黒い表紙の能率手帳を捨てきれずにいる。95年から愛用してきたものが20冊にもなった。市販のものではなく近畿ツーリストが営業で配布しているものだ。完全退職して5年が経つが年末には立川にある営業所で分けてもらう。あらかじめ電話をすると手帳の在庫管理を始めたが、これまでお使いでしたのならどうぞと言われた。受付の女性が笑顔で渡してくれるのだがちょっぴり気がひける。20年も使わせてもらっていると申し訳する。
これまでに何年か日記をつけたことがあったが、それらはだいぶ前にすべて処分した。手のひらサイズの手帳だけは残った。現役時代の月間予定表には例年通りの仕事上の予定が埋まる。主要なページである日々の欄は空白が多い。メモ欄は読書のあとの抜き書きが多い。手帳には自分の想いなどを書き記す訳でなく、事実の記録だけだから残せるのだろう。別冊の住所録を自分史年表に作り変えて毎年差し替える。0歳から100歳までの年齢早見表には家族が生まれたそれぞれの年にマークを入れる。(写真は日展会場にて)
残っている中で最も古い95年の手帳を開いてみた。月間予定表の3月17日の欄には「阪神大震災」の記入がある。地下鉄サリン事件が起きた3月20日の欄には「引っ越し」とあるだけだ。この年の前年に連れ合いが病に倒れたにもかかわらず、前々からの計画通りに自宅の建て替えを進めることになった。取り壊しのために仮住まいに引っ越す日だった。レンタカーのことなどが断片的な記憶としてよみがえる。ある日の欄に広島市長の平岡敬氏の名とその言葉が記されていた。「平岡敬」の記憶は全くないのでこれを機会に調べてみたい。
今年の手帳を開いてみる。月間予定表に耳、眼、内を丸印で囲っている記号は通院予定だ。71歳で8月に他界した闘病中の元同僚に月に一度の割合で電話をした日の記録がある。今年の始めの私の愛読書は「耳鳴り・難聴を治す本」だった。その本にあった「酢タマネギ」「黒ゴマ酒」のレシピ、「片鼻呼吸」「耳もみ」「爪もみ」の体操について記されているが、いつの間にかそれらとは縁遠くなっている。市の健康センターで覚えた具だくさんのみそ汁で「朝は和食」をめざしたが、早々とパン食に戻った。夕食時の飲酒は続く。身体に良いことは習慣になりにくい。