夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

今日は天皇誕生日

2018年12月23日 | 国家論

 

今日は天皇陛下のお誕生日。天長節ともいう。平成時代も今年が最後ということもあって、NHKでも「天皇 運命の物語」と題して4回にわたって平成天皇の軌跡をドキュメンタリーとして放映するらしい。NHKのニュースセブンが終わると、続いて十九時半から第一話として「敗戦国の皇太子」が放送されていたので見た。

昭和8年にお生まれの今上天皇陛下は、大東亜戦争という激動の時代を生きられた昭和天皇の後を継がれて、戦後GHQ憲法下という歴史的にも稀有な時代において皇室を生きられた。このドキュメンタリーを見て印象に残ったのは、立太子礼を終えられたばかりの19歳の時に英国のエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇のご名代として英国を訪問された時のことである。

戦争の傷跡もまだ生々しい時にあって、元捕虜の英国兵たちから皇太子の訪英に反対運動が広がり始めた。その時に未だ政治家として現役にあったチャーチルが皇太子を招いて晩餐会を開いた。そして、そこへ野党労働党党首など皇太子の訪英に反対する者たちも招いて彼らの気持ちを和らげたのである。敵国の皇太子に対するチャーチルの心遣いを見て、あらためてこの政治家の器量の大きさを感じた。

老練な政治家として英国の立憲君主国家体制を深く理解していたチャーチルは、同じ立憲君主国家としての日本の若き皇太子を、戦争の恩讐を超えて暖く遇したのである。

この秋にたまたま、私はヘーゲルの「法の哲学」、第三部 倫理、第三章 国家の§275から§286までa 君主権の個所を訳して註釈とともにブログに公開したことがある。「夕暮れのフクロウ」記事一覧20180808〜20181026

私がヘーゲルの「君主論」について拙訳ながら訳出しようと思ったのは、今は亡き奥平康弘氏という憲法学者が東大名誉教授という公職にありながら、「「天皇制」と民主主義は両立しない」と自らの著書で主張されているのをたまたま知ったことがきっかけだった。

国家体制について自由に選択しうるものかどうかも問題であるけれども、それはとにかく、もともと伝統的な立憲君主国家体制を支持し、またヘーゲルの「法の哲学」の立場に共感するものとして、奥平康弘氏の著書「「万世一系」の研究」の結論は納得できないものだった。ヘーゲルの「君主論」の一部でも身の程知らずにも訳そうと思ったのもそのためである。

英国はエリザベス女王という国家君主を戴いている。それにも関わらず紛れもなく英国は世界からも歴然たる民主国家として認められている。しかし、宮澤俊義氏や樋口陽一氏などの東京大学の法学部教授たちは、彼らの「天皇ロボット論」などに見られるように、東大派憲法学は昔から「民主主義と天皇制は両立しない」という立場にあるらしい。ということは要するに、彼らは憲法学者の立場として「立憲君主国家」の意義を理解していないということである。

また、東大法学部で樋口陽一氏や奥平康弘氏らの憲法学の訓導を受けた戦後民主主義の世代の若者たちは、そのまま彼らの憲法観を受け継いで大学教授や官僚になったり、あるいは朝日新聞やNHK などのマスコミなどの幹部に上りつめた記者やディレクターたちも少なくないはずである。彼らはその結果として、その反皇室の国家観の立場で、記者活動や映像活動を行なっている。

したがって平成天皇の来年のご譲位の報道についても、「皇室典範」の規定に従った正しい法令用語である「譲位」を意図的に避けて、「生前退位」とか「退位」とか「即位」とか不完全な用語を使い、また「皇太弟」という伝統的な用語を避けて、「皇嗣殿下」といった珍奇な用語で国民を意図的に誤導することになっている。

不謹慎ながら現在の皇室にもし「悲劇的」な一面があるとすれば、皇室の藩屏としての皇族の層があまりにも薄く、また、内閣にも宮内庁にも、戦後まもなくにはまだ多く存在していた、安岡正篤や小泉信三などの日本の伝統についても造詣の深い国家哲学を有した人間が現在の皇室の身近な周辺に一人もいないらしいことである。

井上毅については言うまでもがな、安倍晋三や菅義偉たちや現在の宮内庁長官たちの人物のレベルでは「立憲君主国家」における「皇室」の存在の意義についての哲学的な洞察は無理である。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

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