雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月18日(土) 涼しくなりました。連絡は密にして欲しいです…

2012年08月18日 22時26分03秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月18日(土) 涼しくなりました。連絡は密にして欲しいです…

 まだ昼間は暑いですが、深夜は涼しくなって、半袖では寒いくらいです。

 午後、図書館(浜松市立中央図書館)に行って、9冊を返して、9冊を借りました(うち2冊は連続かり)。

  ☆

 兄から借りたスピーカーの「四角い透明な外箱」を探していたのですが、なんと、1階のテレビの横に、豆子が潜入してケーブルをかじらないように置いてアルのを見付けました。よかったあ。「見つからない」と、お詫びのメールを打つところでした。

 午後5時半頃、則子さんを車で上島6丁目まで送っていったのですが、うっかり車で迎えに行く、細かい打ち合わせをしなくて「午後8時くらいからは飲みたいので」と言っておいたら、勝手に「8時過ぎには智彦くんは飲んでしまう」と解釈して、連絡もくれませんでした。

 午後9時過ぎから数十分、電話しましたがでません。

 けっきょく、主催者のUさんの車で送ってもらって帰ってきましたが、こういうときの連絡はきちんと、密にして欲しいです。午後10頃、帰って来ました。迎えに行かなくていいときは、まったく気にしませんので。

  ☆

 いま午後10時22分ですが、遠くでカミナリがなってやばいので、電源を切ります。


雨宮日記 8月16日(木)の2 日没にまるで原子雲のように輝くオレンジの雲

2012年08月18日 06時27分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月16日(木)の2 日没にまるで原子雲のように輝くオレンジの雲

 夕方に、則子さんと車で西へ、上島小の南で信号待ちで車が止まったときに、日没の太陽の関係でしょうか。西に見えた、オレンジ色の、まるで原子雲のような雲でした。

 ぼくたちの未来は、こういう放射能まみれの未来になるのか。全身が冷えてしまって、あまり直視できませんでした。望遠デジカメで、かろうじて撮った1枚です。

 核戦争なのか、あるいは原子炉の核爆発なのか。

 そういう悲惨な未来が現実化しないように、手を取り合う意思のある仲間たちと、いっしょにいろんなことをしたいと思います。

 


遠州の遺跡・寺社 88 東区上西町の赤宮(じゃぐう)神社、祭神はサルタヒコ命

2012年08月18日 05時51分56秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 88 東区上西町の赤宮(じゃぐう)神社、祭神はサルタヒコ命

 浜松市東区役所去年11月に発行した『東区の文化誌 東方見聞録』にでていましたので、行って見ました。

 第一に、神社名が「赤宮」と書いて「じゃぐう」神社です。普通なら「あかみや」神社と読むでしょうけど、なんで「じゃぐう」でしょうか?もしかして「蛇宮」?

 もっと可能性が高いのは、長野県の考古学者、故・藤森栄一さんが『銅鐸』(学生社)の「七 ミシャグチ神の不思議な宝印」で追求した「ミシャグジ」神との関連です。

 それと南北朝内乱の時代の「長慶天皇」が関連あるそうなので、ますます長野県との関連が確実になってきます。

 長慶天皇の実在性は、別途考察したいと思いますが、そういう伝説を住民が信じていたということのほうが大事では、と思います。

 『東方見聞録』のp110「第32話 長慶天皇にまつわる伝説」によれば、長慶天皇は、負け戦さばかりで(失礼!)、関東から信濃の上郷(現在の長野県下伊那郡上郷村)に移りましたが、北朝軍に攻められて、天竜川を下り、宮口郷に到着、そこから、徒歩で、この赤宮神社に到着して、地元民の「小豆かゆ」の接待を受けたというのです。

 こうなると、現在の浜北区宮口も「宮口=みしゃぐち」の可能性も出てきますね。

 祭神は「猿田彦命」です。つまり、太陽神のアマテラスと高木神の命令で「高天原」から、たぶん九州に「天下った」ニニギを途中でストップした鼻の大きい神さまがいて、それが「猿田彦命」でした。

 手塚治虫さんのマンガでは子孫に「お茶の水博士」がいます。さらに連作コミック「火の鳥」では、鼻のでっかい主人公が主人公たちのひとりになっています。

 ニニギ一行についていた美女の「うずめ」が女性の魅力で懐柔して、夫にして、九州の地元神である猿田彦に道案内をさせました。

 現地に行って、おもしろかったのは、神社の方向が、猿田彦神は神社の中で、南西222度、つまり夏至の日の日没の方向を向いていることです。

 これは「天孫降臨」が、いつの季節に行われたかを考えれば、意味深な方向ですね。つまり、アマテラスの命令で、日本列島を支配しに行くニニギとその従者になった猿田彦の向いている方向は。当然、太陽神の目線の方向、つまり夏至の日だったら、南西を向いているわけです。

 猿田彦命のことも含む、日本列島の太陽信仰とレイラインについても、別途考察します。

 

 


雨宮日記 8月16日(木) 午後は則子さんと父を歯医者へ配車、夜は…

2012年08月17日 06時08分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月16日(木) 午後は則子さんと父を歯医者へ配車、夜は…

 父が近くの歯医者へ行くので、則子さんが「通訳」でついていきます。午後3時に予約なので、2時50分にボクの車で家を出て、曳馬駅の西側のS歯科へいきました。

 父と則子さんを下ろして、久し振りに「つたや」へ行って、辻井伸之さんのCD「チャイコ ピアコン」と、アニメ「マクロス 1」「風の谷のナウシカ」を借りました。

 夜は、Gの会議だと思って、喫茶店へ行ったら、午後7時半に誰もこないので、みんな、どうしたの?!と怒ってY③に電話したら「明日だよ」と言われて、手帳を見たら、確かに明日でした。アイスコーヒーだけ飲んで自宅に戻りました。

 則子さんが「あれ、早いのね?」と言うので「うん・・早く終わったから」とごまかしました。


雨宮日記 8月15日(水) 終戦の日、「戦争を終わらせる」と「原発を終わらせる」

2012年08月16日 06時53分26秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月15日(水) 終戦の日、「戦争を終わらせる」と「原発を終わらせる」

 第2次世界大戦の終わる日、1945年8月15日から数えて「67年目」の「降服の日」でした。

  ☆

 午後3時に、則子さんと車で家を出て、市役所に向かいました。浜松市役所1階ロビーで開かれている「新 原爆と人間」展の片付けです。

 少し早く着いたので、パネルをじっくり見たり、読んだり、全体の雰囲気写真を撮影したり、早めに集まった実行委員と、支援してくださった詩の職員の方お、話をしました。

 いつも、浜松市の担当の職員のみなさんが、まるで主催者のように、いっしょに展示をして、展示を自らの労働で片付けてくださるのには、頭が下がります。ありがとうございます。

 こういうことが、命を守る統一戦線なんですよね。

 片付けをして、きれいになったら、小さな子どもを連れた若いご夫婦が、会場においてあった折り紙で折ってくれた鶴を持って「まだ、いいですか?鶴をおるくらいしかできないので」と言って、鶴2羽を渡してくれました。

  ☆

 夜、午後8時過ぎにテレビを付けたら「終戦特集」で、「なぜ終戦は遅れたのか」という問題意識で、番組を放映していました。則子さんを呼んで一緒に見ましたが、「戦争を終わらせる」のと「原発を終わらせる」のは同じだね、と意見が一致しました。

 まず、戦争を終わらせるのに率直な論議ができなくて、ついに8月15日までずれこんだことで、犠牲が増えたこと。

 そして、戦争をいかに終わらせるか、終わらせたか、客観的な、国民的な論議抜きに「戦後」が始まってしまったことの危うさ。

 そういう論議が戦後されなかったので、原発のはいしのろんぎもできないんですね。


遠州の遺跡・寺社・地名 87 浜松市北区都田町の郷ヶ平3号墳から馬や琴の埴輪出土

2012年08月16日 06時31分25秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 87 浜松市北区都田町の郷ヶ平3号墳から馬や琴の埴輪出土

 楽器博物館で「埋もれた楽器たち ~古代への音浪漫~」で展示されています。ぜひ、直接目でみてください。

 遠州古代史ニュース 2011年9月 浜松市北区都田町「郷ヶ平古墳群」の発掘  でお知らせした「郷ヶ平3号墳」、5世紀後半につくられた全長22mの前方後円墳の発掘の成果です。

 馬型埴輪は、体長が1m、高さが70cm、で、「鈴」をまとっています。主人公が乗った馬が歩くと、鈴がしゃんしゃんと鳴るわけですね。関東を中心にした「鈴文化圏」の一端でしょうか。

 そして「長さ30センチで、全国的に見ても最大級、静岡県内では初出土の琴の埴輪です。解説では、人が琴を弾いている「弾琴’(だんきん)人物埴輪」と推定されています。

 埼玉県で出土した「弾琴人物埴輪」も展示されています。

 まだ、郷ヶ平古墳群には行ってませんが、特別に掲載します。

 

 


雨宮日記 8月14日(火) 楽器博物館へ古墳出土の古代琴を見に行って、アイリッシュハープに遭遇

2012年08月15日 06時21分39秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月14日(火) 楽器博物館へ古墳出土の古代琴を見に行って、アイリッシュハープに遭遇

 楽器博物館で、浜松市北区都田町の「郷ヶ平(ごがひら)古墳群3号墳」から、静岡県内では初の「馬型埴輪の完全復元」と「琴を弾く人物はにわ」が出土したものが展示されています。

 詳しくは遠州の古代コーナーで書きますが、特別展「埋もれた楽器たち ~古代への音浪漫~」は9月1日までですので、浜松や周辺の古代史ファン・マニア・マッドには必見です。

 暑い、暑いと言いながら。ウサギの豆子といっしょに横になってぐたーっと寝そべって、テレビを見ている則子さんを誘って、午後3時頃家を出ました。さすがに暑いです。

 遠鉄電車の終点、新浜松駅で降りて、東へ、楽器博物館まで歩きました。暑くて、アブラゼミもジージー鳴いているので、途中で自動販売機で、120円の冷たいお茶を買いました。

 せみさんも、樹液という水だけで、青春と性春の最後の1週間を生きているわけですから。セミは熱中症にはなりませんから。

 初めて楽器博物館に入ったのですが、感心したことがいくつか。

 ① 古い貴重な楽器が多いので「手を触れないでください」というのがほとんどですが、その楽器の音をヘッドフォンで聴ける装置がいっぱいあって、実際に楽器を演奏できる部屋もありました。

 ② 係員のお姉さんに聴いたら「写真撮影は自由です」というのはうれしいです。

 ③ 初めて入ったのですが、夏休みということもあるのか、一日に何回も、短時間の無料コンサート(払うのは博物館の入場料の1人300円だけ)がありました。ぼくたち2人が聴いたのは、アイリッシュハープの男性ソリストによる演奏です。

 「アイリッシュ」とは、イギリスの西側にある島国「アイルランド」のことで、長いIが、イギリスの真横の植民地として、搾取と重圧の対象となってきました。

 演奏者の寺本さんは、若い男性で、アイリッシュハープの古式の鉄の弦と、現代版の弦、と二つの楽器を演奏してくれました。

 弱い音なので、じっと聞き入らないと聞こえない音でした。なんだか、切ない音でした。


雨宮日記 8月13日(月) 喫茶店で湖西のIさんの絵を見に、深夜は大雨でした

2012年08月14日 06時05分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月13日(月) 喫茶店で湖西のIさんの絵を見に、深夜は大雨でした

 知り合いの湖西のIさんは、定年まで業者団体の専従事務局員をして、定年後に絵を描き始めた方です。そのIさんが、ぼくたちの行きつけの中区上島の喫茶店「シーン」(コーヒーと紅茶がおいしいです)で絵の展示をするというので、見に行きました。

 則子さん「智彦くん、コーヒーが飲みたいんでしょ?」

 ぼく「いえ、今日は絵の鑑賞です。でも喫茶店だから注文しないわけにはいかないので」

 則子さんは、紅茶(種類は忘れました)を、ぼくはコーヒー「パプア・ニューギニア」を飲みました。

 Iさんの絵は、自然を薄い緑や青の色彩で描いていて、ボクはとても好きです。自分の感性と合っている感じです、

  ☆

 夜は、全国的に天気が不安定という予報でしたが、浜松もすごく不安定になりました。ちょうど仕事の始まる午前0時半頃からカミナリが光って、強い雨が振り始め、仕事の前半は、非常に強い雨でした。

 東区や浜北区では、ところどころで道路が川になってしまっていて、車の速度を上げると「池」に突っ込んだ状態になってしまって、速度を上げられませんでした。

 午前3時ごろ、ラジオで「安間川と芳川が水位が上がって避難勧告水位に」というアナウンスがありましたが、その後は、雨が止んだので洪水にはならなかったようです。

 下着までグッショリ濡れてしまったので、家に帰ってから、お風呂場に行って全部着替えました。

 


雨宮日記 8月12日(日) 浜岡裁判西部の会ほか主催の「原発と放射能 大山塾」第1回

2012年08月13日 05時46分06秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月12日(日) 浜岡裁判西部の会ほか主催の「原発と放射能 大山塾」第1回

 今日も暑い夏の1日でした。あたりまえか。11時半頃起きて、シャワーを浴びて、ヒゲを剃って(毎日剃ってます。これもあたりまえか)、出かける準備をして、則子さんが作ってくれたお昼は食べずに(嫌みではありません。昼食というものをほとんど食べたことがありません。寝ている時間ですから)。今日持って行くべき「タイトル」がやってないことを則子さんに言われて、慌ててパソコンの一太郎でA4用紙1枚に3文字入れて、タイトル横幕を打ち出しました。ちょっと小さかったです。12時過ぎに、則子さんを助手席に乗せて車で家を出ました。

 12時半頃に船越町の「アイミティ浜松」に到着。午後1時から開場なので、準備をしました。

 Oさんが「昨日の朝日新聞に紹介記事が載っていた」とコピーを持ってきてくれました。今日は、静岡新聞と中日新聞の記者さんが取材にきました。

 参加者は41人でした。

 ボクはいろいろ学ぶところのある講義でしたが、則子さんは「むずかしかった」というのと「マイクが声を拾わなくて聞き取りにくかった」と言ってました。

 もちろん、ボクだったら、こう話すということはありますが、要は、自分でどれだけ理解しようとするかという自主性ではないでしょうか。

 でも、やはり、専門家ですね。鉄原子が最低エネルギーで、通常の星の中心部の核融合では鉄まではできるけど、それより重い元素はできない。鉄より重い原子ができるのは、星の終わりの「超新星」の時だけ、という話は、すごいですね。つまり、錬金術師の夢を超新星がかなえた、ということですね。

 

 


雨宮日記 8月11日(土)の2 午後は兄の演劇「FUKUSHIMA」を見に名古屋へ

2012年08月12日 00時09分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月11日(土)の2 午後は兄の演劇「FUKUSHIMA ~原発のウソと真実~」を見に名古屋へ

 午前はボクは仕事後に寝ていましたが、則子さんと父は、父の弟の奥さんKさんの一周忌の法要で、駅南の「林泉寺」へ行きました。父の弟のTさんは、ぼくからすると「淺田のTおじさん」で、小さい頃はTおじさんに佐鳴湖に釣りに連れて行ってもらったり、T家の御岳登山にボクだけ参加させてもらったりしていました。午前11時からで、午後2時過ぎにいとこのKちゃんの車で送ってもらって帰って来ました。

 なお「林泉寺」は家の屋号「林泉書房」と同じですが、父の書いた自分史『落葉松』によれば、関係はないようです。

 午後3時頃出かけようとしたら「洗濯がもう数分で終わるから待って」と言われて、玄関で本を読みながら待って、「おまたせ」と出かけました。今日は名古屋でアマチュア演劇をしている兄が、10年来ずっと関係してきた「平和演劇の会」の公演で、兄の「作・演出」の「FUKUSIMA」を見る予定です。

 家を出るとき則子さんに「今日はくもりで涼しくて良いね」と言ったのが罰当たりでした。

 今日は弁天島の花火でしょうか。浴衣姿の若い女性で混雑する東海道線の改札口を横目で見ながら、新幹線の改札口へ。則子さんは「駅前の安いチケットを買ってくる」と行きましたが、手ぶらで帰ってきて「今日はなかった」と、公式チケットを買って、ひかりの自由席に乗りました。

 もうじき安城駅かなというときに、列車が減速して、なんと車内アナウンスで「安城駅と名古屋駅間が1時間60ミリの雨で、しばらく安城駅で停止します」と。そして、安城駅のホームにはこだまが停止していたので、ホームとホームの中間に停止しました。

 最初「1時間に60ミリの雨」と言っていたのが、発表ごとに「70ミリ」「80ミリ」とどんどん増えていくので、車内には諦めムードも流れました。ついに「100ミリ」まで行きました。

 待つこと1時間、やっと「安城駅と名古屋駅の雨が小康状態になったので、ゆっくり出発します」というアナウンスがあって、列車は動き出しました。ところが名古屋駅に着くまで、あまり降っていませんでした。

 名古屋駅につくと、ホームは1時間分のあぶれた人・人・人で、列車を降りて階段にたどりつくまで、人をかき分けていきました。夕食をゆっくり食べる時間がなさそうなので、サンドイッチを買って、地下鉄へ急ぎました。

 単純明快な浜松駅と違って、名古屋駅は地上戦や地下鉄が入り乱れていて、むかし名古屋に何年もすんでいたボクでも、あれ、どっちだったかなと、少し迷います。

 兄からもらったチラシで「名城線・ナゴヤドーム前矢田駅」とあるので、そこに行くためにはまず地下鉄東山線に乗って東へ、栄駅で乗り換えていかないといけません。

 十数分後になんとか「名城線・ナゴヤドーム前矢田駅」で降りて、長い長いペンギンの話、じゃない、長い長い通路を歩いて、会場の「名古屋市東文化小劇場」へなんとか到着しました。ちょうど、開場時間の午後6時でした。

 ちょうど入り口にいた兄と、無事邂逅。返すスピーカーとおみやげ(なんというマンネリか!うなぎパイでした)を渡して、来年3月の父の90才記念の本の自費出版の財政の話をしました。

 会場は、演劇専門の感じの351人定員の小劇場。名古屋は演劇文化が盛んで、兄もその一員なのですが、劇団もいっぱいあるし、小劇場もいっぱいある感じですね。

  ☆

 肝心の演劇ですが、2時間10分2幕で、ボクや則子さんのような「浜岡原発永久停止裁判原告団事務局」の立場からも、共感できる劇だったと思います。もちろん、何も知らない方にも、よくわかる、ブレヒト的な「教育劇」という面もあったと思います。

 劇中劇的に盛り込まれた、① 子どもたちの「カルタ」取り、すごく印象的でした、② 1幕の最後と2幕の最後で歌われる歌が、とてもすてきでした。ぼくたちも裁判報告集会などで歌いたいなと思いました(ちなみに、ボクも則子さんも、元合唱団員ですので)。

 主人公の若い「中央電力社員」とその恋人は父が、若い中電社員の上司の課長という設定です。

 その若い社員が福島原発事故を受けて、新たな「広報館の展示」に苦労するという話に、課長の次女の高校生や、地元の喫茶店のママ、地元の自治会長、地元に福島から、夫は残して批難してきた一家、など多様な人物像が描かれます。

 御用学者の学生時代の旧友で「反原発活動家」の履歴は、東大助手を長くつとめた、安斉育郎さんの履歴でしたね。この役は、弁護士先生が勤めていましたが、さまになっていました。やはり、「法廷は劇場」ですねえ。

 家で課長(家長ですね)が次女に言ったことば「真理は不変だ」「変わってない」 

 次女「お父さん、私は変わったよ」

 そして課長の妻「あなたの話は、昔からいつも変わってませんから」

 そして長女は、中電社員の彼氏に、原発社員としては無理な「反原発」の要求をしますが…。

  ☆

 劇の中では、十分に解明されていたとは思えません。次女の言葉も解明されていませんが、「真理は不変」なのに、なぜ「変わる」のか。そこに、原発反対と原発賛成の対立を解明する鍵があるのではないでしょうか。

 劇の中では、十分に「劇的」展開無しに、ラストの、今時点での「解決」になってしまって、不消化のように感じました。それは作者の責任ではなくて、今の日本社会自体が、この「矛盾」の方程式を解いて、回答を出すには成熟していないから、という感じがします。

 すごく苦しいですね。解決の条件は熟していないのに、解決しなければいけない?

 今日、舞台で生きていたみなさんのことを、もっと考えたいと思います。さて、こういう機会を与えてくれた、兄のYさん、ありがとうございました。兄は名古屋で、高校教師をしながら、30年以上、アマチュア演劇をしていますが、ぼくと則子さんが実際に、体験したのは、2回目です。

 兄弟でも縁がなければ、無縁ですね。こういう縁を大事にしていきたいと思います。

 


雨宮日記 8月11日(土)朝 夜中、ひどい雷雨でした

2012年08月11日 06時23分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月11日(土)朝 夜中、ひどい雷雨でした

 夜中、稲妻がかなり長時間にわたって断続的に光り、雨も時々ひどくなり、仕事で車を運転したボクはびっしょり濡れました。

 ロンドン五輪男子サッカーの3位決定戦が午前3時45分から開始だったので、ラジオを聞きながら仕事をしました。日本対韓国です。

 残念ながら「0-2」で負けましたが、聞いていて敗因は、当初の作戦ミス(つまり韓国が中間をカッとしてバックから前線にロングボールを放り込む戦術に対応できず、得点を許したこと)、中間の作戦変更ができなかったこと(なぜできないんですかね?選手自身は考えないの?~、後半開始からメンバーチェンジをせず、2点目を取られてからと、長身の杉本さんの投入と活用が遅れたこと、くらいでしょうか。

 せっかく杉本さんを投入しても、ボールをパス回しするだけで、杉本さんに集中して放り込まないなら、杉本さん投入に何の意味があるんでしょうか?

 最終盤で決まった吉田さんの渾身のゴールも日本選手のファウルがあり、なしになったのは残念でした。あれが決まっていれば、残り時間で同点に追いついた可能性もありましたね。

 ☆

 帰って来たら玄関に、タオル2枚がおいてあったので感激、「則子さん、ありがとう」とつぶやいて、濡れた髪やカラダを拭きました。

 朝になったら、まだ曇っていますが、天気の不安定性は解消したようです。

 

 


本と映像の森 220 R・カーソン『センス・オブ・ワンダー』新潮社、1996年

2012年08月11日 06時10分22秒 | 本と映像の森

本と映像の森 220 レイチェル・カーソン/著、上遠恵子/訳『センス・オブ・ワンダー』新潮社、1996年(平成8年)7月25日発行~同年12月25日6刷、60ページ、定価1500円(本体1456円+消費税44円)、浜松市立中央図書館蔵書

 つい数日前まで、来年が「沈黙の春50年」と思い込んでいましたが、今年の9月です。数日前、NHKラジオの深夜便で、レイチェル・カーソン日本協会の上遠恵子さんが話していました。

 マイナスを直視した「沈黙の春」と、自然と環境をプラスの感性で感じた「センス・オブ・ワンダー」は同じ紙の表と裏で、2冊で一体の書であると語っていました。

 そうだよね、とボクも思います。

 以下は「センス・オブ・ワンダー」からの引用です。薄くて読みやすい本ですが、たぶん、カーソンさんはもっと語るつもりの途中で亡くなったので、語り残したこともあるだろうと思います。

 「わたしは、子どもにとっても。どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、みしろ子どもが知りたがっている道を切りひらいてやることのほうが、どんなにたいせつであるかわかりません。」(p25~26)

 「子どもたちの世界は、いつも生き生きとしていて新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」「「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」(p23)

 「沈黙の春」は以下で紹介しました、

 本と映像の森 200 レイチェル・カーソンさん著『沈黙の春』新潮文庫、1974年2012年04月30日 05時47分19秒


雨宮日記 8月9日(木) 長崎原爆の日で則子さんは忙しくバイクで飛び回る

2012年08月10日 05時47分35秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月9日(木) 長崎原爆の日で則子さんは忙しくバイクで飛び回る

 今日は67年目の長崎原爆の日です。則子さんは、毎月、広島原爆の日と長崎原爆の日に、浜松駅前でやっている「6日・9日行動」に参加しました。ぼくたちの大先輩の鈴木保(たもつ)さんが1980年代に広島の原水爆禁止世界大会に参加して、そこでよびかけられた行動を、浜松でまじめに実行し始めたことから始まりました。それから40数年、後数年で50年になります。

 ☆

 午後2時からの、浜岡原発裁判西部役員会に遅れないように、則子さんは浜松駅前から直接向かう予定だったので、午後1時20分頃、家を車で出ようとしたら、ちょうど、「おうちコープ」の宅配のトラックが来ちゃったので「すみません、出かけるので、玄関前においといてください」とお願いして家を出ました。

 会場についたら、少し早すぎて、まだ誰も来ていないので、すこし、イチョウの木の下で休みました。地面に、丸い穴がいくつも開いていました。あれ?これなんだろ?と思い、いちばん早く来たOさんに聞いたら「これセミが出てきた穴だよ」というので、納得!

 今鳴いているのは、ほとんどアブラゼミなので、8年間ずっと地中で生きてきたアブラゼミが地上に出てきて、一週間くらいで異性と恋をして子供を作って死んでしまう、生涯なのですね。

 則子さんは、開会ぎりぎりにバイクで飛んできました。

 ☆

 夜、父の本の原稿打ち。210ページになりました。あと少しです。


雨宮日記 8月8日(水) 昨日は「立秋」、つまり夏の頂点の日でした

2012年08月09日 05時59分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月8日(水) 昨日は「立秋」、つまり夏の頂点の日でした

 今日が「立秋」と思っていて、車の中で則子さんに「今日は立秋だねえ」と言ったら「え?昨日でしょ」と言われました。帰ってからネットでしらべたら、今年は8月7日が立秋(りっしゅう)でした。

 立秋は秋になって涼しくなる日ではなくて、この日、どこかで「秋が立って」、今日を境に、暑さが少しづつ減っていく日、つまり今日が夏の最高潮です。

  うちわして 燈(ともし)けしたり けさの秋  (蕪村)

  秋立つや 何に驚く 陰陽師 (蕪村)

   ☆

 今日は、ぼくたち夫婦が敬愛するいわさきちひろさんの命日です。1974年8月8日ですから、ボクたちが知り合った1976年にはすでに亡くなっています。どういう経過で、ぼくたちがちひろさんのファンになったのか、よくわかりません。

 たぶん、保育園の保母さんだった則子さんの影響ではないかと思いますが。

 もう一つは、則子さんが3つ年上だったので、女性が年上夫婦がいないかなと思った時、いわさきちひろさんと松本善明さんのご夫婦、それから宮本百合子さんと宮本顕治さんの夫婦が頭にうかんで、ボクが則子さんと結婚するときの、決断の後押しをしてもらったように思います。

 それと、どっちが先か調べたいと想いますが、ボクが浜松へ帰ってきてから参加した平和運動で、毎年、原水協が「いわさきちひろカレンダー」を扱っていて、毎年、広く個人に売っていました。

 結婚してからは、ちひろさんの絵本や画集を買っていて、家にはかなり並んでいました。別に影響を与えるつもりはなかったのですが長女の名前を「ちひろ」にしたのですが、長女が大きくなって美術系の高校や短大に進むとは思ってもいませんでした。

 なお、次女の方は、ぼくが大好きだった小説の女性主人公からとった名前です。 

 名前が人生に影響を与えるとは思いませんが、自分の本名は好きではないので、やはり子どものネーミングはだいじですね。

 そういうことも含めて、自分たち夫婦史と浜松の市民運動史を平行して書くような「2人で青い地球を ー雨宮夫妻私史ー 」の構想ができました。

 


雨宮日記 8月7日(火) 明日は政治決戦、野田政権に不信任案、可決か否決か

2012年08月08日 05時52分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月7日(火) 明日は政治決戦、野田政権に不信任案、可決か否決か

 今日は「花の日」でしょうか、それとも「鼻の日」でしょうか。

 明日は「88」ですから、日本語的には「母の日」でしょうけど、文化史的には、画家いわさきちひろさんの没日です。

 政治的には、明日8日は、ついに野田政権に、野党7党からの不信任案が提出されます。

 以下、ぼくの考えを述べます。これに動揺したのが自民党です。なぜかというと、民主党野田政権への不信任案ですが、消費税など一体改悪法案の「民主・自民・公明」の3党合意に対する不信任なので、この7党の野田不信任に反対すると、民自公の3党大連立が鮮明になってしまって、とても差し迫る衆議院選挙で戦えません。

 というのは大阪市長の橋下さん率いる「維新」が乱入してきそうなので、そのときに民主党と同等の3党ぐるみで批判されることになっては、民主党の罪まで自民党がかぶることになるからです。

 かと言ってこれに反対すると、3党合意が崩壊してしまう。そこで、自民党は「独自の不信任案」を提出するようです。

 この中小野党7党の合意ができたことは、すごい意味のある、歴史的事態だと思いますが、新聞・マスコミは、民主・自民・公明のドタバタ劇のついでにしか報道しません。おろかな腐ったマスコミです。

 いまだに「原発推進マスコミ」「日本の旧石器の最古競争マスコミ」「安保体制容認マスコミ」をケイゾクしているので、いまだに、独自の見方、記者自身の考え方はできないのでしょうね。

 民主党から15人の造反がでれば、内閣不信任案が可決され、その場合、野田さんは「内閣総辞職」か「衆議院解散」かのどちらかを選ぶことができます。いずれにしても地獄の道です。

 ぼくは内閣不信任案の可決を希望します。民主党の造反しそうな衆院議員に造反激励の電報でも打とうかな。

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 則子さんは、3日間の広島への遠征がさすがに疲れたのか、暑い中、可能な限りカラダを横にして休んでいます。お疲れさま、ゆっくり休んでください。

 夜は、浜松市原水協の理事会に則子さん(が代表権のある事務局長)と参加しました。ボクは則子さんの手下の事務局員です。行きと会襟の車の中で(忙しい二人には、貴重なデートの時間です)、則子さんが「広島に会議無しで行きたいな」と言うので「秋に二人で行く?」と提案しました。

 ボク(60才)も則子さん(63才)も健康で、父(89才)もある程度健康で、ぼくたち2人が2日間いなくても父の面倒を娘(次女)のIさんがみてくれるという状況は、なかなかないからです。

 原水協事務局長としての則子さんの手元に、というか、わが家においてある「折り鶴」も、なんとかしないといけないので。

 結婚して33年目かな?、考えてみれば、結婚してから2人だけで遠くへ旅行したのは、あれ、あったかな?毎日に近く、2人セットで行動して、毎日2人で緊密に生きているのに、泊りでの2人の旅行はほとんどありませんでしたね。

 去年、奈良県にいる則子さんの弟宅で泊らせてもらった「奈良~飛鳥、古墳と寺院の旅」が、結婚して初めてでしょうか。去年は名古屋の兄の演劇を、これも初めて2人で見に行きました。

 結婚できた経過から言っても、やはり平和は、ボクと則子さんの原点です。その原点をさぐる旅、2人で行きたいなと思います。