玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

経管理栄養だけなら簡単

2012年02月09日 | ねったぼのつぶやき

 ディサービスをご利用頂いてる利用者さんが入院なさる事は少なくない。幸いに利用中にその必要性に迫られた事態はなく、自宅で発生したトラブルが多い。従って入院に至った経過や、入院後の経過を知り、退院後の生活上の予測をたてる必要がある。短期入院の場合は変らないが、長期入院や疾患によっては大きな修正を迫られる。そんな場合介護保険上の制度として、退院に向けて関係する全ての関係者が病院に集まり、詳細な打合せをすることになっている。過日その要請があって地域の基幹病院に出かけた。

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 メンバーは病院側は主治医、病棟ナース、リハ担当者。在宅側としてケアマネ、家族、保健所、サービス提供者としての関係者であった。所要時間は60分。テーマは「胃婁造設による経管栄養と吸引の自己管理とその支援」であった。妻は「病院のケースワーカーからも療養型老人病院の話もあった。介護の限界を感じたらそうお願いせざるを得ないが、そうすれば私の事も解らなくなる。在宅で私を解っていて欲しい」と発言された。病院側の発言は医療処置の管理と妻の負担の軽減に集中していたが、双方の立場に身を置いていたことのある私には別の思いが強かった。

  家族でも、手技的な事は基本さえ学べば後はすぐ慣れる。吸引の頻度が少なければ少ない程問題ない。何よりも問題は本人の長期臥床による筋力低下である。病院から提出された経過書で頸椎の軟弱さが強く懸念された。離院時、臥床中のご本人にお会いし、ヤッパリとその思いは更に深まった。入院直前までは、私が手伝っている施設では誘導と援助の仕方によって自力で口から物を食べ、何とか自力歩行出来ていた方だ。退院後、通所施設でのケァが何処まで本人の能力を回復させ得るか、極めて厳しい道のりである。会議中の私が抱いた違和感は、話題の中心が医療処置の継続に絞られ、リハビリは略ムリといった想定で奥様の思いと距離があったからだ。元医療従事者としてソレも解りすぎる程に解る。限界は介護者の身体を通さないと結論は出ない。

コメント (2)
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