雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森97 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』<花とゆめコミックス>、白泉社

2010年11月06日 22時18分03秒 | 本と映像の森
本と映像の森97 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』<花とゆめコミックス>、白泉社、1987年6月25日第1刷、187ページ、定価379円+消費税=390円

 「ぼくの地球を守って」です。

 うわ、どうしよう。明日までに、N子さんが指示した原稿を書かないといけないのに(いえ、別に仕上がらないからといって、折檻されるわけではないので。ただ、できないとすごく哀しそうな表情をするので、つい無理しちゃう…)、次女のIさんが、いっぺんに(多分ネットの古書店で)手に入れて、「お父さん、読む?」と言うからいけないんですよね。

 とにかく1巻だけ読んで、すこし想い出しました。  
 全21巻あるのに、第1巻だけの紹介です。
 
 1991年の東京に引っ越してきた口亜利子(ありす)は、植物や動物と対話ができる、つまりドリトル先生のような能力のある普通の女の子です。

 お隣の7歳の少年・輪(りん)と、同級生の小掠迅八(おぐらじんぱち)と別のクラスの錦織一成(にしきおりいっせい)の4人が集結することから物語は始まります。

 アリスは、迅八と一成の話を立ち聞きすることから、夢の「月基地」の世界に入っていきます。

 何かをたくらむ過去世の紫苑(しおん)と他の6人がからみあい、ラブストーリーと推理小説的な謎解きの楽しみもあるSFファンタジーが展開していきます。

 またいつか、ネタバレの謎解きを書きたいと思います。

 テレビアニメになったときの、あの主題歌が、大好きです。
 あれを聞くと、なぜか涙が出そうになります。
 もちろん、アリスはN子さんです。
 
 第1巻の表紙ですが、植物に好かれるアリスが、リアル地球の入った宇宙空間の球を抱いて、うたた寝しています。
 やっぱり、アリスは「地球樹の女神」だったんですね。
 

 

遠州の遺跡・寺社40 浜北区小松の「秋葉大鳥居」

2010年11月06日 06時12分33秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社40 浜北区小松の「秋葉大鳥居」

 浜松から浜北へ向かう二俣街道の、遠鉄小松駅のすぐ北の小松に「秋葉大鳥居」があります。

 以前からこの道はよく通っていて、鳥居の向こうに神社も何もないのは見ていたので、「多分、鳥居の向こうに秋葉の本山があるんだろうな」くらいに考えていました。
 
 そこで実際に測りに行って見ました。
 車を大鳥居の後ろの駐車スペースに止めて、降りて、鳥居から道路に向けて方位を測定しました。

 夕方で太陽は鳥居の左側で傾いていました。
 計った結果は、なんと「255度」でした。
 つまり、西(270度)から南へ15度、ぶれています。

 「鳥居の向こうに秋葉の本山がある」という仮説は廃棄処分になりました。
 いまのところ、なぜ255度(北からは75度)なのかは、謎です。

 この西から東へ75度の方向、鳥居の向こう側に何かがあるのかもしれませんが。

 この大鳥居は、立っていた解説板によれば、文政五年(1822年)建立で、高さ7.3m、柱の周囲は2.1m、石造りの鳥居としては遠州最大です。
 
 この大鳥居は「二の大鳥居」で、むかしは浜松の中心街の鍛治町に「一の大鳥居」がありました。この「一の大鳥居」はどっちを向いていたのか、調べられないかなと思います。





 

雨宮日記 11月4日(木) 会社の仕事、システム変更で疲れましたが夜空は

2010年11月06日 06時10分13秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月4日(木) 会社の仕事、システム変更で疲れましたが夜空は

 11月1日(月)から、長年の深夜の仕事がシステム変更で、このところ、いろいろ慣れなくて、疲れました。
 深夜の出勤する時間は、これまでより1時間くらい早くなって、終わる時間はやっと、今までくらいになりました。

 いままでは、浜松の南部地域だけでしたが、1日から市内の7区全部行かないといけないので、たいへんです。
 まあ、やっと慣れてなんとか、なりそうです。

 N子さんが「いちど、智彦くんの仕事、助手席に乗って、手伝おうかな」と言うので「手伝いにはならないけど、体験してくれるのはいいよ」と嬉しくなりました。

 今までは行かなかった、西区篠原町まで行くと、
 夜空は「空一面に星の貢ぎもの、こんな時間に語り合う相手は歴史、世紀、宇宙」というような感じの、うろおぼえの、マヤコフスキーの詩のように、素敵です。

 

 

雨宮日記 11月3日(水) 里山で草刈りと「沢へ降りない常識」談義

2010年11月06日 05時31分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月3日(水) 里山で草刈りと「沢へ降りない常識」談義

 土日が通常の休みのN子さんですが、このところ土日に他の予定が入っていて、里山にいっしょに行けませんでした。
 久しぶりに、N子さんと一緒に里山へでかけました。

 ぼくの命名する「トンボ谷」の6段の「棚池」は、FさんとKさんとU♀さんで、ほぼ水の道をつくり、整備をして、周囲の崖に生い茂ったシダや草を刈って、見違えるようになりました。

 トンボ谷から振り返ると里の家です。
 今日は、里の家の周囲の草を何人かで刈って、里の家も少しキレイにしました。

 U♂さんは、新しく買った草刈り機で、上の方から草を刈っていきました。
 ぼくは里の家の西の柿の木の周辺の生い茂った草を少しづつ克っていきました。
 N子さんは、その西で、上から下へ下る窪地の草を刈っていくと、左側のお茶の木のためものか、昔の石垣が見えてきました。
 U♀さんは、橋に使った木の幹の残りを電動のこぎりで切って運んだり、里の家の中をきれいにしたりしました。

 里の家も、その周辺と裏山も、まだまだたくさんの仕事があります。
 冬のあいだ、いろいろしたいと思います。

 夕方、みんなで集まってコーヒーを飲み、お菓子を食べて、いろいろ話をしました。
 川根での「ハイキング遭難」の話になって、何の準備もなしに山に行くのは、たんなる「バカ」であるという結論になりました。
 
 それと「沢へ降りない」のは常識なのに、という話になりました。

 そういえば、むかしの古道である「秋葉街道」は、天竜川よりかなり山の上にありましたね。
 科学的に言うと「危険な沢へは降りない」となるのですが、縄文時代からの日本人の信仰と常識から言うと、いつ水が出て荒れるかわからない「川」は女性神である蛇や竜がシンボルです。
 
 たたりや水害を恐れて、山の上に道を作り、浜松の縄文時代の代表的な住居跡、蜆塚遺跡のように、高い台地の上に住居をつくろのも「沢に降りるな」と同じ思想だと思います。

 

遠州の遺跡・寺社39 中区三組町の秋葉(あきは)神社

2010年11月03日 05時42分58秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社39 中区三組町の秋葉(あきは)神社

 秋葉神社の本山は、こんな市街地の街中(まちなか)ではなくて、北遠の山の中の山頂にあります。

 この中区にある「秋葉神社」の意味と、浜北区小松に今もある「大鳥居」、それから戦前にあった鍛治町の「大鳥居」の意味を、いつかわかりたいと思います。

 この三組町の秋葉神社は、神社に向かっての方位角は271度でした。つまり、神社は、真東向きで、春分・秋分の日には、秋葉神社に鎮座する神さまは、夜明けの太陽と向き合うことになります。

 秋葉神社は「火伏せの神」として、この遠州地域では「秋葉街道(別名・塩の道)」とか、「秋葉灯籠」とかが有名ですが、やはり元々は「火の神」ではなくて、「日の神」だったのではないでしょうか。

 たんなる「火事除けの神様」なら、神社が真東を向く必要はないと思います。現に、神社が南向きの例は、たくさんあるわけですから。

 三方原台地の末端の、低い沖積平野から坂道を登ってきて、段丘のいちばん、下界を見下ろすいい位置に、この{秋葉神社」はあるんだと思います。

 

 

雨宮日記 11月2日(火) 答えを考えるより、問題を考えよう

2010年11月03日 05時08分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月2日(火) 答えを考えるより、問題を考えよう

 友人と話をしていて、「テストの弊害とマスコミの弊害は同等」ということを考えつきました。

 テストというのは、記述式であれ、○×式であれ、選択式であれ、問題の範囲内に回答は収まります。
 テストに「合格」したいなら、範囲内をはみ出した回答はしないでしょうね。

 でも、大事なのは、リアルな現実の中に、どんな「問題」があるか、発見することだと思います。
 アルキメデスは、お風呂に入っていて「アルキメデスの原理」を思いついて「ユーリカ!」(「エウレカ!」)と叫んで、まっ裸で興奮して外へ飛び出したそうです。
 「ユーリカ!」(「エウレカ!」)とはギリシャ語で{見つけた」という意味です。

 まあ別に、なにか問題と答えを考えついたら、裸で外へ飛び出すことを推薦しているわけではありませんが。

 小さい頃から「テスト」{テスト」で「正解」を他人に評価してもらっていると、もう自分で何が正しいか判断する(ようするに自分で採点するわけです)力は無くなってしまうのではないでしょうか。

 小さい頃から自分で自分を評価・判断する習慣のない子は、大人になっても、やっぱり自己判断はできなくて、他人に評価して欲しいんですね。
 他人の評価というのは、つまりは「体制」と「マスコミ」の評価です。

 だからこそ、選挙でも「二大政党制」で、二択式で「① 自民党」{② 民主党」のどっちかがテストの正解という感じの報道がされると、もう習慣で「どっちにしようかな」となるんですね。
 「他の選択肢」は、頭に浮かばないのではないでしょうか。

 自分で確認したことだけが、自分にとっての「真実」だと思います。
 「権威」や「権威者」は、いりません。
 他人に決めてもらう人生は、ぜんぜん楽しくないと思いますが、どうでしょうか。

 

雨宮日記 11月1日(月) 台風が去ったのに、いきなり台風並みの大雨でした

2010年11月02日 06時04分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月1日(月) 台風が去ったのに、いきなり台風並みの大雨でした

 11月1日の朝から、自分の仕事のシステムが変わり、今までの仕事より広い範囲を運転していくので、かなり緊張する日なのに、最悪の大雨でした。

 前日の夜に、ヤフーの「東海の雨雲の動き」を見たら、浜松のあたりに西南から東北へ細い大雨の帯がかかっていて、赤い部分の1時間に31mm以上もありました。

 わが社の各区の拠点に、物をおろしていく仕事なのですが、初めての場所が多くて、しかも豪雨。最初のポイントに車を入れて、荷物を下ろすのに、車から倉庫まで最短距離を歩こうとしたら、いきなり足がずぶずぶとめりこんで、履いていた長靴まであと1センチくらいの感じでした。

 道路もかなり冠水していて、たいへんでした。
 もしチョークが湿ったりすると、エンジンがかからなくなるので、ゆっくり運転すると、到着時間がどうしても遅くなります。
 
 1時間以上のすごい大雨で、自分もずぶ濡れになったので、途中で上半身・下着まで着替えて、なんとか風邪も引かずにすみました。
 
 予定よりかなり遅くなって、明るくなってしまい、もう朝の通勤の車が多くなった頃に仕事を終えました。

 事務所に戻って、N子さんの携帯に電話して「ごめん、お風呂に入ってから寝たいので、お風呂を張っておいてくれる?」と依頼しました。
 
 N子さんは、今日は仕事は休んで、自衛官人権裁判の、自死した浜松基地自衛官のSさんのお父さんと、お母さんの証言の日です。
 ぼくも宣伝行動や傍聴など行きたいのですが、無理をすると、元も子もなくしてしまうので、自重して、N子さんに言われた「ニュース」や「文書」づくりに徹しています。
 
 

雨宮日記 10月31日(日)の補足 「廃墟」ブームです

2010年11月02日 05時55分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(日)の補足 「廃墟」ブームです

 なぜか古いものや昔のものへの憧憬・あこがれがあるのでしょうか。
 それは、今の日本の若者にとって、未来は閉ざされているからでしょうか。
 
 そういえば、前に{本と映像の森」で紹介したマンガ「鉄腕バーディ」の冒頭は、3人の男子中学生が廃墟を探検するシーンから始まっていましたね。

 ヤフーで「廃墟」で検索すると、784万件がヒットします。

 グーグルで「峰之沢鉱山」で検索すると「峰之沢鉱山アパート」とか「峰之沢高山見学1」とか、つまり廃墟マニアの現地報告を見ることができます。
 リアルで、すごくためになりますね。いい時代です。


あるはま2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

2010年11月01日 14時15分55秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松)2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

 最初、車で行きに通り過ぎたときには説明もしてくれたのですが、こんなに巨大な施設とは気づきませんでした。
 やはり、車から降りて、歩かないとだめですね。
 
 それと、大勢で行ったので、たくさんの目と口で「ここは何だろ?」「ここに金属の輪がまだ残っているよ」「あの林の奥もそうですね」など、いろいろ発見があり、検討ができておもしろいです。

 これは、「雨宮日記」で紹介した「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」です。
 写真の両側にも同じようなコンクリと石の施設が広がっています。

 いまは製材所の一部で使っているので、破壊や埋没を免れているようです。

 最近は「産業史跡」「産業遺跡」という考え方が広がってきたので、ぼくは、この巨大史跡や山の上のアパートなど、峰之沢鉱山の全体を「産業史跡」として保存したいなと思います。
 
 「保存しろ」とか「保存すべきだ」とか、自分の主体が見えない他人事のような言い方はしません。一人ひとりの個人や、考えを同じくする団体や、自治体が、対等の立場で、史跡保存に協力して行けたらと思います。

 

雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

2010年11月01日 13時41分41秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

 天竜川をさかのぼって、秋葉ダムの付近まで行ってきました。
 目標は、戦前から1969年(昭和44年)まで銅鉱山として栄えた「峰之沢銅山」です。
 依然かなり前に、N子さんと船明(ふなぎら)ダムの付近まで行ったことはありますが、それより北へはさかのぼったことはありません。

 場所は、現在の住所で言うと、天竜区龍山町下平山で、合併前は磐田郡龍山村でした。ところが、普通の地図を見ても、旧「峰之沢銅山」跡という印さえありません。
 何か、宣伝しないという「負の遺産」という地元の皆さんの、あるいは自治体の位置づけなのでしょうか?

 なにしろ位置もわからないので、天竜区の知り合いにお願いをして、現地ガイドをしていただきました。午前9時半に天竜区役所の駐車場に集合して、車に2台に乗り換えて天竜川をさかのぼりました。

 台風が通り過ぎたのに曇り空、最初は雨がポツポツしていましたが、だんだんと上流に行くと、山の上は白い霧でおおわれていますが、だんだんと霧が晴れてきました。

 船明ダム、秋葉ダムを過ぎてから東岸へ橋を渡り、細い山道(舗装されてます)をどんどん車で上っていきます。
 ガイドのAさん、yさんに、山の上の旧「下平山小学校」跡地(公園)や、鉱山入り口(閉鎖されている)や、山の上の廃墟「アパート」2軒、上から川の付近まで人を運んだ「インクライン」の跡、銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設、中国人強制連行の「慰霊碑」など、貴重な物をいっぱい見せて頂きました。
 ありがとうございました。

 いちばん感じたのは、巨大な「産業遺跡」ともいうべき「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」など、産業史跡として保存をして、後世にきちんと伝えるべきではないかということです。

 それと山の上の方を秋葉街道が通っていて、山の上から見る景色は素晴らしかったです。秋葉街道に接して建てられたお寺「妙蓮寺」は、昔は秋葉街道を歩く人たちのために宿泊施設だったそうです。

 いろいろ学ぶことの多かった旅でした。

雨宮日記 10月30日(土) 台風の日、古楽器(フォルテピアノ)によるベートーベンソナタ演奏会

2010年11月01日 07時51分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月30日(土) 台風の日、古楽器(フォルテピアノ)によるベートーベンソナタ演奏会

 浜松市楽器博物館の第105回レクチャーコンサートで、会場はアクトシティ浜松・音楽工房ホールです。
 台風が近づき、雨がひどかったので、N子さんと2人で、珍しくタクシーで行きました。

 古楽器の1795年頃のフォルテピアノをモデルに作成した現代製の古楽器です。
 古楽器は、1日以上かけてピアニストに調整してもらわないと演奏は無理なのだと、レクチャーで教えてもらいました。

 ピアニストは、オランダ人のホッホランドさんで、初老のたくましい紳士でした。
 奥さまと思われる女性が前の席にいらっしゃいました。

 曲目は8番「悲愴」・15番「田園」・22番、最後になんと{テンペスト(嵐)」です。
 台風(嵐)の来ている日に、「テンペスト」とは、なんて偶然の怖さ。
 
 古楽器の音色の優しさ、柔らかさに感動しました。
 とくに「悲愴」の第2楽章や、{テンペスト」の第3楽章は最高でした。

 録音・録画していたので、CDやDVDで発売してくれるでしょうか。

 ただ、ホッホランドさんの弾いている手指はもちろん見えないし、顔も人の頭と頭のあいだに見えるだけ、生演奏を「見る」楽しみがほとんどないのは、残念です。

 終了が午後5時半なので、夕食を「とろろ定食」を食べて、おいしいコーヒーを遠鉄2階の「モーツアルト」で飲んで、1日を終えました。
 とっても充実した最高の時間でした。
 こういうのは、そうたびたびはないですね。