今月から新聞は朝日から毎日になった。2紙を1年ごとの交代で購読する。毎日新聞夕刊の近藤勝重の「しあわせのトンボ」はすでに終了しているが、同じく夕刊で田中優子の「江戸から見ると」や、日曜版の「松尾貴史のちょっと違和感」は続いている。目新しいところでは又吉直樹が9月から夕刊に小説「人間」を連載中だった。
芥川賞を受賞した「火花」は読んでいない。彼の小説を初めて新聞で読むことになる。又吉の母が奄美の加計呂麻島で、父は沖縄の名護市の出身ということで私は彼の言動に日ごろから関心があった。本人は大阪の寝屋川市で育ち、北陽高校サッカー部の副主将を務め、大阪府代表としてインターハイに出場している。現在でも吉祥寺の井之頭公園にはよく行くという。(鹿児島市の仙厳園にて)
朝日新聞では高橋純子という執筆者が記憶に残っている。1971年に福岡に生まれ93年に朝日に入社、初任地は鹿児島支局だ。現在は編集委員として政治面でのコラム「政治断簡」の担当者の一人である。「断簡」は文書の切れ端ほどの意味のようだ。彼女は反安倍政権の姿勢を貫き、小気味よく歯切れのよい文を書く。ときに物議を醸すこともあるというほどに興味深い。
つぎは9月の「キリない怠慢 華麗なる欺瞞」の最後の部分である。「憲法改正に取り組んでいく責任がある。発議しないのは国会議員の怠慢である。へー。怠慢だって。ならば教えて頂きたい。同性カップルを念頭に生産性がないと主張し、当事者から強く批判されたのに公式に会見も謝罪もしない国会議員は怠慢ではないのか。それをなんだかよくわからない指導で済ませている自民党は怠慢ではないのか。言い出したらキリがないほど累積している怠慢を放置して憲法改正に固執する首相は怠慢傲慢華麗に欺瞞ではないか。責任を言うならまず、自分のお尻を自分で拭く。話はそれからである」