宿場と宿場の間が距離がある場合
自然発生的に中間地点に「間の宿(あいのしゅく)」ができたようです。
もちろん宿泊は宿場でしか許されないため
休憩所として茶屋などが並んだというもののようです。
その「間の宿」の規模の小さいものを「立場(たてば)」と言ったようです。
旧東海道の府中宿(駿府)と江尻宿の間は3里近くあり、やや距離があります。
そのため、旧東海道小吉田附近
(現在の町名で言うと、古庄(ふるしょう)一丁目1番附近から
国吉田四丁目14番付近まで)
に休憩茶屋が立ち並び、「立場(たてば)」としてけっこうにぎわったようです。
このあたりの旧東海道をちょいと歩いてみたいと思います。
▽ 古庄グラウンドがあったころの古庄附近
赤色の線:当時の静鉄線、ピンクの線:現静鉄線
静清国道は未だ開通しておらず、静岡鉄道も旧道を走っていた。
現在の県総合運動場の前身ともいうべき古庄グラウンド(緑色の範囲)は
1922年静岡鉄道がつくったもので、
田畑を埋め立てただけの粗末なものであったとは言え、7千坪もあったという。
静清国道の開通に伴い1926年廃止された。
静岡鉄道は1930年、この区間の複線化の際、現在の位置に付替えられたようだ。
(参考:山内政三著「静岡市の100年」)
▽ 旧道を走っていたころ,古庄電停があったと思われる附近
(道路の右側は古庄一丁目1番街区、左側は古庄一丁目3番街区)
このあたりでは、近在の「追分羊かん」「安倍川もち」と並ぶ
古庄名物の「うさぎ餅」が売られていたという。
(うさぎ餅は、現在は鷹匠三丁目の「松木屋」に引き継がれて売られています。)
▽古庄のモニュメント(?)
<追記:東海道400年の記念事業として同様のものが各所に設置されているとのことです。>
往時のにぎわいを感じさせるものは一切ない。
この附近に、かつて北豊田小学校があったそうだ。
学校跡は後に中村外科医院となったが、今はその医院もない。
▽ 後久川(ごきゅうがわ)に架かる後久橋
▽ 栗原1番の先でJR線にぶつかり旧道は途切れている。
旧道はJR線にぶつかって途切れているが、
この先への道標(みちしるべ)は一切ない。
古庄のモニュメント(?)もけっこうだが、
こういう場所こそ案内が必要なのだが、旧静岡市役所はこういうことに
関心を示さなかったようだ。
旧東海道歩きなどする人は、ほとんど静岡市民ではないので
サービスできないということか(笑)
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「モニュメント」の様なものは清水区の旧東海道にも点在しています。(追分の辺りで見ました)
このまま、江戸まで行っちゃってください。(笑)
地図を見ていて、当時の国鉄と旧静鉄はどんな風に交差していたのか興味があります。やっぱり立体交差で静鉄が上を通っていたのでしょうか。清水区の入江の辺りでは、国鉄の上を通っていたと聞きます。
ちなみに、ウサギもちは友人によれば、農高祭(11月下旬から12月上旬の日曜日)で無料配布します。私も一度だけ行っていただいたことがありますが、できたてほやほやのうさぎ餅はおいしいですよぉ。
あと、農産品や園芸品とかみそ、人参ケーキ、パン、ミカンジュースなどが売られていますが、特に食料品は近所から来て朝早くから並んでいる人が多くて、なかなか手に入らないとのことです。
私が農高祭に行ったのはずいぶん前ですが、その時はそんなに並んでなかったのに・・・(涙)
「乞うご期待」と言いたいところですが、いつものとおり尻すぼみになりそうです、(笑)
>このまま、江戸まで行っちゃってください。
そうですね!
日本橋から中山道・本郷通りを通って、六義園近くまで行っちゃいましょうか(笑)
>当時の国鉄と旧静鉄はどんな風に交差していたのか興味があります。
国鉄線とは当初から跨線橋で超えていたようですが意外と具体的に書いた本が見当たりません。
清水方面へ向かう電車は古庄電停を発車するとすぐ旧東海道から別れているようですから、多分ここから徐々に坂となって跨線橋につながっていたのではないかと思われます。
しょんないから増田タバコ屋のカドを右折して鮪商人のところからスロープで運動場駅横(なべさんの撮影ポイント)に出るしか無いですよね。
静岡から清水に向う時、以外と空いてるお気入りのコースです。
農業高校の文化祭では地元のグループがうさぎ餅づくりを手伝っているとか・・・
商業ベースでは伊勢丹が七間町の扇子屋に作らせて復活させたものの、扇子屋が廃業したため一時途絶え、その後松木屋が引き継いで現在に至っているようです。
松木屋のものは何度か食べたことがあるのですが、農業高のものはありません。
同校の文化祭は他にも楽しそうな雰囲気のようですから、機会があればぜひ行ってみたいです。
情報ありがとうございます。
ホントにしょんないですね(笑)
昔の地図を見ると、新幹線ができる前までは、この道はつながっていたようです。
なんとそこをバスも通っていたようです。
いまの状況からは考えられませんが・・・
あとからできた国鉄がほぼ直線で通過しているため、蛇行している旧東海道は、ここと柚木と2か所で分断されてしまっているのですね。
そこから東は未確認ですが、たぶんお江戸まで続いているのでしょう。東海道400年の記念事業だったような記憶が・・・
このシリーズの続きを期待しています。
あ、それから6月7日は次郎長葬列と同じルートを歩きますから、是非ご参加下さい。
なるほど納得です。
市の単独事業ではないということですね。
旧静岡市はこういうことに不熱心でしたから(笑)
>6月7日は次郎長葬列と同じルートを歩きますから
ありがとうございます。
4月19日のときも行ってみたいとは思ったのですが、ちょっと遠慮してしまいました。
明治26年の次郎長葬列と同じ道筋を歩いて
菩提寺の梅蔭寺まで向います。梅蔭寺では
次郎長の墓前に参拝して、荒神山から横浜まで
東海道の西と東を駆け抜けた次郎長翁に線香を
あげる予定です。
小雨結構(!)で実施しますので、
是非ともご参加下さい。