「明治日本の産業革命遺産」の登録を巡って、朝鮮半島出身者が施設で働いた「徴用工」の歴史に関する表現で、「強制労働」を主張する韓国とそれを否定する日本政府との間に合意が成立することなく、「産業革命遺産」の登録については多数決による決着に持ち込まれるものとばかり思っていた。
それが四日の遺産委審議の最終局面になって、日韓の話し合いによる合意をめざすとされ、その過程で日本政府側は韓国の主張を入れ、元徴用工に関し「意思に反して連れて来られ(brought against their will)」「厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh conditions)」と発言することによって、「明治日本の産業革命遺産」の登録が認められたというニュースに接した。
このニュースから多くの人が感じたように、今回の遺産登録認定で日韓の間にむしろ紛争の種が仕込ま れたように思った。この合意を受けて早速に韓国は、「日本は世界遺産対立をめぐって国際社会で初めて強制労働認める」と報じた。それに対して岸田文雄外相 は五日の世界遺産委終了後の記者会見で、「(朝鮮人労働者が)強制的に労役を就いた(forced to work)」との日本側代表の発言について、「強制労働を意味するものではない」と述べたという。
しかし、国際交渉で重要なことは、日本の外務省の主観的な「解釈」ではなくて、英語の原文から国際社会 がどのような認識を持つか、という観点から主張されるべきものである。この交渉で日本政府側が発言したとされる「forced to work」や「brought against their will」、「forced to work under harsh conditions」の文面からは、ナチス・ドイツや旧ソビエト・スターリン時代の「強制収容所」の過酷な強制労働をイメージして理解されるのが常識的な結論になるはずだ。
そもそも生活のための労働、生存のための労働である「賃金労働」それ自体も強制性や懲役的な過酷性を 持っているのだが、この文脈の中では、おそらく国際社会はそこに通常の賃金労働を推測することはないだろう。いわゆる「慰安婦」の強制性の問題に加えて、 さらに朝鮮の元徴用工の労役の強制性をめぐって日韓に深刻な紛争の種にならないかどうか。
いわゆる「河野談話」に示されたような、韓国に対する日本政府の中途半端な配慮が、結局はさらに日韓関係を悪化させる種になったことの深刻な教訓を、外務省をはじめとして日本政府は何も学ばなかった。
高給を食んでいるのなら、それに見合った仕事しろと昔から国民は外務省の役人たちに幻滅させられているのだが、しかし、先の「集団自衛権」違憲合憲論議で明らかになったように、今日の日本のアカデミズム、大学業界の堕落した空想的憲法学者たちや劣化した大学教授たちに教えられて卒業した政治家や外交官では、その能力において北朝鮮、韓国や中国の巧妙な外交攻勢にとうてい太刀打ち出来ないのも当然のことなのだろう。
中途半端な善意や妥協が真の友好と平和を損なう。六でもない国連機関ユネスコの「世界遺産」登録というカネに目が眩んで、国家と民族の真実と品格という真の国益を売る現代日本人の堕落と無能をまたしても証明することになった。妥協せず登録破談こそ選択すべきだった。
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