「女たちの江戸城無血開城」という番組がを見た。ここで女たちとは公武合体の政策により降嫁した皇女和宮と、島津斉彬の命を受け将軍家定の正室として徳川家に嫁いだ篤姫の二人のことである。江戸城明け渡しとなるが、二人の願いは徳川家の存続だった。
番組では和宮の和歌が紹介される。「住みなれし都路いでてけふいくひいそぐもつらき東路のたび」大阪城で病死した夫・家茂の形見として西陣織が届く。「空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ」和宮は明治10年に転地療養先の箱根で31歳で亡くなる。3年後に篤姫が和宮終焉の地を訪れて詠んだ歌が残る。「君が齢(よわい)とどめかねたる早川の水の流れもうらめしきかな 」
美智子皇后の和歌50首をドイツ語に翻訳した歌集が出版されたという。歌集には東日本大震災の年に詠まれた「草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く」などが含まれている。恒例の「歌会始の儀」で詠み上げられた今年の皇后の歌は「語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差ししずかにそそぐ」だった。私も皇后の歌に感銘を覚える一人だ。
歌会始の選者の一人である永田和宏さんの歌は「飲もうかと言へばすなわち始まりて語りて笑ひてあの頃のわれら」入選の最年少で中学1年の中島君の歌は「文法の尊敬丁寧謙譲語僕にはみんな同じに見える」永田さんや中島君の歌のように素直でのびやかな歌を読めたらいいなと思う時があるが、簡単そうで難しい。私の場合、うまく詠もうという気持ちが邪魔をして、毎回その意欲は一夜で失消滅してしまっている。