週に一度の公民館の囲碁会の時に、年輩の会員の方から「日めくり・囲碁将棋 珠玉の言葉」と題した手のひらサイズの小冊子を頂いた。あとがきに「囲碁を始めて約50年。その楽しさ、面白さ、奥深さ、難しさにはまり込んでいる。囲碁というゲームそのもの、勝負の世界、勝敗の機微、プロ棋士の考え方、その生き方等知りたいことが多い。これは将棋についても全く同じである。過ぎし日々、これらについて目についた新聞、雑誌、書物などから切り抜き、メモし、集めたものが相当量になった。あるものは目からウロコであり、あるものは干天の恵雨ともなった。そこで今回、自分なりに感じ入り、影響を受けたものを、日めくり式に31件まとめてみた」とある。
全会員に配られたその小冊子は字体は大きくて読みやすく、青が薄められ緑みの明るい青(ホライズンブルー)の表紙の色が優しい。その「8」には「死活の研究は一番面白い。そして分りやすい。活きか死か劫か、この三通りしかなく、答えがはっきりしている。それでいて難しい。妙手を発見しなければならないからだ」とある。囲碁のルールである「劫」の位置づけを私はようやく理解し始めたところだ。「活きか死か劫か、この三通り」という箇所がとても腑に落ちる。人は「生死」だが碁石は「活(いき)か死」のようだ。その「10」は私の愛読するシリーズ本「碁の教科書」の著者・石倉昇の「攻めの5カ条」だった。
その「15」に思わず微苦笑である。『大勝負師 大山康晴は違った。「誤るだろう」の願望ではなく「人間は必ず誤る」の確信を持っていた。だから形勢不利になっても平然としていた。相手方は、大山の冷たい視線を感じ、自滅した』とある。その「18」は、かつて週2日ほど1日2局の割でネット碁を打っていたという井山の師匠である石井邦生九段の言葉だ。「井山に20連敗を喫したのである。私がどんなにいい碁を打っても負かされてしまう。逆にいうと、井山はどんなに形勢が悪くなってもあわてない。1点ずつ返すような打ち方でじりじり差をつめる。そしてこちらがあせり出すと、勝負手を放つ。逆転力に驚かされたのはしばしばだった」とある。(写真は日展会場にて)
この機会に本棚に埋もれている私が頂いた自費出版本の3冊を手にしてみた。いずれも文芸誌サイズで300ページほどの分厚さである。新しいものから記すと「欅並木から」と題して中高の英語科教師H氏が退職の記念に全教職員に配布したもの、これは03年に出版されている。「くしきの六期二十四年」は叔父が串木野市長を退職して7年後、そして没する2年前の02年に出版されている。『「自由」と歴史教育』は病をおして教壇に立ち続けた中高の日本史教師N氏の論文集である。遺族がN氏の没後3年目である1995年の命日に上梓したもので、丁寧な挨拶状と共に自宅に郵送されてきた。私が大いに影響を受けた先輩教師の一人だ。その本の中の「アメリカの対日文化政策」「秩父事件」「竹橋事件」などの論考を今後きちんと読むべきだと思った。