玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

あれから12年

2007年01月17日 | ねったぼのつぶやき

 6434本のローソクの点火で浮かび上がらせた「瞳」。地元の市民団体が96年から続けているローソク点火のイヴェントは、震災体験を正確に伝えて今後の防災に生かそうと、真実を見据える瞳をテーマにしたという。

 戦争を知らない私にとって体験したことではないながら「身近な1番の騒乱」であった。阪神大震災は多くの教訓を残した。災害救援ボランティア。災害医療。家並町並。日ごろの防災。災害に耐えうる強度。ストレス対処・・・等など。数え上げたらキリがない。

Bulob_002

 朝日新聞の夕刊1面に「人・脈・紀」のシリーズがあり16日「震度7からの伝言」としてPeace Boatのボランティア活動が書かれていた。梅田隆司は青学在学中、BoatのNGO活動に加わり、世界一周後大学を中退してアフリカ等で難民を支援した。神戸では河川敷にテントを張り100人を超すボランティアのまとめ役になった。焼け跡を歩き、手作り新聞を毎日無料で発行し風呂、尋ね人、炊き出し、求職、住宅支援の告知等人々が求める情報を提供した。ある日1億円近い損失を出した社長が相談に行った時、穏やかな物腰、心のこもった言葉で対応した。血眼で走り回っていた時だけに「会って話すだけで安堵感を与えてくれた。無財の七施とはこういうことか」と気付かされた社長は以来地元の復興に努めた。不幸にして翌年29才オートバイ事故で死去1000人が参列したとあった。

 大震災当時、私は開頭手術を受け自宅療養をしていた。いつものようにボンヤリした頭でTVのスイッチをひねると、燃え盛る火の手がアチコチから噴き出している映像が飛び込んできた。ヤヤあって地震、建物の倒壊、火事噴出と気付かされた。地上の現場からは切迫した声でアナウンスがあり、空にはヘリが飛び交いヨリ切迫したリポートをエンドレスで送信していた。このNewsに接するたびに災害と共に私の体を通り抜けた災害も思い起こされ、阪神大震災は特別の恐怖と感慨を抱かせる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする