1日に凄まじい春一番が吹いた。自転車で外へ出たが、ほとんど閉じるぐらいに目を細めて視線は下向きにゆっくり進むしかない。店先の商品棚は一気に砂にまみれて、品物はあわただしく店内に移されたようだ。まとまった落葉がかわいた音をたてながらまるで生き物のように路上を蛇行していた。いつも春はほこりっぽく、どことなく気持ちが落ち着かない。
宮崎信義さんの95歳と96歳の折の歌をまとめた歌集が刊行されて、その中のいくつか歌を紹介した記事を読んだ。私はこの記事で初めてこの歌人のことを知った。口語自由律の歌とある。私はこれらの歌に新鮮な驚きを受けた。そして忘れかけていた「むずかしいことをわかりやすく、わかりやすいことをふかく、ふかいことをおもしろく」という言葉を思い出していた。
その歌を何首かここに取り上げる。「私のいのち見えるだろうか空を飛ぶ一羽の鳥のいのちが見える」「私のいのちがあなたに移る不滅のものこそいのちなのだ」「近く一人の生涯が終わる過去と未来の中継ぎ役は果たせたか」「何にしても別れはつらいが始めと終わりはやっぱり一人」「生きていようが死んでいようがどちらでもよくなったよいお天気だ」
小平市では6日に住民投票条例案を審議する臨時本会議が開かれる。2日の新聞報道では、多くの会派が最終的な判断を決めかねており見通しは不透明とある。どんな結末を迎えるのか落ち着かない。さらに今週は3日も病院通いをせねばならなくなった。昨年暮に半年に一回の内科医の診察をキャンセルしたままで放置していた。なんの未練かやはり受けておくかと予約申し込みをした。まず検査がありそのデータに基づいた診察となるから2日は必要となる。ところが予想に反して申し込んだ翌日すぐに検査で一日おいてただちに診察と今週中にまとめてやることになった。そんなに急がなくてもという気持ちをひきずりながら眼科と合わせて週の前半に3日の通院となった。