呉服町に五丁目なんかないと思われた方は、こちらの地図を御覧ください。
呉服町五丁目は、現在の呉服町二丁目の3、4、5番地あたりになります。
それはともかく、呉服町五丁目の伏見屋(ふしみや)は、
こちらにも書いたように1607年創業の老舗です。
その老舗の店頭に興味深い写真が飾られていました。
▽ 呉服町五丁目伏見屋の文字が・・・
もし、静岡も大火や空襲にあわず
このような店構えの店が立ち並んで残っていたら
川越などの街並みに負けないほどの
しっとりした風情のある町ではなかったと思うと残念な気もします。
まあ、これは空襲を受けた関東から西の太平洋側のほとんどの
都市に言えることではあるのでしょうが・・・・
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ところで空襲といえば、父や亡くなった祖母の話ですと静岡・清水は空と海の両方から砲撃されたそうですね。去年でしたか、静岡新聞に空襲前と空襲後の写真があたかも「ビフォー・アフター」のごとく載っていましたが、アフターの方の写真はなーんにもなくなっていてがれきだけになっていて胸が詰まる思いになったことを覚えています。
たびたび静岡大火が出てきます。この大火と
空襲が静岡の街作りに与えた影響は大きいで
すね。静岡大火といえば、近隣の町からも静岡
の空が赤くなっているのが見えたという、
小学校時代の副読本「すすみゆくしずおかし」
に載っていた文章が思い出されます。
対して、艦載機から発進された爆撃機による空襲は、無差別爆撃で本当に悲惨な状況だったようで、静岡大空襲の2000人の犠牲者を思うと暗澹たる気分になります。
特別意識はしていなかったのですが・・・(笑)
一つには母からの影響が大きいと思います。
また、大火と空襲の結果、城下町らしさの一切が失われ、それを契機に多くの城下の町名や町割り(町名の付け方)の原則が失われてしまったことに対する「無念さ」からきていると思われます。(笑)