駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

下石町一丁目(しもごくちょう いっちょうめ)

2008年08月04日 06時42分48秒 | 駿府96か町のいま
▽呉服町ふしみ屋西横から南へ伸びる「旧下石町通り(現青葉通り)」、一番手前の一丁は、町名のないいわゆる横丁だが「中之店(なかんたな)」と呼ばれていて静岡大火前までは魚屋などが集中していたらしい。その先の一丁ごとに「下石町一丁目」「下石町二丁目」「下石町三丁目」と三つの町が寺町通りまで続く(安倍川方向を望む)


▽毎日江崎ビル


▽青葉通りで8月3日まで開かれていたストリート・ジャズ
 

旧【下石町一丁目(しもごくちょう いっちょうめ)】は、現在の青葉通りの両替町通りとの交差点から南へ二筋目までの両側、南北1丁(1丁≒109m)の町でした。
(一丁の真ん中を横切る小路<江崎ビル横>は、静岡大火<1940.1.15>後の区画整理でもうけられたもの)

上石町(かみごくちょう)があって、なぜ下石町がないのか不思議に思っていた方もいたかもしれませんが、現在の青葉通り沿いの町が下石町なのです。

下石町通りは、それまでの3間程度の幅の道が静岡大火後に防火路として36mに拡幅されたため、町のかなりの面積が道路となってしまいました。
下石町一丁目の残った部分は、北側は両替町二丁目、南側は通りの西側が七間町、東側が常磐町一丁目に再編され(1945.9)、下石町一丁目は消滅してしまいました。

青葉通りという名称は必ずしも悪いとも思いませんが、「下石町」という由緒ある町名を通りの名称として活かさずに打ち捨てて、わざわざとってつけたような名を通り名とする必要があったのでしょうか。
単に「しも」というのがマイナスイメージとして嫌われたのでしょうか。

なお、下石町の名の由来は、江戸の本石町と同じで、米・穀物商などが多く居住していたことによるものです。

下石町一丁目を現在の町名でいうと
七間町の一部、常磐町一丁目の一部
(町名変更は1945年)


方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって両替町通りは東西、下石町通り(青葉通り)は南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

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