの本屋さんで聞いたけどわかりませんでした。残念。

 結局、アリストテレス全集の1巻(ぶあついカテゴリー論ほか)と、ギリシャ哲学の歴史分析(男性性と女性性のせめぎあいの考察)の本と、クラシックのピアノ曲の本、3冊を借りて、帰りました。

 図書(本・雑誌・紙芝居)は1人で12冊まで、15日間借りられます。オーディオ・ビジュアル資料(CD・ビデオ・DVD)は1人3点まで15日間借りられます。

 いまこれを打ちながら(「書きながら」ではないですね)、浜松市立図書館にネットでアクセスしたら、こういう記事が掲載されていました。

 「■リクエストに関するお知らせ 予算執行の都合上、2月1日から3月31日までの間、資料購入を一時停止いたします。リクエストにつきましては今までどおり、参考ご意見として受け付け、検討結果を連絡いたしますが、購入する資料も4月以降の注文となり、検索、予約も4月以降に可能となります。ご不便をおかけしますがご理解とご協力のほどお願いいたします。」
 要するに予算がなくなったということでしょうか。
 その下には「■2010年は「国民読書年」 キャッチフレーズは「じゃあ、読もう。」と書いてあるのに。

 昨年の新聞に掲載された中央図書館の報告書によれば、浜松市立図書館の図書購入費は、20年度予算で9800万円で静岡市の半分以下、17の政令指定都市中の16位です。
 平成16年度に2億5千万円をピークに減らされ続けたとのことです。
 市民1人あたりの予算を比較しても、静岡市は浜松市の3倍です。


 

雨宮日記 2月11日(木) 喫茶店で素敵なカップとお皿

2010年02月13日 04時59分41秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月11日(木) 喫茶店で素敵なカップとお皿

 我が家から車ですぐ近くの、中区上島にある素敵な喫茶店は、おいしいコーヒーや紅茶が飲めて、いつも壁には、すてきな芸術・文化作品が楽しめます。

妻のN子さん(ぼくの最愛の女性です)と、Oさん(素敵な女性です)と3人で行った時に、Oさんが注文した紅茶に出てきたカップとお皿です。
 とても素敵だったので、感動してマイデジカメで撮影しました。



 

日本古代史の学習2 女王国と倭王の居場所

2010年02月13日 04時14分27秒 | 古代史を考える

日本古代史の学習2 女王国(邪馬壱国)と倭王の居場所

 「魏志倭人伝」による女王国(邪馬壱国)と倭王の居場所の2回目です。
 
 「倭人伝」では、1で指摘した楽浪郡からの行程記事のほかにも、女王国と伊都国の位置関係を示す文章があります。

 1つ目は以下の文章です。

 「女王国より以北、その戸数・道里は得て略載すべきも、その余のボウ国は遠絶にして得て詳かにすべからず。」(岩波文庫版、p41から42)
 つまり、女王国(邪馬壱国)から北にある対馬や壱岐や末ロや伊都は、その戸数・道里のデータはは得ることができて略載したが、それ以外の「遠絶」の遠い国はデータが得られなかったというのです。
 「倭人伝」によれば「正始元年(西暦240年)」に魏の使者が「証書・印綬を奉じて、倭国に」行って「倭王に拝仮し」とあります。(岩波文庫版、p52)
 つまり、魏の使者は、倭国に実際に行って、倭王卑弥呼会っているのです。

 それはそうです。現代の外交でも、アメリカ大統領が日本の首都・東京まで来て、日本の首相には会わずに外務大臣や秘書とだけ会って、なんてことはありえません。
 
 この岩波文庫版のp41から42の叙述の「女王国以北」に、「注8」で次のように奇怪なことが書かれています。
 「本居は以北を以西とし、その前の不弥国よりの方角南をすべて東とする」(p43)
 つまり、江戸時代の学者・本居宣長さんが、北を西に、南を東に、すべて90度ずらした解釈のルーツなわけです。
 この本居さんの解釈は正しいでしょうか。

 倭人伝の後半でこういう原文があります。
 「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。またシュジュ(小人)国ありり、その南にあり。人の長、三、四尺、女王を去る四千余里。また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。」(p50)

 本居さんの解釈でいくと、上の原文は以下のようになります。
 「女王国の北、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。またシュジュ(小人)国ありり、その東にあり。人の長、三、四尺、女王を去る四千余里。また裸国・黒歯国あり、またその東北にあり。」
 これでは、まったく意味をなしていません。
 本居さんの修正は、誤っていると思います。

 



 


2月11日(木) 2311人で4111ヒットありがとうございます

2010年02月11日 05時03分35秒 | 雨宮日誌
2月11日(木) 2311人で4111ヒットありがとうございます

 ブログ開設から93日目です。
 約2千人以上から4千を超えるアクセスでした。
 見に来てくれた皆さんに、心からお礼申し上げます。

 アクセスの量が多ければいいということではないです。
 問題は、人生の生き方の質なので。
 量ではありません。


 

日本古代史の学習1 「魏志倭人伝」の伊都国は女王国の北

2010年02月11日 04時13分15秒 | 古代史を考える

日本古代史の学習1 「魏志倭人伝」の伊都国は女王国の北

 邪馬台国「近畿説(奈良県説)」や箸墓「卑弥呼の墓」説によれば、北九州の伊都国は、女王国(邪馬台国)の東になります。
 その邪馬台国「近畿説(奈良県説)」では、邪馬台国と敵対して戦争をしていた狗奴国は東海地方の愛知県名古屋市付近にあったされています。

 しかし、この説では『三国志』「魏志倭人伝(正確には「魏志」「東夷伝倭人条」)」が書いている方角を無視しています。

 まず「倭人伝」では、こう書かれています。 
 「末蘆(まつろ)国に至る。四千余戸あり・・東南陸行五百里にして伊都国に到る・・千余戸あり。世々王あるも、皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐(とど)まる所なり。東南奴国に至る百里・・二万余戸あり。東行不弥国に至る百里・・南、投馬国に至る水行二十日・・五万余戸ばかり。南、邪馬壱国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月」と。

 つまり、伊都国からの道順ですが「順次式」で読むと、伊都国の百里東南に奴国、奴国の百里東に不弥国、不弥国の南に投馬国、投馬国の南に邪馬壱国ということになります。
 「邪馬壱国」というのは「邪馬台国」と解釈されて訳されている『三国志』「魏志・当遺伝・倭人条」の中国語原文です。この訳語問題については、別途考えます。

 別の解釈の「放射式」読み方では、伊都国を基点にして、伊都国の東に不弥国、伊都
国の東南に奴国、伊都国の南に投馬国と邪馬壱国という方角になります。

 いずれにしろ、倭国の首都である「女王国」=「邪馬壱国(邪馬台国)」が北九州の伊都国の南にあるという方向は変わりません。

 どうしても「邪馬台国=近畿説」にしたいなら、「卑弥呼の墓=箸墓」にしたいなら「魏志倭人伝」の原文を改定して、すべて「南」を「東」に替えないといけなくなります。
 それは、論理的にも、感覚的にも、無理に無理を重ねることではないでしょうか。

 この項は『季刊 邪馬台国84号』の編集部論文「卑弥呼の墓=箸墓古墳説について」のp46からp47の指摘によります。
 
 原文は、手に入れやすい岩波文庫の石原道博編訳『中国正史日本伝(1)新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・随書倭国伝』によりました。
 2009年第79刷で、定価は500円です。


資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

2010年02月10日 04時14分49秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

 「第1編第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の続きです。
 テーマは「商品の使用価値」とは何か、です。
 よくある誤解は「使用価値」とは、その語感から言っても、「使用することの価値」なのだから、その商品を使用するときの「効用」あるいは「満足感」とか、主観的なものではないかという誤解です。

 マルクスさんは、こう書いています。

 「ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値ままたは財である。」(新日本新書版①p60ー61)

 つまり、ある商品の「使用価値」とは、固いその商品体そのもののことです。
 だからこそ、ある商品の使用価値は「見える」のです。


雨宮日記 2010年2月8日(月) マイパソコン壊れました

2010年02月09日 04時19分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年2月8日(月) マイパソコン壊れました

 このところ、時々、ハングアップ(パソコンがキーを叩いても反応しなくなること)が何回かあったマイノートパソコンが、ついにおかしくなりました。
 夜の会議のレジュメを打っていたので、あわてて古いネット接続だけが壊れたパソコンを引っ張り出して、レジュメを打って、それを、1階においてある、今は次女だけが使っているデスクトップのパソコンにUSBメモリーで移して、なんとかプリントしました。

 デジカメの画像データだけは用心して、毎日、ハードディスクに移していたので、だいじょうぶでした。
 ただし、会議のレジュメやチラシのデータは、2か月分くらいが、もしパソコンの修復ができなければ消えることになります。
 まあ、それは印刷データがあるのでいいかな。

 妻のN子さんに「ごめん、貯金から○○万円おろしてくれる?」と、おそるおそる言うと、「智彦くんのパソコンは凄く酷使しているから、しょうがないよね」と快く承諾してくれたので、ホッとして、明日は高林のコジマ電器に、新しいパソコンを買いにいきます。

 それにしても、資本主義の市場原理の競争による技術進歩はすごいですね。

 ぼくが初めて「ワープロ」というものを買ったのは、1984年でキャノンの、まだ記憶装置もなくて、打った文章1種類だけが記録されるという、8万円の買い物でした。
 そのころ、頭の調子が悪くて、心配した妻のN子さんが「それで、智彦くんの頭の調子が直るなら」と買ってくれた、今から思えば、おもちゃのような機械でした。
 実際、それを使って、それまで手書きだった、浜松市平和委員会の機関紙「青い地球」を、活字のニュースにしたので、無駄な投資ではなかったと思います。  
 
 25年たった今では、昔の5インチのフロッピーや3.5インチのフロッピー(容量は1M(メガ)くらい)から、その1千倍のギガが当たり前になっています。
 
宮沢賢治さんの詩にいう「ぎんが(銀河)ぎが(ギガ)」です。これが宮沢賢治さんの詩の正解かどうかは不明ですが。 

 使う側が、はたして、技術進歩を使いきれているのか、どうか、ですね。



「資本論」学習1商品の要因、見える使用価値と見えない価値

2010年02月07日 22時30分26秒 | 人間・生命・宇宙

「資本論」の学習1 商品の要因、見える使用価値と見えない価値

 何年か前まで「資本論」の第1巻の全行読みを仲間をつのってやりました。
 月2回、2時間くらい、全行を読んで、疑問・開設を出し合う作業でした。
 その収穫も含めて、雨宮智彦の読んだ「資本論」を少し書いていきます。
 
 なお、マルクスさんの書いたドイツ語の原題は「DAS KAPATAL」で「資本」です。「論」は含まれていません。
 原題通りなら、「資本論」ではなく「資本」というタイトルになります。
 
 推奨するテキストは、新日本出版社の新書版13巻本か、第1巻から第3巻までそれぞれ1~2冊にまとめたものです。

 「第1部 資本の生産過程」(これが、いわゆる第1巻です)のいちばん最初は、「第1編 商品と貨幣」の「第1章 消費」の「第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値(価値の実態、価値の大きさ)」です。

 この「使用価値と価値」のうち、「使用価値は見える」けど「価値は見えない」というのが「資本論」の出発点になると思います。
 「見える使用価値」と「見えない価値」という2つの要因がからみあって、商品から貨幣へ展開していきます。

 以下、後述。
 

雨宮日記 2010年2月6日(土)朝 雪でした

2010年02月06日 04時10分22秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年2月6日(土)朝 雪でした

 寒い夜でした。
 浜松市中区には珍しく、5日の夜から朝にかけて、名古屋の方から雪雲がやってきて、断続的に雪が降りました。
 でも、短時間ですぐ止んでしまうので、子どもたちが起きて、嬉しくなって「庭をかけまり、猫はこたつでまるくなる」ような積雪にはなりませんね。
 すぐに天空に月が出てしまいました。

 名古屋が幸でも中区は晴れか風花、東京が雪でも中区は晴れか風花、天竜区が雪でも中区は晴れか風花、です。
 40数年前の子どもの頃に、うっすらと積もった雪で、泥まみれの雪合戦をしたことを思い出しました。
 やはり、地球温暖化で雪はなかなか積もりません。

 昨日は、また兎の「豆子」が2回目の、倉庫の下への「大脱走」、次女と私と妻と3人で必死の追跡戦をして引っ捕らえて、倉庫の下は厳重に封鎖しました。


 

雨宮日記 2010年2月3日(水) 節分と立春

2010年02月04日 04時42分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年2月3日(水) 節分と立春

 以前から、冬の季節と春の季節を分けるのに、「節分」と翌日の「立春」は、どう違うのか疑問でした。今年、ようやく、その謎が解けたように思います。

 つまり、「節分」は、それまでの冬でもない、これからの春でもない、その間の、節目の、冬と春のあいだです。
 ですから「節分」の翌日が「立春」であるのは、あたりまえなわけです。
 「節分」の前の日は、冬の最後の日です。

 本来、季節を分ける「節分」は、1年に4回あって、その中の、冬から春への「節分」だけが残ったということです。

 なぜ、節分に「鬼は外、福は内」で、豆をまくんでしょうか。
 ぼくが子どもの頃は、豆だけではなくて、まいたお菓子をもらうのが嬉しくて、近所を回った記憶があります。新町の頃か、松城の頃かは、定かではありません。
 こういうことも、まだ親が元気なうちに確かめておかなければと思います。

 

哲学の学習8 形式論理的事物と弁証法論理的事物

2010年02月02日 22時55分22秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習8 形式論理的事物と弁証法論理的事物

 「変化・発展」の稿の続きも含む内容です。

 世の中のすべてを「弁証法論理学」で「矛盾」と「発展」で分析できるように書いてあるテキストもありますが、どうでしょうか。

 たとえば、あなたが家を建てるとすると、その家は弁証法論理ではなく、形式論理学のバランスと安定の論理によって設計図が描かれ、その通りに建てられます。
 もし我が家が「弁証法的発展」によって「変化」「発展」していっては非常に困るわけです。
 ですから、家は発展しないように、AはAであり、Bではないという形式論理で建てられ、寿命が来ればそれは破壊され取り壊されます。
 つまり、家や都市など人間が作った物は、すべて形式論理学に従っています。

 それにたいして、例えば地球環境は進化・激変もしますが。一定の期間は相対的安定の時期で、一定の環境の下では、生物も安定して、産卵、成長、生殖の安定した循環を繰りかえすことができます。
 「カエルの子はカエル」で「ナマズの孫ではない」のです、
 
 生物が進化する時期は、たとえば地球誕生の初期に藍藻類の大繁殖で酸素が大気に放出され、それまで無酸素で栄養とエネルギーを得ていた「嫌気的生物」が生存の危機に陥った時期です。
 あるいは、地球全体が凍結した時期です。
 あるいは中生代末期の有名な「隕石衝突」(または地球内部からの大激変)です。
 
 このような環境の激変と生存の危機に対して、生き物たちは生き残るためには、自らが進化することを強制されます。別の言い方を言えば、そのような劇的な進化を遂げて新しい生き物に変身した種類だけが生き残れたのだと。

 要約して言うと、世の中は、変化・発展しないものと、変化・発展するものでも、のべつまくなしに変化しているわけではなく、安定する時期は長く、変化・発展する時期には短時間で激変が起こると、いうことでしょうか。

 (参考文献) 井尻正二『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』築地書館、1980年初版


本と映像の森4 鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』

2010年02月01日 04時20分20秒 | 本と映像の森
読書ノート4 鎌田東二さん著『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』岩波現代文庫、岩波書店、2001年12月14日第1刷、338p、1000円+税

 読書ノート3の続きです。

 宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」は、1924年(大正13年)頃に成立した第1次から第3次までの「初期稿」と、1931年(昭和6年)頃に書き上げた第4次稿、つまり現在の最終稿があります。
 
 この第1次稿から第4次稿までの変遷を追い、その意味を「ジョバンニの孤独」という側面から読み解いたのが、この鎌田さんの『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』です。

 1931年というと歴史的には、あの日本で言う「満州事変」と「15年戦争」の始まりの年です。
 「銀河鉄道」の中には、この「日中15年戦争」はどのように反映しているのでしょうか。
 いままで、そういう研究や評論を見たことがありません。どなたか、ご存じの方がいたら、教えてください。

 もう一つ、魅力的なのは、宮沢賢治さんが、鳥(バード)を媒介として、世界や神と対話する「鳥シャーマン」であると解読したことです。
 「銀河鉄道の夜」に出てくる「鳥捕り」のところを読むと、私は、鎌田さんの主張を納得します。
 日本古代史でも、鳥は重要な要素で、現代でも、それは神社の「鳥居(とりい)」として
神がやってくる神社の空間を維持する「通路(ゲート)」として生きています。
 鳥居のない神社はありません。

 この本には、最終稿と、第1次稿、第2次稿、第3次稿が掲載されていて、比較して、自分で考えることができます。
 大事なのは、自分の感覚で感じて、自分の脳で考えることだと思います。