▽日蓮宗・感応寺(本堂では、ときおりコンサートが開かれているようだ。)
◆「寺町二丁目」は、新通りとの交差点から通り沿いに東へ1丁の町でした。
ここには、日蓮宗・感応寺が残っています。
10月13日は日蓮上人の命日ということで、
今でも東京の池上・本門寺などでは
飾万灯(かざりまんどう)を威勢よく振りかざす“お会式”が行われるということですが、
ここ感応寺でも同様の行事が行われ、
戦前は日蓮宗の信徒だけでなく多くの人が集まって賑やかだったそうです。
東京では格調高く「お会式」と言うのに対し、
静岡ではややひなびたた感じで「お命講」といい、
子どもたちは飾りのミニ万灯(かんざらし)を振りかざして
「お~めいこうのかんざらし~、そういったらすっこんだ」とか言ってぞろりぞろり歩きまわったとか・・・・
(参考:渡辺茂男著「寺町三丁目十一番地」福音館書店)
▽家康の100カ日の際、お万の方(家康側室)により放生会が行われた池
・放生会(ほうじょうえ)=捕らえた魚や鳥などを解き放つ仏教行事
・区画整理で境内地が半分に減らされたため元の池は失われ、現在あるものは縮小再現されたもの
◆「寺町二丁目」は、現在の駒形通一丁目5番、新通一丁目1番、梅屋町、駿河町の各一部
で東西の通り沿い約1丁の町でした。(町名変更は1945年)
寺町一丁目へ
寺町三丁目へ
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
◆「寺町二丁目」は、新通りとの交差点から通り沿いに東へ1丁の町でした。
ここには、日蓮宗・感応寺が残っています。
10月13日は日蓮上人の命日ということで、
今でも東京の池上・本門寺などでは
飾万灯(かざりまんどう)を威勢よく振りかざす“お会式”が行われるということですが、
ここ感応寺でも同様の行事が行われ、
戦前は日蓮宗の信徒だけでなく多くの人が集まって賑やかだったそうです。
東京では格調高く「お会式」と言うのに対し、
静岡ではややひなびたた感じで「お命講」といい、
子どもたちは飾りのミニ万灯(かんざらし)を振りかざして
「お~めいこうのかんざらし~、そういったらすっこんだ」とか言ってぞろりぞろり歩きまわったとか・・・・
(参考:渡辺茂男著「寺町三丁目十一番地」福音館書店)
▽家康の100カ日の際、お万の方(家康側室)により放生会が行われた池
・放生会(ほうじょうえ)=捕らえた魚や鳥などを解き放つ仏教行事
・区画整理で境内地が半分に減らされたため元の池は失われ、現在あるものは縮小再現されたもの
◆「寺町二丁目」は、現在の駒形通一丁目5番、新通一丁目1番、梅屋町、駿河町の各一部
で東西の通り沿い約1丁の町でした。(町名変更は1945年)
寺町一丁目へ
寺町三丁目へ
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。