北を目指した。私の散歩の方角という、ささいな話だ。今回は2時間ウオークで小平霊園を目指した。目算通り、片道ちょうど1間ほど歩くと霊園に到着した。霊園は家から北北東の位置にある。すぐ近くの玉川上水は、小平市の南の端を西から東へ流れている。私のウオークは玉川上水を東へ歩くと小金井公園、西へ歩くと金毘羅橋が折り返し地点だ。北へは小平霊園を折り返し地点と決めた。未定の方角は南だけになる。
1654年に玉川上水が引かれて、新田開発が行われた。農地は南北に短冊状に地割された。玉川上水と垂直な方向の、南北に伸びる市内の道路はその名残りだ。小平霊園へのウオークは、まず一直線に続く元仲宿通りを真北に向かう。すると北東に流れる野火止用水にぶつかる。用水の向こう側は東村山市だ。用水沿いにある明治学院中学・高校にライシャワー記念館の赤い屋根が見える。ここの桜並木はちょっとした名所だ。
野火止用水は南北に走る府中街道にぶつかる。ここはかつて秩父道、奥州街道、鎌倉街道などが交差する交通の要所で「九道の辻」と呼ばれていた。すぐ近くに西武多摩湖線の八坂駅がある。高架をくぐると多摩湖自転車道に出る。ここで野火止用水と別れる。多摩湖とは反対の西武新宿線の小平駅の方に向かう。水道道路なので一直線で起伏は少ない。八坂駅から2キロほど歩き、小平駅のすぐ西側の踏切を渡ると小平霊園だ。
なぜか最近は霊園を訪ねる機会が多い。どの霊園事務所にも案内図が置かれていて、著名人の墓地が分かるようになっている。小平霊園はこれまで2回ほど訪れたが、その当時は案内図を手に入れる智恵はなかった。童謡の「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」などを創った野口雨情の墓碑がある。雨情は北茨木市の出身だが、ご子息が近くで供養したいと分骨したのだという。他には山本七平、壷井栄、有吉佐和子、伊藤整、荒正人、村上一郎、宮本百合子、宮本顕治などの墓碑がある。