現在の地に住み始めて40年近くになる。住み始めてまもなくの頃にチャボ゙を飼っていた。手づくりだったが、よくできた頑丈なニワトリ小屋だった。餌は近くの水車通りの小島米穀店で配合飼料を買っていた。店のご主人は片方の腕の手首から先がなく、そこは白い布でまかれていた。紙袋の飼料を巧みに抱きかかえながら計量していた。戦地で負傷されたものだろうと私は勝手に想像した。
そのうちチャボの飼育が途絶えて小島米穀店に出かけることはなくなった。10代目に代替わりしてからは店の前には自動販売機がずらりと並び、本業の方は休業状態のようだった。玉川上水を横断する店の前の通りを「水車通り」という。うかつにも、その名が小島米穀店に由来することを知ったのは定年退職後だった。
玉川上水に沿って流れる新堀用水を利用した「小島水車」は小平よりも国分寺の多くの農家が利用していたという。少し歩くとそこはもう国分寺である。昭和25年に稼働を止めたが 直径約7メートルもある水車が昭和42年まで残っていたという。昭和42年というのは私が当地に引っ越してくる8年前のことだ。水車の土台である平行に並んだ二つのコンクリートの遺構を今でも見ることができる。新堀用水探訪者が必ず訪れる場所の一つだ。
この7月に由緒ある小島米穀店が解体撤去された。8月に入りその跡地に急ピッチでコンビニが建設されつつある。最寄りの鷹の台駅周辺の道路は一方通行のせまい道路で、駅前の商店街はさびれる一方だ。駅そばには駐車場のない2軒のコンビニがある。その駅から400mのところに駐車場のあるコンビニができるというわけだ。近くの「たかの街道」沿いにもコンビニがいくつかある。そのうちの一つは交差点に面したガソリンスタンドだった。コンビニ商戦は激烈だ。ところで水車土台の遺構は敷地境界近くの保存樹林内にあるために残るようだ。