▽青葉通り・旧下石町二丁目にあたる部分には
ふらんすのベルナール・ジトン作の「ZEN」というオブジェ(噴水彫刻)が設置されて
朝8時から夜10時(冬季は9時)まで、一日中ゴロンゴロンとパフォーマンスをしています。
◆旧【下石町二丁目(しもごくちょう にちょうめ)】は
現在の青葉通りの明治安田生命ビルのある交差点から昭和通りまでの間の両側
南北1丁(1丁≒109m)の町でした。
(一丁の真ん中を横切る小路<杉山翠雲堂ビル横>は、静岡大火<1940.1.15>後の区画整理でもうけられたもの)
当然のことながら、一丁目同様かなりの面積が道路になってしまっていて
通り沿いの西側が七間町、東側が常磐町一丁目に再編され(1945.9)、下石町二丁目は消滅してしまいました。
昔、NHKの女性手帳などを担当していた、所作や言葉遣いが上品な感じの原アナウンサーはこの町の生まれとか・・・・
なお、南端に接する東西の通りの昭和通り(国道362号)は
昭和初めに3~4間の幅員が12間(約22m)に拡幅されたもので
建設された当時は静岡で最も広い道路だったようで「12間道路」という言い方もされていました。
昭和通りは、都市計画上25mに拡幅予定があるため建築の制限がされているらしく
現在この通り沿いの建物は道路に接した部分はすべて2階建以下になっており
(1.5mほど後方部分から3階以上になっている。)
高いビルなどはあらかじめ後退して建設されています。
(都市計画決定から半世紀以上も放置したまま、住民に制約を課しているのは、ちとひどすぎるような気もします。)
◆下石町二丁目を現在の町名でいうと「七間町の一部」「常磐町一丁目の一部」
(町名変更は1945年)
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているのでJR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが
ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって、両替町通りは東西、下石町通り(青葉通り)は南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
ふらんすのベルナール・ジトン作の「ZEN」というオブジェ(噴水彫刻)が設置されて
朝8時から夜10時(冬季は9時)まで、一日中ゴロンゴロンとパフォーマンスをしています。
◆旧【下石町二丁目(しもごくちょう にちょうめ)】は
現在の青葉通りの明治安田生命ビルのある交差点から昭和通りまでの間の両側
南北1丁(1丁≒109m)の町でした。
(一丁の真ん中を横切る小路<杉山翠雲堂ビル横>は、静岡大火<1940.1.15>後の区画整理でもうけられたもの)
当然のことながら、一丁目同様かなりの面積が道路になってしまっていて
通り沿いの西側が七間町、東側が常磐町一丁目に再編され(1945.9)、下石町二丁目は消滅してしまいました。
昔、NHKの女性手帳などを担当していた、所作や言葉遣いが上品な感じの原アナウンサーはこの町の生まれとか・・・・
なお、南端に接する東西の通りの昭和通り(国道362号)は
昭和初めに3~4間の幅員が12間(約22m)に拡幅されたもので
建設された当時は静岡で最も広い道路だったようで「12間道路」という言い方もされていました。
昭和通りは、都市計画上25mに拡幅予定があるため建築の制限がされているらしく
現在この通り沿いの建物は道路に接した部分はすべて2階建以下になっており
(1.5mほど後方部分から3階以上になっている。)
高いビルなどはあらかじめ後退して建設されています。
(都市計画決定から半世紀以上も放置したまま、住民に制約を課しているのは、ちとひどすぎるような気もします。)
◆下石町二丁目を現在の町名でいうと「七間町の一部」「常磐町一丁目の一部」
(町名変更は1945年)
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているのでJR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが
ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって、両替町通りは東西、下石町通り(青葉通り)は南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。