良寛に魅せられた人々という、ある雑誌記事に川端康成が登場していた。ノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」の中で道元や明恵の歌と共に良寛の歌を紹介している。「形見とて何残すらむ春は花 夏ほととぎす秋はもみじ葉」のほか四首である。記念講演といえば大江健三郎の「あいまいな日本の私」がある。大江はなぜ川畑を否定せねばならなかったのか。
良寛の書の熱烈なファンを自認した白州正子は「天上大風」について、「この書に接する時、私たちは心身ともに軽くなって、虚空に遊ぶような心地になる。いつしか良寛の書は消えてなくなり、ただ良寛の魂にふれる想いがするのである」と感想を述べている。小林秀雄が訪ねてきた歌人の吉野秀雄に良寛さんの書幅を見せたところ「これは贋物だね」というので小林は「ああそうですか」とその場で掛け軸を破ったという。
良寛を正岡子規に紹介したのは新潟出身の歌人である会津八一である。それまで越後の人々に愛され尊敬されてはいたが、地方的な名声しか持たなかった良寛が「日本の良寛」となったのは八一が根岸の里に子規を訪ねてからだろう。八一の自称の弟子にして、良寛研究者としても知られる吉野秀雄が、小林秀雄が手に入れた良寛の書をたやすく贋物と診断したのもうなずける。
彫刻家平櫛田中は万葉集を読みふける良寛「ある日の良寛」や、ざくろを手にする「良寛とざくろ」など良寛像の制作を好み気品に満ちた良寛像を作り上げた。平櫛田彫刻美術館は我家から徒歩25分だ。NHK短歌にゲスト出演した将棋の羽生善治は好きな歌に良寛の「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日はくれずともよし」をとり上げていた。良寛は子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈していた。アトランタの二人に初めてクリスマスプレゼントを郵送した。