空になりつつある職場の机の引き出しから朱色の和紙が出てきた。あの人に貰った京都みやげの包装紙である。きれいな和紙なので捨てるのが惜しく引き出しに残った。あの人というのは同じ数学科の女性教師である。私より若かったがちょうど一年前に死去した。それは誰も予想していない出来事だった。
京都の私立女子学校から杉並区のT女子大に進んだ。その後私と同じ職場で非常勤から専任となった。なにごとにも控え目な人で、生徒に対しても気色ばんだり大声をあげたりするようなことはなかった。私は人間嫌いなんですと漏らすのを一度だけ聞いことがある。父親が亡くなって、京都の母親は娘と暮らすため東京に移った。高齢で体調も優れず娘に過度に依存していた。そのせいかどうか知らないが、娘は生涯結婚することはなかった。
京都で暮らしたことのある私にそのことだけで親しみを感じたようだ。彼女が帰省したときに、別に私へのおみやげというのを二回貰ったことがある。初めて口にする物だった。まるで肉か貝のような食感である。食卓でも好評だった。 「精進生麩禅」 という商品である。昔の修行僧の貴重なタンパク源であったという。包装紙の記載から今になって株式会社 「半兵衛麩」 をネットで検索した。早く気付いていたならば昨年夏の京都行きの際に五条大橋近くの本店に立ち寄っていただろう。
その人が私と話しているときのことだ。左手の親指が右の乳房の下あたりをセーターの上から何度か行き来するのである。無意識の行動だ。気になっていて何日か後に早期の検診を勧めた。自分でもなにか気になっていたところだと言っていた。それから2ヵ月後に私は訃報を聞いた。検診を勧めた1ヵ月後に、あの人が職員室で私だけに見せたものがある。京都のどこかで撮ったものであろう。母親とその人と従姉妹の女性3人が並んで写っている。それぞれが若かった頃の拡大写真であった。この出来事は今でも不思議に思い出す。