雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月18日(火) 総選挙で延期した浜岡裁判西部の会事務局

2012年12月19日 05時53分24秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月18日(火) 総選挙で延期した浜岡裁判西部の会事務局会議でした

 昨日は(日記がかけなかったので今日書きます)、午前中、則子さんはおじいちゃん(ぼくの実父)の病院のつきそいででかけました。午前中いっぱいかかりました。

 昨日の午後は、ぼくと則子さんは会議ででかけ、夜はぼくだけ浜松学習協の会議で出掛けました。

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 今日は、午後、則子さんと2人で、中央1丁目へ、浜岡原発裁判静岡県西部の会の事務局会議に電車で行きました。総選挙の結果が、原発裁判にどう影響するか、来年年明けからの運動をどうするか、いろいろ話をしました。

 終わったあと、則子さんとぼくは会場の向かいの喫茶店で、コーヒーを飲みました。則子さんは、このあと、自由律俳句の「忘年会」で、すこし時間があるのです。

 はなしをたっぷりしていると、来年の年賀状「初春新報」のコンセプトが、なんとなく浮かんできました。則子さんの俳句と、「つわぶきの花」の写真を入れる。

 それから、ぼくは、イヤフォンで、ラフマニノフさんのピアノ協奏曲第2番(辻井伸之さん)を聞きながら家へ帰りました。則子さんは自由律俳句の忘年会へ。

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 長女から電話があり、長女の友達におねがいした年賀状(150枚)が届いたので、明日夜、届けにくる、何時頃がいい?というので、水曜夜は、定例でボランテイアの作業があって、ボクと則子さんが返って来るのは、たぶん、午後8時半過ぎと答えておきました。

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 写真は、夕暮れのアクトタワーです。

 

 


日本古代史の本 田中琢・佐原真『考古学の散歩道』岩波新書、1993年

2012年12月19日 05時34分16秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

日本古代史の本 田中琢さん・佐原真さん著『考古学の散歩道』岩波新書、1993年

 法隆寺問題から逸れますが、むかし(19年前)に読んだ本が出てきたので、紹介します。

 考古学者の田中琢(たなかみがく)さんと、佐原真(さはらまことさん)が交互に雑誌『ルック・ジャパン』と雑誌『図書』に執筆した考古学評論を一冊にまとめたもので、考古学ファンの市民としては、非常に読みやすいです。

 目次を紹介します。

 紀元前後のボートピープル、象牙とハンコ、キモノと装身具、縄文人のイヤリング、「わたしの茶碗」「わたしの箸」、世界最古のカードシステム、大工道具からみた日本人、縄文の森の復活、大昔の歯の語るもの、米について何がわかったか、花を飾る文化、道具の進歩と豊かさと、地震を発掘する、日本のポンペイ、国際化とはー考古学の場合、戦争はいつ始まったか、周辺からの視点、考古学の戦争、文化財保護の思想

 


雨宮日記 12月16日(日) 総選挙で「歴史の針」は右に大きく振れました

2012年12月17日 05時17分15秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月16日(日) 総選挙で「歴史の針」は右に大きく振れました

 第46回総選挙は自民が圧勝、自公で2/3を越えました。民主は歴史的な大敗、比例区では日本維新が第2党に、と、歴史的な「右翼化」だと思います。

 自民と維新で、議席のかなりを占めるので、「憲法改正」が現実になるように思います。国民・主権者は「改憲」という「意図」はないように思いますが、結果としてそうなったわけです。

 これは「ファシズム」への道の第1歩なのでしょうか?

 国民は「民主党はだめだ」という善意で「自民」「維新」へ投票したと思いますが「善意の敷石を歩いて行くと地獄に落ちます」よね。

 こういう結果を導いた国内的な要因はいろいろあると思いますが、国際的な要因は、中国政権の「尖閣列島は中国領土」という発言と、「領海・領空侵犯の行動、そして北朝鮮政権の軍事主義的な弾道ミサイル発射です。

 皮肉な話ですが、中国政府や北朝鮮政府は、自らの軍事的行動で、日本政府の「右傾化」「国防軍や核兵器保有の研究」など軍事的対応を主張する自民・維新の躍進をもたらしたのだと思います。

 中国や北朝鮮が、日本の総選挙結果をどう報道するか、見ものですね。たぶん、自分の行動だけは棚にあげて、非難報道するような気がします。

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 国内的な最大の要因は、ほとんど報道されないけど、日本経団連など日本を支配する大企業の意図・意志だと思います。

 国民の多数の意志は、「原発反対」なのに。結果的に議会では「原発賛成」の政党が絶対多数を占めるという食い違い、これは、どうしたことでしょうか?

 やはり、巨大企業の見えない深い作戦があったように思います。 

 残念ながら、今回の総選挙では、共産党の「赤旗」でも大企業批判、企業ぐるみ選挙批判が、ほとんど見られませんでした。(雨宮は、毎日、「赤旗」「中日」「静岡」を隅から隅まで読んでおります)

 企業・職場、あるいは地域という、支配の拠点で何が起きているか、「赤旗」でもあまり報道されないように思います。そこに大きな盲点があったのではないでしょうか?

 もっといろいろ考えます。それぞれ一人ひとりが、自分の頭で考える、そこにこそ、ほんとうの未来があると思います。

 組織に自分の思考をゆだねてはなりません。「方針をしゃべる」ならいいのですが「方針がしゃべっている」人には、未来はありません。

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 日本の「戦後史」というか「戦後体制」「日本国憲法体制」をどうするか、今年2012年は、1945年から「67年」、明治維新体制が崩壊した年月、ソ連が崩壊した年月に近くなっています。

 いろいろな要因で、どう崩壊するか、どっちの方向に崩壊するか、事前に決定されているわけではないと思いますが、偶然の要因で、右側に崩壊していくのは、日本国民にとって、とても不幸です。

 これをくい止めるために、ぼくも最大限のことをしたいと思いますが、「ぜったいくい止められる」と思ってしまうと、主観主義的な間違いになるのですよね。

 客観と主観のバランスをどうとるか、もっと考えます。

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 写真は、雨宮家の今日の夕食です。

 


雨宮ブログお知らせ 雨宮ブログは毎週日曜日は「休刊」とします

2012年12月17日 05時08分25秒 | 雨宮日誌

雨宮ブログお知らせ 雨宮ブログは毎週日曜日は「休刊」とします

 みなさま、「雨宮ブログ」を見にきていただいて、ありがとうございます。雨宮は、深夜勤務で、だいたいは仕事から帰ってきた早朝に、日に1回、メールを見て、雨宮ブログを書いてから寝ます。

 土曜日深夜はお休みなので、朝は寝ています。これまでも日曜日はほとんど書いていないのですが、正式に、今、「雨宮ブログは通常は日曜休み」と決定しました。

 何か大事件が起きたり、気が向いたときは日曜でも書きますが、通常はお休みと思って下さい。よろしくおねがいします。

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 掲載した写真は、最近、ときどき焦点が合わなくなったマクロ用のデジカメでとった夜中の外灯の写真です。


雨宮日記 12月14日(金) 「(仮題)雨宮ノート」の執筆を始めます

2012年12月15日 05時54分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月14日(金) 「(仮題)雨宮ノート」の執筆を始めます

 この「雨宮ブログ」には、微妙すぎて書けない、いろんなこと、ぼくと則子さんの会話など、記録して次の世界に伝えていきたいという思いで、「(仮題)雨宮夫ート」の執筆を始めます。

 則子さんの言う「自由な智彦くん」の思想と、「自由な則子さんの行動」を、現在と過去にさかのぼって考えていくノートです。

 則子さんに、「ぼくが死ぬ前か、死んだ後に、そのまま出版してね」と遺言してあrます。

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 則子さんは、朝からお昼まで、選挙ボランテイアで、選挙カーのアナウンサーで乗りました。午後は、2時から裁判所(静岡地裁浜松支部)で、浜松基地自衛官人権裁判のときに、いっしょに事務局をしたOさんの解雇撤回裁判を、初めて傍聴に行きました。 

 12月8日の太平洋戦争開戦日の、浜松駅前での浜松母親連絡会の「赤紙配り」に参加したときに、ちょうどOさんが通りかかって、則子さんに、「よかったら傍聴に来て」と話してくれたそうです。

 今まで、あまり、知らなかった「ユニオン」の皆さんのたたかいにも、目的が一致すれば、思想信条を越えて、協力したいね、と、則子さんと一致しました。

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 今年も浜松市原水協で「いわさきちひろカレンダー」を普及しています。欲しい方は、メールください。1本1270円です。

 写真は、いわさきちひろさんの文庫本です。

 


日本古代史の本 谷沢永一『聖徳太子はいなかった』新潮新書、2004年

2012年12月15日 05時16分04秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

日本古代史の本 谷沢永一『聖徳太子はいなかった』新潮新書、新潮社、2004年発行

 『サライ』の特集に水を差すようで、申し訳ないですが、聖徳太子という人は実在しません。宣伝・イメージの中に「存在することに」された人で、実在したのはウマヤド皇子です。

 「そんな馬鹿な!」と怒った人は、文句はこの谷沢(たにざわ)永一さんに言ってください。

 ぼくは、谷沢さんが、ほぼ真実を述べていると思います。

 つまり、なぜ日本国政府関係者(藤原不比等などです)が『日本書紀』で「聖徳太子」を必要としたか、なぜ法隆寺関係者が「聖徳太子」を必要としたか。

 内容の紹介にはなっていませんね。図書館で借りるか、自分で買うか、手に取って読む価値のある本です。

 『サライ』特集p30に、十七条憲法のことが褒められています。しかし、谷沢さんによれば、「十七条憲法」は『日本書紀』に「作られた」とあるが、施行されたとは書いてない。『日本書紀』以外に「十七条憲法」が効力を発揮した話は、ないようです。つまり、『日本書紀』の中でのみ有効な、聖徳太子を存在することにしたいための宣伝文書ではないでしょうか。

 720年に『日本書紀』に「十七条憲法」が述べられていたというのは、今のところ、事実ですが、その100年前に、実際に「十七条憲法」が実在したという事実は、まったく証明されていません。

 さらに、「日出る国の天子…」という、『日本書紀』には出てこない、隋の天子に日本列島の正式政府から送付された外交文書が『隋書』には掲載されています。

 これが聖徳太子の「外交」だとされているのですが、聖徳太子は「天子」ではありません。単なる「皇子」であって、七世紀初頭には「皇太子」制度さえ、ありませんでした。もし、「日出る国の天子…」文書がヤマト国家から送られたのであれば、送ったのは推古天皇でなければなりません。

 こういう齟齬を、谷沢さんは追求しています。ぜひお読みください。

 


雨宮日記 12月13日(木)の2 則子さんのおいしい料理、ハンブルグ

2012年12月14日 06時12分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月13日(木)の2 則子さんのおいしい料理、ハンブルグ

 忙しい則子さんが作っておいてくれた料理を温めて食べることがおおいです。

 これは則子さんの手料理「ハンブルグ」です。

 え?「ハンバーグ」でしょ?と思ったあなたへ。物も金も充分にあるアメリカ人と違って、ドイツ人は、お肉の切れ端を野菜と混ぜて、油で揚げた料理が、北ドイツの都市「ハンブルグ」の英語読み「ハンバーグ」なんですね。

 ぼくは野菜よりお肉が好きなので、則子さんに三〇数年間。「野菜を食べないとだめよ」と言われ続けました。

 でも、やはり、何万年(何十万年?)にわたる遺伝的体質のせいでしょうか。野菜は、あんまり食べたくないけど、お肉は、どんな多くても食べちゃいたいですね。

 


雨宮日記 12月13日(木) 北朝鮮ミサイル・中国領空侵犯・日本政治が連動

2012年12月14日 05時48分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月13日(木) 北朝鮮ミサイル・中国領空侵犯・日本政治が連動

 北朝鮮・金政権の長距離弾道ミサイルの発射成功、中国・習金平政権のプロペラ飛行機の尖閣列島上空の領空侵犯、日本総選挙での「国防軍」発言の自民党安倍総裁の勝利予測。

 3つの現象が、今後の東アジア政治・軍事情勢の歴史的な激動を告げているように思います。

 つまり、西欧では、2回の世界大戦の経験から、二度と戦争をしたくないという思いから「EC ヨーロッパ共同体」構想が生まれたのですが、東アジアでは、一回戦争をしただけで、反省がまだ不十分なのでしょうね。

 残念ながら東アジアでは、もういちど戦乱を経ないと、みんな反省しないようです。

 こんな予測が現実化しないことを祈りますが、核兵器の使用や、原発への軍事攻撃も含む、「第2次東アジア戦争」の可能性が現実化しているように思います。

 どうしたら、いいか、いろいろ考えます。、


日本古代史の本 雑誌『サライ 2013年1月号』「法隆寺」特集

2012年12月14日 05時12分41秒 | 雨宮日誌

日本古代史の本 雑誌『サライ 2013年1月号』「法隆寺」特集

 今朝、いきつけのローソンで見たので、衝動買いしましたが、なかなかよさそうです。

 A4判のカラー誌面で、26ページから71ページまで、45ページの総特集「法隆寺 サライはこう歩く」です。

 法隆寺の主な建物や、主な仏像や図画など、詳しい地図とともに掲載されていて、法隆寺の全体像がよくわかります。お勧めです。まだ、本屋さんにあると思います。

 最近は、雑誌で、こういう役に立つ「総特集」が多くなりました。

 ただし、法隆寺が「世界最古の建築」であることは事実ですが、聖徳「太子信仰」と、ウマヤド皇子の事実とは区別しないと、歴史学にはなりません。

 30pに「法隆寺を創建された聖徳太子は、604年(推古12)に日本という国の方針を示す『17条憲法』を制定し」と書いてありますが、『日本書紀』によれば当時の「天皇(たぶん、当時は「大王」)」は「推古天皇」で、当時は、まだ「皇太子」制度もありません。

 つまり「ウマヤド皇子(後世には「聖徳太子」と呼ばれた)が、推古天皇を差し置いて「17条憲法」を制定したというのは、現代でいえば「日本国首相」を無視して、「日本国憲法」の上では何の権限もない「野田首相の息子」が「新しい憲法」を制定したというような話です。

 むりです。

 「無理が通れば道理は引っ込む」ですので、法隆寺とウマヤド皇子についての「無理」と「道理」の本は、事実に基づく理性を保つために、いくつか紹介したいと思います。

 過去に法隆寺関係では、「玉虫厨子」についてだけ、以下に書きましたの、参照してください。

 当時の朝鮮半島で高句麗、新羅、百済の3国が抗争を続けていて、ウマヤド皇子は、どちらかというと、西の百済系ではなく、東の新羅系につながる皇子の可能性があります。

 本と映像の森 157 映画「海峡をつなぐ光」をまだ見ていませんが 2011年07月15日

 残念ながら、お休みも、お金もなくて、まだ法隆寺に行ったことがありません。

 「なぜ、見たことも、いったこともない場所について、発言できるのですか?」と聞いたあなたへ、お答えします。歴史学は、歴史学者が、実際に見たことも、体験したこともない時代について、考え、再構成した学問です。いま生きている人は、過去に生きていません。

 そこに生きている、ということと、そこの真実がわかる、というのは別なんだと、思います。


雨宮日記 12月12日(水) 夜、銀河鉄道を見ました

2012年12月13日 05時32分45秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月12日(水) 夜、銀河鉄道を見ました

 次女が「遠鉄が高架になって、家で電車の音が聞こえなくなったよ。あの、もの悲しい音、好きだったんだよね」と言っていました。

 たしかに、11月末に、遠鉄電車が高架になってから、あの夜汽車の、切ない、ゴトンゴトンという音が聞こえなくなりました。

 昨夜、仕事にでかけるため、家を出て、三浦橋にさしかかったら、視野に向こう岸の家の上に、夜空を走っていく「銀河鉄道」が見えました。

 遠鉄さんも「銀河鉄道」といわれても「私は鉄郎ですか?」と困ると思いますが、ぼくの見たイメージとしては、宮沢賢治さんの描いた「銀河鉄道」でした。

 ジョバンニとカンバネルラのように、「銀河鉄道」の坐席に、ぼくと則子さんが、座っています。

 「則子さん、みんなのさいわいのために、どこまでも、どこまでも、一緒に行こうね」

 「智彦くん、いいけど、この電車、新浜松駅か西鹿島駅止まりなんだけど」


遠州の遺跡・寺社・地名 103 浜松市中区中島2丁目の諏訪神社

2012年12月11日 05時04分16秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 103 浜松市中区中島2丁目の諏訪神社

 「諏訪神社」は、もちろん長野県諏訪地方の「諏訪大社」が本家本元です。浜松市内にも、静岡圏神社庁のホームページによれば、なんと29の「諏訪神社」があります。やはり長野県が基点なので天竜区にも多く諏訪神社があるのは納得です。

 要するに「天竜川を下ってきた神さま」ですね。

 今日紹介する、中区中島2丁目の諏訪神社は、浜松市では最大の「諏訪神社」ではないかと思います。

 うっそうと茂った森は「浜松市保存樹林第2号」になっています。

 この諏訪神社は南面していますが、浜松のほかの「諏訪神社」では東面している例もあります。「五社神社=諏訪神社」は太陽を拝む「東面」です。

 神社入り口の左側に「諏訪神社由緒」という石碑があって、「祭神 武御名方命」と書いてあります。(2012年12月10日調査)。読みは「たけみなかたみこと」です。

 『古事記』では「国譲り」の時に、大國主の次男として、「天孫」軍の「武雷(たけみかずち)の神」との力比べに負けて、信濃まで逃げた神とされています。

 『先代旧事本紀』の「地祇本紀」で、この武御名方命は、父が大國主で、母は「高志(こし)の沼河姫(ぬなかわひめ)」とされています。

 「遠州地方における諏訪神社」については、これから探訪して調べて行きたいと思います。


雨宮日記 12月9日(日) 全国的に大吹雪でしたが総選挙は燃えて

2012年12月10日 05時22分25秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月9日(日) 全国的に大吹雪でしたが総選挙は燃えて

 温暖化による異常気象で、なぜか冬は寒さと雪が強まるようです。日本列島は全国的に日本海側は吹雪で、一部では停電しています。

 日本の天気は猛吹雪で冷え冷えとしていますが、日本の政治は総選挙が過熱して「燃えて」います。

 「政治なんか燃えて、燃え尽きちゃえばいい」と、「投票には行かない」という人もいるかと思いますが、「あなたが政治を見放せば、政治は自由勝手に暴走します」。

 石原慎太郎さんのような「暴走老人」や、橋下さんのような「暴走中年」、安倍さんのような「国防軍人」、野田さんのような「原発ゼロうそ人間」をストップするのは、一つは投票です。もう一つは直接行動です。

 選挙の投票でしか「政治」を選択できないというのはウソです。でも、選挙もだいじなチャンスだと思います。

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 則子さんは、選挙のボランテイアで、一銭ももらわずに、毎日、動き回っています。ぼくも少し、動いています。「どこの政党で」というのは、このブログでは、大きな問題ではないので、「どこの政党を選ぶか」は、別のブログで書きます。

 だいじなのは、政党に「おまかせ」ではなくて、自分たちの行動で「政治」や「政党」を変えていくということです。

 「市民が政治を統制する」「国民が政治をコントロールする」というのが、ぼくの基本概念です。

 

 


雨宮日記 12月8日(土) 今日は「八日吹き」で太平洋戦争開戦日

2012年12月09日 00時24分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月8日(土) 今日は「八日吹き」で太平洋戦争開戦日

 歴史科学的歳時記として重宝している加藤文三さん著『民謡歳時記 下巻』(青木書店、1980年発行、今は絶版のようです。古書店で探してください)には「この日は「八日吹き」といって吹雪がかならず吹くという。しかも吹雪をついて、一目小僧や鬼などの妖怪が来るという。そこでこの日は仕事を休み、妖怪を防ぐため目籠(めかご)をサオの先につるす。一目小僧は雪小僧ともいわれ、足が悪いのでその足あとをかくすために雪が降るのだ、ともいう。」(「48 降る雪」、p567=588)とあります。

 今日は浜松も異常に寒くて、風が強かったです。

 則子さんは、お昼12時から、毎年12月8日の今日、浜松母親連絡会で「太平洋戦争開戦」の今日を思い起こし、二度とあのような無謀な戦争を起こさない決意で、当時の召集令状「赤紙」を浜松駅前で配る行動に参加しました。

 「寒かったあ。あんまり冷え込むので、一時間やる予定を、参加者で相談して短縮して45分で終了にしたの」と言ってました。

 則子さんが帰って来た頃、ちょうど玄関のチャイムが鳴って、親戚の「Yさん」が自分で畑で作っている野菜を、届けてくれました。いつも、ありがとうございます。

 その後、則子さんは選挙活動で支持者への電話かけ、日曜版の配達に。

 夜は、午後9時から、ザザのトーホーシネマで映画「のぼうの城」を、ぼくと次女と則子さんの3人で見に行きました。

 則子さんは「××で疲れているし…」と渋っていたのを「気分転換にいいし」「戦略戦術を考えるには、とてもいい映画」と褒めちぎって、なんとか8時過ぎに3人で家を出ました。

 ときどき次女とくるザザのトーホーシネマは、なぜか今夜は若者が多い!なぜ!と思っていたら、「エヴァンゲリオン」でした。「エヴァ」が始まったら、ほとんど入場しちゃって、「のぼうの城」は10数人の観客でした。

 「のぼうの城」は「でくのぼうの城」の略で、戦国時代の関東で、秀吉の北条攻めの時に、その支城「忍城(おしじょう)」の城主、領民からは「のぼうさま」と呼ばれた、たよりない城主・成田長近とその部下の防衛戦を描いた小説の映画化です。

 3人とも、映画が終わって「よかったあ」で一致しました。

 「のぼうさま」の基本「民・百姓のため」という理念に共感します。そして「闘い」とは、領民の共感を得ることが基本だということです。

 「のぼうさま」は百姓の行事「田楽」などが好きで、武士からは戦闘と関係ない民衆行事に興味のあるしょうもない殿様と、見られています。

 いろんな齟齬が、抵抗戦のなかで解消し、協力共同が前進していくプロセスを描いた映画だと思います。

 

 


雨宮日記 12月7日(金) 「大雪」で北日本は吹雪…

2012年12月08日 05時54分56秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月7日(金) 「大雪」で北日本は吹雪…

 二四節気の「大雪」です。「おおゆき」と読まないで、「だいせつ」と読んでください。

 則子さんは、総選挙でかなり煮詰まってます。まるで、噴火寸前の火山みたいなもので、うっかり触れると爆発しそうなので、ひやひやしながら、則子さんを冷やすのが、ぼくの「仕事」です。

 あれ?違うかな?本来、則子さんを「熱くする」のが、秘書・参謀としてのぼくの仕事ですよね。

 則子さん「冷やすのも、熱くするのも、智彦くんの仕事じゃないでしょ!冷やすか、熱くするか、正確に測定して、私に提案するのが智彦くんの仕事でしょ?」

 ぼく「はい、ごめんなさい。提案します」

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 寒いから、パソコンは終わりにして、則子さんのお布団に潜り込んでもいいかなあ。いつも「眠れない」って怒られるんですよね。


雨宮日記 12月6日(木) 世界的な寒波で寒いです

2012年12月07日 06時03分06秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 12月6日(木) 世界的な寒波で寒いです

 北京付近の大寒波で日本人ツアー遭難とか、モスクワでは雪に埋もれた道路とか、北海道で寒波大停電とか、すごいです。

 どうして「温暖化」なのに「寒波」なのでしょうか。気候激変ということでしょうか。

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 則子さんはお昼、浜松市原水協の6日「広島の日」行動で、浜松駅前に行く予定でしたが、主催者が風邪を引いてしまって、どうしようかとなって、結局、今日は中止となりました。

 午後、起きて、1階の玄関脇の居間にいったら、則子さんが「お酒臭い」というので、お風呂を沸かして入り、馬込川の堤防に散歩に行って、酔いを覚ましました。

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 夜は、則子さんといっしょに「基地のない平和な浜松をつくる会」の幹事会に参加。来年の構想を考えました。