公民館で断続的ながら英語レッスンを始めて何年になるかしらん! 時間の割にはかばかしくなく、さりとて止めようとも思わないのも不思議と言えば不思議な事だ。テキストに基づき、宿題があり、予習も必要で少なくともその為に1~2時間は要求されるのに・・・なぜ?
「やめるには惜しいし・・。も一つ乗り越えたら楽になる? 折角だから実用化できたら」と引きづって来た。タマに必要にも迫られ、継続は力なりと独りごちる。限られた時間ながら英語のシャワーを浴び、一歩踏み出すべく発語せんと踏ん張ってみる。TVは一定の期間ごとに趣向を変えて楽しい。(かって通った浴場は健在だった)
英語クラスは流動的で欠員が生じやすい。会計担当時は必死だった。今は気楽だが人を誘うのはやはり難しい。やりたいと念願している人ならラッキーだが、イキナリの誘いは唐突ではないかと思えてしまう。相手のレベルも解からないから適応性の問題も発生し得る。何より自分がその中にあるのを表明することになり気恥ずかしい。