雨宮日記 8月11日(土)の2 午後は兄の演劇「FUKUSHIMA ~原発のウソと真実~」を見に名古屋へ
午前はボクは仕事後に寝ていましたが、則子さんと父は、父の弟の奥さんKさんの一周忌の法要で、駅南の「林泉寺」へ行きました。父の弟のTさんは、ぼくからすると「淺田のTおじさん」で、小さい頃はTおじさんに佐鳴湖に釣りに連れて行ってもらったり、T家の御岳登山にボクだけ参加させてもらったりしていました。午前11時からで、午後2時過ぎにいとこのKちゃんの車で送ってもらって帰って来ました。
なお「林泉寺」は家の屋号「林泉書房」と同じですが、父の書いた自分史『落葉松』によれば、関係はないようです。
午後3時頃出かけようとしたら「洗濯がもう数分で終わるから待って」と言われて、玄関で本を読みながら待って、「おまたせ」と出かけました。今日は名古屋でアマチュア演劇をしている兄が、10年来ずっと関係してきた「平和演劇の会」の公演で、兄の「作・演出」の「FUKUSIMA」を見る予定です。
家を出るとき則子さんに「今日はくもりで涼しくて良いね」と言ったのが罰当たりでした。
今日は弁天島の花火でしょうか。浴衣姿の若い女性で混雑する東海道線の改札口を横目で見ながら、新幹線の改札口へ。則子さんは「駅前の安いチケットを買ってくる」と行きましたが、手ぶらで帰ってきて「今日はなかった」と、公式チケットを買って、ひかりの自由席に乗りました。
もうじき安城駅かなというときに、列車が減速して、なんと車内アナウンスで「安城駅と名古屋駅間が1時間60ミリの雨で、しばらく安城駅で停止します」と。そして、安城駅のホームにはこだまが停止していたので、ホームとホームの中間に停止しました。
最初「1時間に60ミリの雨」と言っていたのが、発表ごとに「70ミリ」「80ミリ」とどんどん増えていくので、車内には諦めムードも流れました。ついに「100ミリ」まで行きました。
待つこと1時間、やっと「安城駅と名古屋駅の雨が小康状態になったので、ゆっくり出発します」というアナウンスがあって、列車は動き出しました。ところが名古屋駅に着くまで、あまり降っていませんでした。
名古屋駅につくと、ホームは1時間分のあぶれた人・人・人で、列車を降りて階段にたどりつくまで、人をかき分けていきました。夕食をゆっくり食べる時間がなさそうなので、サンドイッチを買って、地下鉄へ急ぎました。
単純明快な浜松駅と違って、名古屋駅は地上戦や地下鉄が入り乱れていて、むかし名古屋に何年もすんでいたボクでも、あれ、どっちだったかなと、少し迷います。
兄からもらったチラシで「名城線・ナゴヤドーム前矢田駅」とあるので、そこに行くためにはまず地下鉄東山線に乗って東へ、栄駅で乗り換えていかないといけません。
十数分後になんとか「名城線・ナゴヤドーム前矢田駅」で降りて、長い長いペンギンの話、じゃない、長い長い通路を歩いて、会場の「名古屋市東文化小劇場」へなんとか到着しました。ちょうど、開場時間の午後6時でした。
ちょうど入り口にいた兄と、無事邂逅。返すスピーカーとおみやげ(なんというマンネリか!うなぎパイでした)を渡して、来年3月の父の90才記念の本の自費出版の財政の話をしました。
会場は、演劇専門の感じの351人定員の小劇場。名古屋は演劇文化が盛んで、兄もその一員なのですが、劇団もいっぱいあるし、小劇場もいっぱいある感じですね。
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肝心の演劇ですが、2時間10分2幕で、ボクや則子さんのような「浜岡原発永久停止裁判原告団事務局」の立場からも、共感できる劇だったと思います。もちろん、何も知らない方にも、よくわかる、ブレヒト的な「教育劇」という面もあったと思います。
劇中劇的に盛り込まれた、① 子どもたちの「カルタ」取り、すごく印象的でした、② 1幕の最後と2幕の最後で歌われる歌が、とてもすてきでした。ぼくたちも裁判報告集会などで歌いたいなと思いました(ちなみに、ボクも則子さんも、元合唱団員ですので)。
主人公の若い「中央電力社員」とその恋人は父が、若い中電社員の上司の課長という設定です。
その若い社員が福島原発事故を受けて、新たな「広報館の展示」に苦労するという話に、課長の次女の高校生や、地元の喫茶店のママ、地元の自治会長、地元に福島から、夫は残して批難してきた一家、など多様な人物像が描かれます。
御用学者の学生時代の旧友で「反原発活動家」の履歴は、東大助手を長くつとめた、安斉育郎さんの履歴でしたね。この役は、弁護士先生が勤めていましたが、さまになっていました。やはり、「法廷は劇場」ですねえ。
家で課長(家長ですね)が次女に言ったことば「真理は不変だ」「変わってない」
次女「お父さん、私は変わったよ」
そして課長の妻「あなたの話は、昔からいつも変わってませんから」
そして長女は、中電社員の彼氏に、原発社員としては無理な「反原発」の要求をしますが…。
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劇の中では、十分に解明されていたとは思えません。次女の言葉も解明されていませんが、「真理は不変」なのに、なぜ「変わる」のか。そこに、原発反対と原発賛成の対立を解明する鍵があるのではないでしょうか。
劇の中では、十分に「劇的」展開無しに、ラストの、今時点での「解決」になってしまって、不消化のように感じました。それは作者の責任ではなくて、今の日本社会自体が、この「矛盾」の方程式を解いて、回答を出すには成熟していないから、という感じがします。
すごく苦しいですね。解決の条件は熟していないのに、解決しなければいけない?
今日、舞台で生きていたみなさんのことを、もっと考えたいと思います。さて、こういう機会を与えてくれた、兄のYさん、ありがとうございました。兄は名古屋で、高校教師をしながら、30年以上、アマチュア演劇をしていますが、ぼくと則子さんが実際に、体験したのは、2回目です。
兄弟でも縁がなければ、無縁ですね。こういう縁を大事にしていきたいと思います。